盟友だった料理研究家カマタスエコさんが、突然の病に 倒れ、帰らぬ人となって一年が経つ。
光陰矢の如し、である。
最近、同じ年代の知人、友人の訃報も間々ではない。
自分の身に、いつ降り掛かってきても不思議ではない。
2月10日武道館。
この日、忌野清志郎のライブコンサートに行った。
喉頭癌に倒れ、いっさいの活動を停止してから二年。
その、清志郎が遂に帰ってくる。
復活を祝うファンで、会場は演奏が始まる前から、熱気に包まれていた。
照明が落ちる。
暗転。
巨大スクリーンに見知らぬ男が映し出された。
一瞬、大歓声から、どよめきに変わった。
痩せこけ、髪の毛が抜け落ちた中年男がベッドにいる。
勿論、メイクも派手な衣装もない、ただ深刻な病に冒された男のリアルな姿である。
その男は、まぎれもなく、忌野清志郎その人だ。
しかし、そこから徐々に髪の毛も伸び、顔色も良くな り、「あー良く寝た」とベッドから起き上がり、歩き出すところで映像は終わる。
そして、ステージ上に清志郎が立っていた。
80年代、日本のロックシーンの歌詞が日本語を、英語言葉のような歌い方で支配されていた時、清志郎の分りやすくリアルな日本語の歌詞は革命的だった。
たえず、リアルなメッセージを発し続けてきた彼の姿勢は、この日の復活祭でも貫かれていた。
誰もが心配した、あの伸びやかな声が再び甦っていた。
いや、以前にも増して力強くなった。
「いい事ばかりはありゃしない」「雨上がりの夜空に」など、聞きたい歌ばかり3時間あまり、清志郎は疲 れも見せずステージ上を駆け回り歌った。
ライブの終わり近くに、お約束の「愛し合っているか い?」との呼びかけがあった。
その前に「こんな紛争の続く世の中だけど」とのメッ セージが付けられて、である。
「愛し合っているかい?」という一見、薄っぺらにも思える言葉が、温かく重みのあるものに感じた。
そこには、病と闘い、自分流を貫いてきた56歳の男のリアルなメッセージがあった。