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第166号『余白あるいは間』

【余白の芸術展】
【余白の芸術展】

よく晴れた平日の午後、横浜美術館で李禹煥の「余白の芸術展」を観た。

大きな石ころと分厚い鉄板が置いてあるだけの彫刻。
キャンバスにわずかな筆跡があるだけ、あとは白く広々とした間がひろがる絵画。

自然石と鉄板が置かれた作品の前に立つ。
石と鉄板の間にほどよい緊張感がある、そして石の背後に広がる自然なるものの気配に気付く。
絵画の前に立つ。
描かれているのは、たった一筆、二筆。
それ以外は真っ白な広がりがあるだけの絵画。
ここにも凛として、心地よい緊張感と限りない広がりを感じる。

李禹煥は韓国で生まれ、儒教にもとづく伝統的な教育をうけ、その後、日本の伝統文化や西洋近代哲学を学びながらも、そのいずれにも属さず創作活動を続けてきた希有な作家である。
彼の作品は最小限を「作り」ながら最大限の世界(自然や社会)との交換を生み出している。
それは、これまであたりまえのように観てきた近代絵画や彫刻とはまるで違う質のものである。

余白とは
空白のことばではなく、
行為と物と
空間が鮮やかに響き渡る
開かれた力の場だ。
それは作ること
作らざるものが
せめぎ合い、
変化と暗示に富む
一種の矛盾の世界といえる。
だから余白は
対象物や言葉を越えて、
人を沈黙に導き
無限を呼吸させる。

 ~「余白の芸術展」展示カタログより

余白あるいは間とはなにか。
かつて旧字体で、間は門構えに月と書いた。
表意文字たる漢字はその体が意味を有している。
門扉からもれ溢れる月の光の有り様を、間と表したのである。
掴めえないものではあるが、確かにそこに存在しているもの、それが間あるいは余白の正体である。

李禹煥の「余白の芸術展」は横浜美術館で12月23日(金・祝日)まで開催

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