第155号『美意識』

たばこを止めて、20年以上になる。
だから、たばこを吸いたいとも思わないし、ほとんどの銘柄もいまは知らない。

先日、知人と一献酌み交わした。
知人は席に着くと、ポケットから「失敬」と云いながらたばこを取り出した。
酒にたばこはつきものである。
吸わない身としては、あまり嬉しくはないが、さりとて相手の嗜好を咎めるほどの信念もない。
「どうぞ」と一先ず言い置いた。

ふと、テーブルに置かれたそのたばこのパッケージに目がいった。
以前、僕が吸っていたものと似ている。
だから、なんとなく見覚えのあるパッケージではあるが、まるで違うように感じた。

「これはピースですよね」僕は知人に尋ねた。
「ええ、そうですよ」と知人は答えた。

パッケージには、体に有害であるとの警告文がほぼ半分ほど占めている。
後で知ったのだが「たばこ規制枠組み条約」による法規制のためだという。
文字だらけのパッケージ。

ピースは「口紅から機関車まで」の著者でも知られるレイモンド・ローウィによるデザインである。
1951年、ローウィは日本の政財界から招待を受けて来日、当時の日本専売公社が計画していた「ピース」のリニューアルデザインを手掛けることになる。

既に米国で「ラッキー・ストライク」のデザイン刷新で成功を収めていた彼のデザイン案は、深い紺の地色(後にデザイン業界で濃紺をピース紺と呼ぶことがしばしばありました。)に金色の鳩がオリーブの葉をくわえ、白抜きの「Peace」の文字が大きく浮かび上がるものだった。
すっきりと、かつ大胆なデザインが完成した。

そして、翌年1952年4月の発売時、前年比3倍もの売り上げ増加に貢献した。
このことは、日本の産業界にとってデザインがいかに重要なものであるかを認識させた象徴的な事件にもなった。
そして、なによりもこのパッケージは美しいデザインであった。

その美しいデザインが警告文により、ほどんどめちゃくちゃに壊されている。
たばこのデザインにはデザイナーたちの心血が注がれている。
例えば、「ハイライト」のロゴマークはイラストレーターであり、映画監督でもある和田誠氏の作によるものだ。
洒脱、かつ自由な印象が素晴らしい。

もとより喫煙者は健康への害など、とうに承知であろう。
余計なお世話である。
喫煙は味わいや、デザインを楽しむ愛好家のものであれば、それはそれでいいのではないか。

もし仮に、国がたばこによる国民の健康や若年層の喫煙習慣を真に心配するのなら、それ相当の値上げと自動販売機撤去の方が、遥かに効果 があるのではないか。

そういえば、「口紅から機関車まで」の原題は『Never Leave Well Enough Alone』(「もうこれ以上できないというところまでやれ。決してこれくらいでいいとほおっておくな」)である。
ローウィらしい妥協のないものづくりへの態度が生んだことばである。

パッケージにしろ街の景観にしろ、美意識に欠けた行政の無粋さを変える妙案がなかなか見つからない。
しかし、この国の美意識がこれ以上壊されることを、もはやこれ以上ほおっておけないところまできていることも事実である。

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