その昔、羊飼いが杖を使い、小川や柵を跳び越えていた。
いつしか、もっと幅の広い川やもっと高い柵を越えることを競うようになった。
これが棒高跳びの原形である。
長いグラスファイバー製の棒を使い、自分の体を持ち上げる。
次に、持ち上げた体をひねりながら、決められた高さのバーを越える。
6m14cm、世界記録保持者セイゲイ・ブブカの記録である。
最近の、少し天井の低い家なら、3階建てに相当するほのど高さを跳び越えることになる。
しかし、このブブカでさえ、跳び越えるべきバーがなければ、恐らくその力の80%も発揮できなかっただろうという。
ここ数週間、これまでの人生で一番忙しいのではないかと思える日々を過ごしている。
対応しなければならないことが複雑になり、錯綜し、混乱し困惑する。
でも、なんとかその事態を受け止めていられる。
なぜか?
いま、心底、成し遂げたいことがある。
越えるべきバーや到達べき目標があるとき、人は力を発揮する。
ルイス・ボルヘスの短編「二人の王様と二つの迷宮」(「ボルヘスとわたし」ちくま文庫)を思い出した。
バビロニアの王が建築家や魔術師を集め、手の込んだ迷宮を作った。
ある日訪ねてきたアラビアの王をその迷宮に誘い入れた。
アラビアの王はさんざん迷い、ひどい目にあう。
なんとか神の力を借り、迷宮から逃れることができた。
帰国後、アラビアの王はすぐさまバビロニアに攻め込み、王を捉えた。
そして、バビロニアの王を砂漠に連れて行き、アラビアの王は言った。
「神があなたを私の迷宮へ、登るべき階段も、開けなければならぬ扉も、行く手を阻む壁もないこの迷宮へ、お導きになった」
真に恐るべき迷宮とは何か?
ボルヘスの自問自答である。
複雑な迷宮は人を混乱させ、困惑させる。
だが、本当に人を絶望させるのは、開くべき扉も、乗り越えるべき壁もない、つまりは何の目印も、目標もない獏とした空間である。と
1.目標を決める。
2.スケジュールをつくる。
3.そして自分を信じてチャレンジする。
迷宮を抜け出すには、この3つを実行するしかない。