第1062号『野球場からボールパークへ』

久々に友人と食事をしようと約束した。火曜日夕方、待ち合わせをした駅から予約した店へと散歩しながら向かった。途中、横浜スタジアムのある横浜公園を横切った。昨夜ここで、福岡ソフトバンクを破り、横浜DeNAベイスターズは26年ぶりの日本一になった。3万人以上のファンが集まり、さらに球場に入りきれなかったファンが取り囲み熱烈な応援をしていた。その高揚した空気がしっかりと残っていた。

2011年12月オーナー会社が株式会社東京放送ホールディングスから株式会社ディー・エヌ・エーに変更。社名を株式会社横浜DeNAベイスターズに、球団名を「横浜DeNAベイスターズ」に変更した。球団の成長の軌跡をマーケティングの観点から解説した前横浜DeNAベイスターズ代表取締役社長、池田純によるマーケティング本『空気のつくり方』幻冬舎(2016年刊)に詳しく記されている。こうして経営母体がDeNAになり、経営も球団も球場も、質と量とデザインが明らかに変わった。内情を知ると、頂点に至った結果は偶然ではなく必然だと納得する。

ふと遠い日の記憶が甦った。2002年10月26日。アナハイム・エンジェルスとサンフランシスコ・ジャイアンツのワールドシリーズ第6戦を現地で観た。5回にバリー・ボンズのホームランがあり5対0と一方的なゲーム展開でジャイアンツの勝利がほぼ決まったかと思われた。しかし結果はエンジェルスが奇跡の大逆転を遂げ、続く第7戦も勝利をおさめ2002年のワールドチャンピオンとなった。

幸運にも初めて目にしたワールドシリーズが、とてつもないビッグゲームであった。ゲームの流れや観客の熱気など驚くことばかりであったが、それ以上に驚いたのはボールパークという装置が演出するベースボールという名のエンターテイメントであり、同時にホームで戦うことの意味もしっかりと感じた。

エンジェルスのホームであるアナハイム球場は、その日4万5千のシートの、99%が真っ赤なチームカラーで埋め尽くされていた。声援はすべてエンジェルスに向けられる。 サンフランシスコ・ジャイアンツの主砲ボンズがホームランを打っても、まるで何事もなかったことのようにシーンと静まり返り、一方エンジェルスが打つと大歓声と共にセンター外野席に設置された岩場の舞台装置から花火が盛大に打ちあがる。また事前に渡された太さ5センチ長さ80センチほどの赤く細長いビニール製の風船を叩き応援する。そして、選手交代や攻守の交代の度にチームのマスコットであるRally Monkeyが巨大スクリーンに映し出され、その度に盛大な歓声が沸き起こる。悪と戦うわれら正義の神々(=選手)。まるで絵に描いたような試合運びだった。まぎれもなく、ファン(=信者)が勝たせた戦いだった。それは、煌々と照らされた光の中での神話(=ストーリー)のようにも思えた。

ブルーに染まるスタジアムとファン。イニング毎に繰り広げられるイベント。球場内外の告知やデザイン。野球場からボールパークへの変身。横浜DeNAベイスターズ(他に北海道ファイターズもマーケティングに熱心なチームだ)もまた、大リーグから学び、数々の優れた演出とマーケティング手法を取り入れているのだ。

かつて観光とは、仏様や観音様のご神体を拝む旅だった。まさしく”光の世界を観に行く”ことだった。それはケとしての日常からハレとしての非日常(=神話の世界)へ向かう膨大なエネルギーの集積こそが旅だった。目の前に現れているボールパークは現代の神殿であり、その光に包まれた神々(=選手)たちの動きをみながらハレとしての非日常の高揚感を味わっている。このボールパークこそが現代の観光地なのだ。

来季はもっと強いチームになっていると期待し、昨夜の熱気を感じながら横浜ボールパークを横切った。

お知らせです。
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15日(金)および22日(金)の2回、臨時でお休みします。次回のファンサイト通信は29日(金)に配信します。

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