第64回 YESの質

070629

ビートルズのジョンレノンが自らの半生を記録したドキュメント「Imagine」を見ました。
彼らの活躍していた時代がちょうど私が生まれたころで、小学生のときに銃弾に倒れたのが40歳。

映像からはどう考えても年を超越した「崇高な重さ」のようなオーラを感じ、自分と比べてあまりの違いにちょっと落ちました(笑)。

そのジョンが心から愛していた女性、オノヨーコさんとの初めての出会いが印象的です。
ニューヨークで開いていた彼女の個展にフラッと立ち寄ったジョン。

そこは何もない真っ白な部屋で、真ん中に椅子が一個置いてあるだけ。そして天井からは虫メガネがぶら下がっている。

椅子に登り、真っ白な天井の一点を虫メガネを使って見るとそこには「YES」の文字。
その感性にジョンは一発でノックアウトされてしまったようです。
彼はインタビューで「その言葉が何かしらネガティブなものなら私は彼女に対して何も感じなかっただろう」と。「YES」だったことで彼は救われたというようなことを語っていました。

ところでよく自己啓発などの本などを見るとやたら出てくる「ポジティブシンキング」という言葉がどうしても好きになれません。

そう思っててもなれない人が悩んだ末に救いを求めて読む本なのに、そのような人に対して無理に「ポジティブになりましょう!そうすればアナタは救われるし変われる!」なんてそれこそ安っぽい新興宗教の勧誘となんらレベルは変わらないと感じてしまいます。

そんなことよりも、まずは受け止めて肯定し、「YES」と受け入れることがどれだけ救いになるか、どれだけ力になるか、と私は感じます。

相手のことを本当に誠実に考えた場合、悩んだ相手が真剣に出した結果について「YES」と肯定することで人は救われ、新たなエネルギーをチャージすることができる、魔法の言葉だと思います。

ただ「YES」はときに質が全く異なる言葉として使われることもあります。

服従の「YES」。矛盾の「YES」。屈服の「YES」。媚びへつらいの「YES」。嘘の「YES」。 無責任の「YES」。無関心の「YES」。

若いとき「イエスマン」は最大の屈辱的&侮辱的な言葉だと思っていた私にとって、今感じている「YES」、私が発する「YES」は果たしてどんな意味を持つ、どんなクオリティの言葉なのか。それを真剣に考えていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です