
12月に九州に行った際、熊本のお笑い芸人で顔の広い友人に、ある方を紹介されました。
御堂岡啓昭さん。
熊本市内の繁華街に自分の店「AZITO(アジト)」を経営されながら、311以降首都圏から放射能を避けて移住する人達を献身的に支援。
熊本の脱原発・脱被曝運動のリーダー的存在で、いろいろな識者の方々の講演会サポートなども行っていました。
その彼が一昨日突然亡くなったと、フェイスブックで知りました。
享年44歳。広島生まれの被曝二世。
死因はまだ検証中ですが、店にいったスタッフが倒れている彼を発見した時には既に心肺停止だったとのこと。
その前にも過労で検査などしていたという話しを友人に聞きました。
彼に会ったのは、深夜3時くらいの彼の店。
その日に熊本であった講演会を主催した疲れか、店にいくとお客さんがいるのに入り口のイスで眠りこけていました。
しかし、友人に紹介された私に気付くと、物凄く眠そうに、しかし必死に私に話しをしてくれました。
「関東はこれからさらに放射能汚染も進みます。健康被害も間違いなく出るでしょう。いざとなったら新幹線に飛び乗れば九州に来れる。熊本でサポートしますから、こっちにくればいいじゃないですか」と。
そして帰り際にしっかりと握手。
ほんの15分ほどのやりとりの中で、強烈な印象を私に残した、それが彼を見た最後の姿でした。
ネット上での彼はかなり厳しい意見を発信。
後から知りましたが、急進的、攻撃的な論調に、一部の人にはいろいろな「口撃」を受けてもいたようです。
しかし、その思いが「被曝二世」としてのご自身の出自とも併せ、普通の人には理解しえないものだったのだと今にして思います。
また彼は実際に関東から避難した人を自分の店で雇用したり、まさに現実的な部分で献身的にそういう人を支えていたのです。
時代のパラダイムシフトが変わってきた今、彼がその生を全うする半ばで逝ってしまったことは非常に残念です。もっと話したかった。
金曜の朝にこんな重い話しをするのは申し訳ないのですが、彼の人生の軌跡を一人でも多くの人に知ってもらえればと思い書かせてもらいました。
そして彼が命を燃やして取り組んでいた脱被曝、脱原発の活動の火を繋いでいこうと改めて思っています。
合掌。