第280回 ヤスリ

原発や政治のことに関してあの日以来隠すことをやめただけでなく、ガンガン言うようになった私に、仲間のある人は
「ミッキー、お前は危険すぎるよ。丸裸で戦場に立ってるようなもんだ」という。
またある仲間は
「玉砕はダメだぜ。そのままいったら玉砕するよ。」という。
ある人は
「義憤に囚われるだけじゃダメだ、人がついてこない」という。

そしてまたある人は
「いろんなアプローチがあっていい。それは役割分担だしね。」ともいう。
全部合ってるし分かってるつもり。

家族がいる以上、社会に反抗しすぎて人に嫌われるのも、冤罪で捕まるのも、殺されるのも、そんな玉砕的なこと、誰もしたくない。
学者でも評論家でもなんでもない「ただの一市民」である私にとって、心の底にあるのは、小学校6年生の時にあった、私と同じ名前の子供を白血病で7歳で亡くした広島の被爆者のおばさんが原点。

その時からずーっと感じてた「なぜ?」「なぜ?」が解決できないままあの日があって今がある。

そんな感情論が私の原点である以上、今自分ができることは「ヤスリ」みたいな役目だと勝手に思ってる。

人の感情を逆なでする「ヤスリ」。
でも、今まで少なからず納得できないまま、でもちゃんと生きてきた人の感情の垢をこすり落とす「ヤスリ」でもある、そんな勝手でエゴな意識である以上、全員には受け入れてもらえないだろうなあ。

それも分かってるつもりなんですよ。

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