前回お知らせしたとおり、14日、15日と地元の横浜で「脱原発世界会議」が開催され、妻と一緒に参加してきました。
入場者数は主催者発表で約12000人。各会議の様子が動画サービス Ustreamで配信され、視聴者は10万人を超えたそうです。
この数字を多いと見るか少ないとみるかですが、私の感覚としては「世界会議にしては少ない」。
しかし、今までの日本人の社会的なムーブメントとしては「大きな前進」だというのが私の印象です。

14日はデモパレードに参加。人生初めてのデモ参加でしたが、老若男女、ピエロからお坊さんからミュージシャンなど、本当にいろいろな方々が大きな声をあげながら横浜駅から山下公園までを行進していきました。
道中、日曜の夕方であることもあり、沿道にはたくさんの人たちが半ばキョトンとパレードを眺めていました。
多くの方々が少しでも「なんでこの人たちはこんな声をあげているんだろう?」と感じ、少しでも日本の現状を考えるきっかけになってくれたらいい、そう思います。


15日は記事を書かせてもらっているヨコハマ経済新聞杉浦編集長のご厚意により、プレスとして各会場を回り、ゲストとして参加した俳優の山本太郎さん、ジャーナリストの岩上安身さんにもご挨拶できました。脱原発を掲げた自治体の首長さんも出席した会議にも参加、政治思想を超え、脱原発というところで力を併せ日本を変えようとしている方々もいるのだという事実にとても勇気づけられました。






未だ収束していない福島の現状を憂い、次世代に引き継ぐよりよい社会をつくりたいと真剣に考える多くの方々とフェイスブックなどを通じて繋がり始めて、その動きのダイナミックさに私自身も驚いています。
311以降、脱原発、震災復興というテーマに、はっきりと意思表明をしていかなければならないと私なりに動き、声をあげてきましたが、その中でそれまでの私を知っている方々から「ブーム」「自己満足」と指摘されたこともあり、実際に何人かの知人は離れていきました。
そのことに落ち込み、愚痴っぽくフェイスブックに書きました。
そのとき友人がいいました。
「何をいわれても気にするな。本当にそう思うなら10年言い続けろ。そしたらそれは本物になる。」と。
「一人じゃなかったんだ。」
無力感を感じていた私に、その言葉は強くささり、勇気づけられました。
私のように感じている人が少しずつですが確実に増えてきていると実感しています。
おとなしく理性的、悪く言えば従順だった日本が、中東のようにはいかないまでも変わり始めている、そう感じさせてくれる出来事がたくさん起っています。
どう思われても構わない。これからの日本を支える子供達に、少しでもよりよい社会を残したい。そう思います。
10年といわず、私のライフワークの一つとして、粛々とこれからも取り組んでいこうと思います。
4件のフィードバック
反原発デモが盛況だったことは素晴らしい成果と思います。
さて、このデモの参加者の中で、非常に少数ではありますが、警官に対して失礼な行動をした人がいたと聞きます。また、そのような行動をとった参加者を咎めるどころか、いっしょになって却って称える?ような人もいたとかいなかったとか。。。。もちろん真偽のほどはわかりませんが、ある参加者から伝え聞いた話です。
よく考えてみましょう。デモというのは警察の協力なしにはなしえません。また、警官のみなさんの中には震災直後から被曝の危険を承知の上で被災地で救助活動に身を捧げたかたも多くいたことは皆さんご存知のとおりです。そういう警察官にたいして無礼な行動をとった人がもし一人でもいたとすれば、このデモだけでなく、この世界会議自体の説得力が激減するのです。
今後、同様の活動を続けるにあたり、ごくごく少数とはいえ、上記のような参加者が引き続き同様のデモや会議に参加しつづければするほど、デモにも会議にもどんどん説得力がなくなり、賛同者が増えることもないでしょう。
ですので、このようなブログで上記のようなけしからん参加者がいたことを(可能であれば写真もそえて)レポートし、みなさんの真摯な行動について今後誤解と説得力の欠如をもたらすことのないように訴えていくこともこのブログの使命なのではないでしょうか。
野田さん コメントありがとうございます。確かに一部、そのような人がいた事実があります。
それも私は写真に収め、フェイスブックにアップしたところ、同じように警察官に対しての「無礼な」行動に対して諌めるべきだ、というご意見、また野田さんと同じようにこのデモの信頼を損ねることになる、というようなご指摘を頂き、それは確かに一理ある、と思ったので削除をしました。
ただ私達が知らぬところで権力による横暴があるのも事実。警察によるでっちあげで罪を着せられたあげく自殺した方のお母様は、国家権力に対して必死に戦いを続けています。
人々の中には、そういった権力に対する嫌悪感を覚えている人がいるのも事実。
そのようにある意味どちらも言い分、正義があり、かつ個々の主観が色濃くでるものであるテーマに対して、私がそれを周知することによってそこにいなかった方に対してどうとられるか分からない場合、その責任は私には負えないとと考えた末、削除をした次第です。
私自身は野田さんの指摘を受け、脱原発会議の全体的なイメージが一般的に反社会的なものとして捉えられてしまうことに対する危惧を感じたこと、また警察の方が震災後の復旧に尽力した事実に関してご指摘のとおりと反省し削除しました。それをどうとるかはまた見た方の判断によるものかと思います。
いずれにしても、野田さんのご指摘は貴重なご意見として感謝しています。今後もあくまでも真理に基づいた判断ができるようご教示ください。ありがとうございます。
ミッキーさん、なるほど、おっしゃるとおり、確かに権力に嫌悪感をいだいていらっしゃるかたも多いでしょう。もしそうだとすれば、そのようなことを主張するには反原発とは一旦切り離し、別の機会を設けて抗議行動をするというほうが説得力があるかとも思います。
反原発のデモはあくまでも原発に反対するというテーマなので、そこに警察に対する抗議行動も兼ねてしまうとやっぱりちょっとおかしいかなと感じます。
いずれにしろ、せっかく誠意をもって原発に反対するデモを行なっている人が大部分なのですから、そのようなかたの参加意義を損なうような行動は制していくのが良いのではと。。。
デモという行為は、賛同者同士の意思の確認や決断力の強化も重要ですが、現時点で意見を異にするかたがたの中に少しでも共感者を増やすということも目的だとすれば、たとえ日頃警察という権力に鬱憤がたまっていたとしてもその場ではぐっとこらえるのもデモとしては有効だと思います。
もちろん、このブログで、あるいはフェイスブックであえて当該写真を掲載するかというのはミッキーさんご自身のご判断に任せるものですが、このイベントの良かった点はもちろんのこと、こういう反省点もありました、ということを両方とも見せていくと結構説得力は高まるんじゃないかと思いました。
また次回同じようなことがあったらば(無いほうがいいですが)その時はまた検討してみてください!
野田さん おっしゃるとおりですね。その両方の側面を切り取ってみてもらう方が、結果的に多くの方に対する共感を生むものになるかと思います。
今後そのような機会があったら、切り口を変えて書いてみます。またアドバイスくださいね!