以前ここでお話しした「神奈川災害ボランティアネットワーク(KSVN)」の活動の中で、県の支援によりボランティアスタッフが宿泊できる拠点が岩手県遠野市に完成し、その開所式があるというニュースがあり、広報チームのお手伝いをしている私と妻に取材のチャンスをもらいました。
「いずれにしてもこの目で見なくては」ということを話していたので、いい機会だと二人で参加することにしました。
建設された施設は愛称 「金太郎ハウス」(笑) 40名のボランティアスタッフを収容できる立派な施設です。神奈川の足柄山で相撲をとったと伝わる金太郎は、黒岩神奈川県知事が強い思い入れで命名されたとのことです。
7月23日土曜の夜行バスに他のボランティアメンバーと乗り、翌日早朝岩手県遠野市に到着。
朝8時30分からの開所式には黒川県副知事、岩手 遠野本多市長をはじめ関係者の方が参列し開所を祝してスピーチをしたほか、現地に390年前から伝わる獅子舞の披露などもあり、盛況の中終了しました。




その後レンタカーを借りて大船渡へ出発。
約40キロのとてもきれいな緑の山並みが素晴らしい。道中は快適なドライブでした。

約50分後、大船渡の町に到着しました。しかし港にかなり近づいたにも関わらず周りはそんなに壊れていない。
「あれ?大船渡って被害なかったんだっけ??」となかばそれを願いながら海に向かい車を走らせていた私達は、ふと気がつくと紙屑のように骨組みになった工場、ぐしゃぐしゃにつぶれ積み重なった車、そして大量のがれきの中を走っていました。そこからが海までが、爆撃を受けたようにボロボロになった大船渡の中心街だったのです。
町は4カ月を経過し、ある程度画歴も整理されていましたが、家の軒先にまだ船が置いてあったり、亡くなった方がいた目印になる日付と×のしるしがいたるところにあります。
自衛隊もおらず、作業中のボランティアもいない、静かになった焼け野原のような町の中心部に立ち、多くの人が語っているように言葉を無くし悲しい気分になりました。
これが現実なんだ。これが沿岸沿い何百キロにも渡り繰り広げられている光景なのだ、とリアリティをもって感じました。





今まではもちろんですが、これからが本当の復興支援が必要になるということを現地に実際に行ってみて強く感じました。極端にいえばまだ何も始まっていない。でも毎日毎日、無償で被災地の為に働き続ける善意と良心の人がたくさんいること、そしてそのような人たちが連帯していることも実感しました。
図らずもこの震災にまつわる経験を通じ、私のなかでいろいろなことが変わってきていることを実感します。また不思議なご縁で本当に多くの人とも繋がりができていることに感謝をしながら、自分にできることをできる範囲で息長く続けていこうと思った東北行でした。