第179回 不定期連載 「わかものろん」改め「ひと論」 つながりかた

twinkle
twinkle

はじめに:
以前筑紫哲也さんの本を読んで書いた「わかものろん」ですが、「ひと論」に変更させて頂きます。「わかもの」という年齢での区切り自体があまり意味のないものだと思いだしたのでご了承ください。「ひと論」また思いつき不定期連載しますので、よろしくお願い致します。

ではここから・・・

新聞に「いま 子どもたちは」という、現代の中高生の現状をレポートした記事が載っていて、毎日興味深く読んでいます。

昨日は「リョウ 16歳」という男の子のケース。花野雄太という記者が書いています。
携帯ゲーム機[PSP」を手に、別々の高校に通う仲間4人がファミレスに集まり、モンスターと戦うゲームを通信機能を使って力を合わせて戦うのが楽しいという内容のルポです。ゲーム中はほとんどしゃべらず、時々ちらっと視線を交わす程度ですが、画面の中では完璧なチームプレーをするそうです。
そういえば誰か知人が、そのような若者達をどこかで見て「信じられない」といっていたのを思い出し、私も同じような光景を見て、同じ感想を抱いたのを覚えています。

しかし、記事の中でそのリョウ君が話した「やりすぎは良くないでしょうね。でも勝つという共通の目的があるから、絆が深まる。部活もゲームも同じなんじゃないですか?」というコメントには、「確かにそうかも」と納得する自分の気持ちの変化に気づきました。そう考えると、ロボットやクイズなど、若い人たちが力を集結させて挑むのは、何もスポーツに限ったことじゃないんだよなあという当たり前のことを改めて認識したのです。

ただそこに「口頭でのコミュニケーション」がない、というところに大きな違いがあり、そこがデジタルネイティブでない世代とのギャップとして取り上げられたり、それこそ「信じられない」とまで言われてしまうのだと思います。
また、脳科学分野でも「ゲーム脳」という言葉があるように、ゲームでは創造性が養えない、というようなことが研究でいわれているそうですが、これも実際のところまだ研究の途中であるとのことで、私としても最初にこの研究を聞いたときと比べ、正直なところ「断定はできないのではないか」というように持論が変わってきています。

なぜかといえば、前頭葉は単純作業の場合は活性化しないとのことですが、一人でやる昔のゲームと違って「通信機能」が付加されたことにより、ファミレスに集まるチームができ、結果定義がどうかは定かでないけれど「親友」ができた、とまでいうようなリアルな関係、行動を一応構築できているのは事実ですからね。

とめどもなく書いていますが、要は「つながりかたの概念も時代とともに変わってきている」ということなのだと思います。

とはいえ、そのつながりかた、コミュニケーションが異なる他者を排斥したり、リアルと繋がるならまだしも、部屋の中でバーチャルのみの関係しかない人も多いといった事実もあるわけですから、それはそれで心配だったりと、旧世代アナログ派とデジタルネイティブの間を漂う、ブロークンジェネレーション的スタンスの私なのであります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA