第136回 したり顔はいやなんだよ。

「したり顔」ができたら自分の人生どうなっていただろうと思います。
自らを振り返ると、日本を代表する「男の中の男」のせりふでもなんでもなく、本当に「不器用な男です」といわざるを得ません。

「百聞は一見にしかず」という諺を取り違えているような不器用なところが私にはあると自覚しています。
どんな取り違えなのか。
それは「百聞は一体験にしかず」というような取り違えです。
何でも自分でやってみて、リアルに感じてみなければ語れない、語るなら経験したうえで残ったものから語りたい。そんなところがかなり根強いモットーのようなものとして自分の中にあるからです。
それをもっと要領よく考えればいいはずなのに、結果としてそれをよしとせず、結局自分で経験しないと納得しない、まことに要領が悪い人間なのです。

恐らくこれは私の精神的な部分にかなり大きな何かがあり、そこから来ているものがあると思います。
よっぽど「したり顔」をして自分が体験しないことをしゃあしゃあと語るような人間にはなりたくないんです。
人がすでにやったことであっても、それを自分なりに納得しないと気がすまないのでしょうね。だから人の「したり顔」には結構敏感に反応すると思うし、逆にそれを体験した人に対してそれを感じる力もあると自分なりには思うのです。

そんなこんなで余計な時間を使ってきたわけですが、後悔は不思議としていないのです。
そのときそのときに考え、そこから自分の行動を決めてきたわけですから、それに対して自分の中での納得感はあるわけです。ウロウロしてると人には見えるかもしれないけどね。

しかしそれが理由で周りの人に手間や迷惑、ときには失望を与えてきたのも事実だと思いますから、これからはそういった人たちに対しても「ああ、それなりにフラフラしてたわけじゃないのだな」と認めてもらえるように、いろいろなことに対して誠実に取り組んでいきたいと結構まじめに思ったりしているんですよ。

まるで懺悔のようなブログになってしまった感じもありますが(汗)、なぜかこんなことを書きたくなってしまったのですから、それはそれで何か意味があるのかもしれませんね。

しかし、いろいろなことが今年は変わる。そんなポジティブな感じ、そしてパワーがいつになくある、そんなようなとても不思議な感覚です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA