住まいが海に近いことを感じる音がある。霧笛だ。日中暖かで、夜から朝にかけ冷え込んだ日、海水から霧が発生する。そんな時、ボーという霧笛が聴こえる。
霧笛とは、字義通り霧で視界が悪い海で、灯台や船舶が衝突や挫傷を防ぐためにボーという野太い音を発して、その位置を知らせる信号音のことだが、なんとも郷愁に満ちた風情を感じさせる。そして、僕は孤独についても考えてみた。
『華氏451度』で知られるSF小説作家レイ・ブラッドベリの自選傑作集『万華鏡』の一編「霧笛」を読んで、孤独とは何かについて思いを巡らした。
ストーリーのあらましはこうだ。
海底深く、遥かな時を超えて生き続けた一匹の恐竜の物語。数年前に出来た灯台から発せられるボーという霧笛を仲間が発した咆哮だと思い、仲間に逢いたくて海底深くから浮上し現れた。しかし、そこに仲間の影すらない。
百万年のあいだひとりぼっちで待っていた。百万年のあいだ、あらゆるものから切り離されて海の底にいた。その狂気に満ちた時間。ところが数年前からボーという声が聞こえてくる、あれは仲間のものだ。いま、ようやくこの閉塞から解き放たれる。そして海底から浮かび上がった。しかし、灯台は仲間でも恋人でもなく、固くつめたく立つ建造物でしかない。
二度と帰ってこないだれかを。いつも待っているだれかを。待ち続けた果の無に、自分が愛するものを壊したくなる。そうすれば、もう傷つかずにすむのだから。恐竜は灯台を破壊した。そして、恐竜は海底深く戻っていった。もう二度と現れることはないだろう。こうして、この物語は終わる。
孤独は愛の反対語ではない。愛するがゆえに孤独を受け入れる。この世には、愛しすぎてはいけないことがあるのだ。だから、本当に大切なものはギュッと掴むのではなく、軽くふんわり、そっと包み込むように握ることだ。