
小学校2年生から私のふるさとは横浜です。
今ではみなとみらいを中心に、山下公園、元町、中華街など日本の中でも「ベスト・シティ」だと誇れる街だと心から思います。
そんな横浜に、路上生活者の人が多く居住者の8割が生活保護を受けているというエリアがあります。寿町というところで、ほとんどが60歳以上の高齢者で、いろいろな理由によって社会から「はじかれて」しまった人が多く、正直地元でもあまり普通の人は近寄らないエリアでもあります。
先日その寿町で、コンビニから食べられるのに下げられてしまうお弁当や、キズがある野菜、あまった肉や魚を寄付でもらいうけ、限られた食材を最大限に活用して1食300円という値段で定食を出す「さなぎ食堂」のことを知りました。ドヤ街の人々を支援するNPO法人「さなぎ達」の運営する食堂なのです。
そこに働くシェフの土谷氏はまだ31歳。フランス料理のシェフをやっていたそうですが、ここの人を応援したいという思いからさなぎ食堂のシェフになり、毎日決まらない食材をいかにおいしく人々に食べてもらうか苦心して頑張っています。
見るとやさしそうな普通のお兄ちゃんという風貌で、淡々と料理を作る。毎日作る。ひたすら作る。
300円という値段から、NPOの活動は当然苦しいのですが、彼は「これは僕らなりの愛情なんです」と淡々と語っていました。
その食堂に朝夕足をひきずりながら必ず来る80過ぎのおじいさんがいます。そのおじいさんは九州の炭鉱夫だったのですが、閉鎖に伴いふるさとを捨てて横浜に来て、そのまま家族と疎遠になってしまい、今は3畳一間の簡易宿泊所(ドヤ)でたったひとりで生きています。
おじいさんは何が一番したいかと聞かれ「今さら帰れなくなってしまったけど、ふるさとに帰りたい。ふるさとを見れたら死んでもいい。子供のころが一番楽しかったなあ。」といって泣いていました。
おそらく彼はふるさとに帰ることなくその一生を終わるでしょう。そんな日々のなか彼はどんな思いで3畳一間の部屋で生きているのだろうかと思うと胸が苦しくなりました。
そんな中、若いシェフやおばちゃんたちが奮闘して作る暖かい食事がどれだけおじいさんの心の支え、生きる支えになっていることか。金や地位や名声も権力もないかもしれないけど、彼らのその魂はどれだけ純粋で崇高か。
弱いものいじめが当たり前な窒息しかけの世の中で、人間のもつ良心から生まれた「感動するってこういうことだ」と再認識できるようなストーリーが地元横浜で何年も前から続いていたことに、私は「勇気」を与えられました。
「やさしさとは何か」という問いに
それは他の人に生きる勇気を与えること、つまり
「やさしさとは強さ」 なのだ。
遠い昔ある人にそういわれて理解できなかったことが、ほんの少し分かった気がしました。
1件のフィードバック
その場で与えられる限られた食材から料理を作ること、
フレンチでいうところの「スポンタネ」という料理だそうです。
三つ星シェフであり創作料理の第一人者、フレディ・ジラルデに師事した
日本人が、かの「オテル・ドゥ・ミクニ」の三國清三さん。
料理人の闘志にも似た情熱は、まさしく愛情であり、尊敬に値しますな。