第152回 「保存力」「想像力」「創造力」

100521

先日江戸東京博物館の特別展「龍馬伝」に出かけてきました。
福山雅治さんがNHK大河ドラマで演じる坂本龍馬が大人気で、その影響もあり会場にも多くの人が訪れていました。

多くの日本人と同じく私も若いころから龍馬兄を尊敬してやまない一人ですが、彼の人気の原因は彼が非常に筆まめで、その為に残された多くの書簡が、オフィシャルに成し遂げた偉業とともにその魅力的なキャラクターを色濃く現世にイメージさせることに成功したからなのではないかと思います。

また彼の師であった勝海舟氏もその書簡「海舟日記」に仔細に渡りさまざまなことを書き連ねていた為、全体像が非常に見えやすい、形にしやすかったからなのではないかと感じました。

そんなことを現代に生きる我々にあてはめて考えてみたところ、デジタル技術によって我々が今こうして生きている証は「アーカイブ」(書庫)という形で半永久的に、しかも非常に鮮明なかたちで残されるのだ、という今では当たり前の事実に改めて気が付きました。

龍馬が生きていた時代にもし今大流行のtwitter があったら、それこそどんなにおもしろいコメントがたくさん残されたのだろうか。。
そんなことを考えていたらふとこんなものを見つけました。
twitter 坂本龍馬BOT http://twitter.com/RyomaBot2
プロフィールからみると、高知県の坂本さん(笑)という方が、司馬遼太郎氏の名作「龍馬がいく」はじめその他の文献に残される彼の言葉をピックアップし「つぶやいて」いるものです。

おもしろいのは彼の言葉の更新頻度が非常に高く、しょっちゅう彼のつぶやきが表示されるので、ちょっと彼が現世に生きているような錯覚に陥ったり、また彼のつぶやきに日々元気をもらっています。

これもまさにデジタルな現代社会を象徴する事象なのだと思います。
デジタル技術がない時代の「保存力」の限界によって、全てが分からないからこそ後世の人間が「想像力」を働かせることが可能であり、そのことにより数々の優れた文学作品ができた。

それは想像力が生んだ素晴らしい人間の英知でありますが、後世に向けて全てを克明に、鮮明に残すことが可能になった現代、我々の「創造力」がさらに試される新しい価値の時代に生きていると思うわけです。

2件のフィードバック

  1. 本当に、自由人でしたね!!

    今の「情報氾濫」の時代でも、きちんと的確な判断が出来ただしょうね^0^

    四国の人は、酒が強く豪放磊落☆そのカッコ良さと、柔軟な経済思考・・・よく脱藩したもんです。藩内に残っても充分に出世したはずなのに◎

    薩長同盟は、仇同士でもありますが、英国と喧嘩して負けた同士でもあり、当時の最先端の技術を学習した同士☆☆☆

    ロバート・キヨサキ氏風に言えば、人的ネットワークの構築の成功なのでしょう♪

    ミッキーさんの周りにも、多くの魅力的な方が集まって来てますよね^0^

    平成の「龍馬」になって下さい!!

  2. どんちゃん
    コメントありがとう!
    うーん、しかし藩内では郷士の立場で身分の差におそらく非常に苦しんだんじゃないかと。山内容堂公が切れ者だっただけにどうなんだろうかと思いますね。

    「平成の龍馬」あまりにそれは荷が重い(笑)ですが、人をつなげることがちゃんとできる人になりたいですね。

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