先日、酒席で釣り好きな先輩から、その奥義の一旦を教授いただいた。曰く、狙う魚によって、えさ・糸の長さ・潮目・時間などを読みながら釣糸を垂れるのだと。傍目から見れば、のんびりしているように見えるが、実は細々と計算し魚ごころを掴むことが要諦であることを少し理解できた。
物価高でかつ不景気なご時世でも、流行っている場所や店は必ずある。お客を魚に例えるなら魚ごころならぬ、客ごころを掴んでいるということか。これまで、僕自身ファンの心理を知る上で様々な(人が集まる)現場を取材してきた。こうした体験の中から、2つほど例を引いてみた。
まずは1つ目、以前の仕事場の近くにある公営の室内プール。これまではお役所仕事で9時からの開場だったが、民間委託により7時に時間を変更した。これが功を奏した。いままでは並ぶこともなくチケットを買うことができたが、時間変更のあとチケット販売機に列ができるほどになった。この戦略はなにも目新しいもではない。かつてアサヒの主力缶コーヒー、ワンダに敢えて”モーニングショット”と銘打つことで、一気に朝の需要を広げた事例がある。時間や期間を括ることで新たな地平を拓くことができるのだ。このプールは朝から身体を鍛え、スッキリとした気分で出社したいと考えていた人々のこころを掴んだ。それは、彼らにとってたんに泳ぐためだけのプールではなく、朝から頑張っている自分を発見し、ビジネスという戦場で戦う前の心を整える場所でもあったのだ。
そして2つ目の例はパン屋さん。そのパン屋さんは駅から離れた住宅街にあった。そこにあったのはログハウス風の平屋づくりの(=まるで「大草原の小さな家」を想わせるような家)お店だった。さらに、商店街でもない住宅地エリアに1つだけある店(大草原の中にぽつんと立っている)での開業が良かった。平日は勿論、土曜、日曜は特に親子連れでいっぱいになる。まるで、休日この小さなパン屋さんに来ることで家族愛の確認をしているようにも見える。もはや子供たちも両親も、ここは単なるパン屋さんではなく、幸せな愛の時間を共有する聖なる場所としてファミリーのランドマークになった。
流行るには理由がある。プールもパン屋も本来持っている泳ぐための場所、パンを買うための場所といった機能だけではない何かを提供した。それは、自分にとって意味ある物語を醸成できる場だということである。その物語が、一人ひとりのこころ(インサイト)に釣り針がかかったのだ。