第233回 あの日から始まる物語② 「女川商店街復幸祭」 女川のヤングライオンズ

3月もいよいよ終わりに近づいてきました。
先週末の18日は、人口1万人のうち10%を失った宮城県女川町で開催される「女川商店街復幸祭」の運営ボランティアメンバー約70名に同行。
月曜日帰着の変則スケジュールにも関わらず本当に多くの人が集まってくれ、土曜の夜バスで横浜を出立しました。
昨年「南部市場まつり」で大声を出しながら一緒にかまぼこや昆布巻を売った女川の若い仲間たちが、今度は故郷の復興にむけて必死に準備した祭り。
1年たってようやく開催までこぎつけたこの祭りがどんな祭りになるのか、とても楽しみです。

停車した朝焼けの病院の駐車場で、すべて更地になった中に、いくつかの建物が残った町の姿を皆で見下ろします。
横倒しになった4階建てのビル。2回転半して横たわる交番。引き波によって海と反対側だけが骨組みになっているビル。
海に向かって全員で黙とう。静寂の中、朝日が町全体を照らしていました。
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会場へ向かう途中突然バスより高い瓦礫の山が両側に1キロ以上続く通称「ガレキロード」が出現。
テレビや写真では絶対に分からないその圧倒的な量に皆が言葉を失っていました。
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その後イベント会場である町内の大きな運動場と体育館に移動。
奇跡的に見つかったことから「希望の鐘」と名付けられた駅前の鐘を、37歳の須田町長が響かせてイベントがスタート。
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大漁旗に囲まれたステージでは、地元に伝わる「轟太鼓」、宮城でも大人気の北海道放送「水曜どうでしょう」の嬉野・藤村ディレクターやエンディングテーマの樋口了一さん、演歌歌手やシンガーソングライターの方の演奏、ご当地キャラ「リアスの戦士 イーガー」など、誤解を恐れずに言えば被災地とは思えないたくさんの出し物で、隣接する仮設住宅から来た多くの方が楽しんでいました。

体育館の外では全て流されてしまった女川商店街の方を中心にした出店が並びます。
魚のフライや特産のわかめ、新鮮な野菜、漁協青年部によるホタテ焼きやカニ汁、南部市場メンバーによる輪投げなどに多くの人が笑いながら楽しんでいます。
値段はみな再三度外視の超特価。それでも皆商店街の皆さんは、並ぶ人々に汗を流しながらとても嬉しそうに仕事をしていました。
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そんな祭りの外では、更地になって海から吹きつける風に負けず、ボランティアメンバーの皆さんが率先して車に笑顔でおじぎをしていました。
聞くと誰ともなくそれを率先して皆で始めたそうです。女川を応援したいと願うボランティアメンバーの「こころ」がありました。
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最後には樋口さんによる「水曜どうでしょう」のエンディングテーマ「1/6の夢旅人2012」を会場の皆で合唱して祭りは大成功のうちに終了。
聞くと女川町の人口を超える1万人以上の方が来てくれたそうです。昨年11月に無投票で選出された若き須田町長の目には感動の涙が光っていました。
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実際のところ現地では「祭りなんかやるのか」という声やいろいろな問題があったと聞いていたのですが、最後に挨拶をしてくれた実行委員のみんなが「なんにもない町だけど、前を向いていくしかない。」「俺たちがここに日本一の町を作るんで。」と力強く語った言葉に、思っていた通り私達の方が勇気と元気をもらいました。
あるボランティアの方が「困った時はお互いさま、もし東京が災害にあったらそんときは助けてね」というと、実行委員長のAさんは「その時は何があってもトラック満載にして救援に駆けつけますよ。安心してください。」と力強く話していました。
あの日から1年を経て、未だ更地の町から立ち上がろうとしている女川を心から応援するボランティアや南部市場の熱いメンバー。
そしてその復興を仲間たちで自ら宣言し、歩き始めた女川の人々。

正直昨年3月11日までは、東北に対して何か特別な感情を感じたことはほとんどありませんでした。
これも何かしら私の人生にとって一つの転機になったのです。
「今は一番ひどい状態。これからは足し算でしかないから、立ち直っていく私達のことを忘れないでいてください。」
そう語る「女川のヤングライオン」たちの言葉を楽しみに、来年、そのまた来年と立ちあがっていくであろう東北の小さな町を見届けていきたいと思います。
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