第143回 わかものろん 

朝のテレビである広告代理店、東京芸大が都内の私立小学校4年生とコラボレーションし、CMの手法を取り入れて子供たちにコミュニケーションを教える授業をやっていると放送していました。
自分のPRポイントを15秒のCM形式で披露する子供たち。音楽もいれば踊りもいたり、多彩に皆で演じます。こうした一連の製作過程で子供たちは自分を客観的に見つめなおし、また他者との関係性の中でコミュニケーションをすることを学ぶそうです。

舞台は偏差値の高そうな私立小学校なのですが、そこで一人モデルになった男の子がおり、自分のよさを発見できず悩んでおり、同じクラスの子となじめず苦労していました。
最終的には必死に悩んで自分の得意な水泳のCMをつくり上演、性格も明るくなり友達もできてめでたしめでたしという展開で、ここまでは「なるほど」という話で、なかなか面白いプログラムだなあ、でいいのですが、その子がそれまでの悩みに答えた言葉に「!」と反応しました。

「今までは友達が傷つかないように話しているだけだったけど・・」
それが彼自身が同じクラスの子と馴染めずにいる原因だったのです。
なるほど、4年くらいならこういった他者との繋がりを意識しはじめる時期かも・・と思いつつ、故筑紫哲也氏が著書「若き友人たちへ」(集英社新書)の中で「今の若者は他者をとても思いやるやさしさを昔よりももっている、そしてそれは明らかに異なる話法として定着してきつつある」というニュアンスを書いていたことを思い出したのです。

「おお、もしかするとこのような思いを筑紫さんも感じていたのだろう」
と思いつつ、今の若い人は・・」的な考え方をすること自体がオッサン、いやそれなりの年なのだ、ということを感じてもみたわけですが、確かに氏が生前遺作のようなかたちで書き残しておきたい、といった言葉を読んで、かつ実感としてそれをテレビで聞いた私のスイッチが入ったのです。

また「そんなことはないです、人それぞれです!」という意見も実際に若い文屋からは聞いたりもするわけですが、自分の子供時代と比べ、それが世代的に今の若者と何か違いがあるだろうか。そもそも何をもって「若者」と定義しそれを論じるのだろうか。

半ばどうでもよいかと思いつつ自分的にこのテーマは結構面白いなと思ってしまったので、何回か筑紫氏の「若き友人たちへ」を参考にしながら「若者とは」みたいなものについて感じることを書いてみたいと思います。

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