
昨今では批判の的にもなっている企業の「猫も杓子もエコ・エコ」キャンペーンの氾濫ですが、私としてはそれほど否定的には考えていません。
それはどんなかたちであれ、マジョリティを形成する人たちが意識をしなければ、所詮理想論に終わってしまいかねない地球温暖化の現象については変化を望むことが難しいと思うからです。
今までエコの「エ」の字も知らなかったオバチャンでも「それはエコじゃない」とか使うようになったことを考えても、効果があったのではないかと思います。オバチャンはおそらくそこまで知らなければ今日も資源の無駄使いをしていたかもしれないのだから。
それは私たちが生業としているウェブサイトでも同じことで、クオリティ・コントロールは当たり前ですが、それと同じくらいとにもかくにも「存在」を知られることが重要ではないかと思うからです。
多くの人間は自分との直接的な関連性がない場合、知らない意見などに関して懐疑的・無意識的な傾向が非常に強く見られると思います。
なぜ私がこんなことを書くのかというと、それは別に私が優秀な人間だ、とかいうことではなく、自分が昔から多くの人と共有すべきではないかと感じていたことが周りの人にとってみれば「どうでもいいこと」と受け取られる経験を幾度となく感じてきていることによります。
しかしそれはよくも悪くも自分の個性を形成するのに役立ちましたし、その「ベタ」な思いこそが「自分は他とは違うんだ」というエネルギーにもなっている気がします。
人間にしてもウェブにしてもサービスにしても商品にしても同じで、その認知を広め、多くの人の支持を集める為には最初は「ベタ」なアプローチがあってもいいんじゃないか、どうやら私はそう思う「ベタ」なタイプの人間のようです。
2件のフィードバック
そんなベタがぼくは大好きです。
ベタといわれる定番さは時に必要不可欠な気がします。(^^♪
ベタから抜け出したいベタな人間代表のまさやんでした。(^u^)
>まさやんさん
コメントありがとうございます!
そうですか???
まさやんはそのままが一番いいと思います。
大阪で子供たちが慕うのもその「ベタ」さだと思うんですよね。