
「日本はこのまま終わっちゃうのかな?」
知人のショッキングな問いかけに、私は即座に「終わるでしょ」と答えた。
日本の現状に半ばあきらめに近い感情が出した答えだった。
しかし私の口から次の瞬間出た言葉は「いや、終わらない」だった。
知人が仕事で知り合った20代前半の女の子が、彼氏の強い嫉妬からDV(ドメスティック・バイオレンス)の被害を受けているという事実を聞いた。
それでもその子は彼氏とも別れる気もなく、大怪我をしながらも応戦しており、それがさらに彼の実家で起きているという現実をヘラヘラ笑いながら話すという。
あまりに常識的な感覚からかけ離れたその子の話を聞いた知人は、その感覚に日本の将来を重ね「日本はこのまま終わってしまうのでは」と考えたのだった。
記憶に新しい秋葉原での惨劇をはじめ、耳をふさぎたくなるような若者の事件も多い。
テレビでも「若年層の犯罪・・」などのショッキングなコピーがずらりとならび、どうにもやりきれない気持ちになる。「格差社会」と称される昨今の社会状況に対してどんどん追い詰められた若者が、狂気に満ちた犯罪を起こす。閉塞感にあふれた政治。展望や希望のない未来。一部の大人達の汚れた価値観。平和ボケで去勢された若者。
そんなマスコミが創り出した日本社会のイメージに、いつから日本はそんなふうになってしまったのか、この国に未来はなかろう、と半ば思って「いた」。
しかし。
今でも老人に席を譲る人はたくさんいるし、平和活動や地球温暖化防止のため世界各国の若者と交流する大学生もいる。しかもウェブの普及でそれらの活動は非常に活発化している。
若年層の犯罪発生率だって昔よりも、また先進国のそれと比べても低いという。
温暖化にしてみても「エコ」を正しく理解している人も多くいるし、人道主義に基づき人助けをする人たちだって非常に多い。
つまり。
若者に限らず人間は「分化」されてきているのではないか。
まことしやかに経済的な側面をもって謳われる「格差」ではなく、明らかな意思のようなものをもって人間は「分化」してきている、そんな気がする。そしてそれは時を経て「細分化」へとつながるであろう。
正しいか正しくないかは別として、それが進化の過程であれば正しいとされる人間も以前よりはっきりと存在しているのだ、という思いが最初の「いや、終わらない」につながったのだった。
ただそれが今後加速していくことが避けられないのであれば、「分化」の材料となる情報の質、そしてそれを見聞きし判断する自分自身のスタンスを考えていくことが重要なのだと思った。
3件のフィードバック
ほんとうに・・・忌まわしい事件が毎日のように、テレビから報道されているこのごろ・・。
日本はいったいどうなったの?と思わずにはいられないですよね。 と思えば・・・。 ここ、私が住んでいる町では、老人の方々が登下校時に、「見守隊」として、安全を見守ってくれています。窓からは、「おはようございますぅ~ヽ(゜◇゜ )ノ」という とっても元気な小学生の声も聞こえてきます。 穏やかな毎日が変わらず続いているのも現実ですが。
今ね、中学2年生の娘が 携帯電話の「パケットし放題」にしてほしいと、言います。 我が家は、塾の送り迎えのため、早くから娘に携帯を持たせていましたが、インターネットを使い出したのは、中学生になってから・・。しかも、パケットパック10という契約で すぐに限られた金額に達してしまいます。そのため、「使い放題」にしてほしいといいますが・・・。 親の考え方もそれぞれで、「パケットパック10やったら、損やん! 使い放題にしたり!」という親御さんもいらっしゃいますが・・・。 どこかに、「ブレーキ」は必要だと私は思っています。
ん?今日は、まじめなことを書きましたねぇ~(^^)ゞ
今日もおげんこでまいりましょう~♪
分化~ロンサム・ジョージの物語~
「昔」を鑑みれば、公開処刑が行われ、姥捨て山に老人は捨てられ、切腹が行われ、人身売買も行われていた。殺人事件も起こっていたのではないだろうか。
人間の本質は、現代と昔とではそれほど変わっていないんじゃないか?というのが、私の解である。
では現代と「昔」では一体何が異なるのだろうかと頭をめぐらせてみると、しいて言えばメディアの発達、情報伝達能力の向上などにあるといえる。
「昔」の人々は、棲んでいる村落以外の場所で起こっている事象に触れる機会はなかったし、誰が姥捨て山の出来事を報道したのだろうか。
現代では、インターネットを通じて誰もが、世界のあらゆる場所で起こった事件を知り、なおかつ発信することができるようになった。
つまり、精度は荒い網からより細かな網へと変わったため、その網に捕らえられる事件の量が増えたのではないかと
考えるのだ。
こうして起こりうる人に対する影響を考察すれば、少しでも事件性をはらめば、その情報は発信される。
人の命の重みは、依然よりも格段に重要度を増したことになる。この事象だけでは、本質的な人の進化の過程における分化は、見出せないと思われる。
では、何が人を分化させているのだろうか。
人の命の重要度が増す事によって、社会に対する一個人の重要度が増す。
これまで、見えていなかった一個人のベクトルは、これまで社会という全体ベクトルにかき消されていたが、それが露呈するようになった。
これに合わせて、村落から世界へと広がりを続けた個人は、一つの社会の中だけでのものではなくなり、複数の異なるコミュニティに所属し、さらには形成するようになった。
こうして、これまで中心と考えられてきた人間活動における「中心」には、「社会」が存在していたが、それが「個人」に移り変わったのではないだろうか。
故に、今後も「個人」の重要度は増しつづけ、いつかは国という枠組みが必要ではなくなる。
さて、分化というものに話を戻すと、ガラパゴスに生息するロンサム・ジョージの話を知っているだろうか。
大陸から隔絶された離島では、固有種や亜種といった動植物が多く見られるのだが、ガラパゴス諸島では、同じガラパゴスでも島によって、別々の進化を遂げている。
人間の流入によって、大きくその進化は捻じ曲げられ、一人ぼっちになってしまったガラパゴスゾウガメの亜種のピンタゾウガメ。
彼の事を思えば、まだ人間は進化の過程にあるとはいえないような気がします。
>うみちゃん
レス遅くなりすみません!コメントありがとうございます。
このコメントを返す前にまた起きてしまいましたね。
中学校の娘が父親を・・・
いつもこのてのニュースに考えさせられながらも、それでも信じていくしかないのだと自分にも言い聞かせています。
環境で人は変わると信じているからこそ、オトナがオトナらしくあるべきだと思うので、モンスターペアレンツなんて理解できない。オトナの復権を信じたいですね。
>だいすけさん
コメント有難うございます。
> 故に、今後も「個人」の重要度は増しつづけ、いつかは国という枠組みが必要ではなくなる。
おっしゃるとおりですね。ネットの出現が個人の重要度を増しているのはまさに事実であって、しかしだからこそ分化が加速するのだというのが私の考えです。基本人間は退化はしていないと思うし、まだ進化している生き物であると思います。
ロンサム・ジョージの話、詳しく聞かせてください。