第107回 ファミリーツリー

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先週末、祖母の13回忌で久しぶりに群馬に行ってきました。
群馬の高崎にあるお寺に両親と私が同行し、久しぶりに親戚とも会うことができました。

おばあちゃん子だった私は子供のころ、夏休みの度に祖母に連れられ群馬に行き、
都会ではできない遊びを親戚の子供と一緒にしていたのです。
カブトムシをとったり、川で遊んだり、ドライブでダムに連れて行ってもらったり、夏祭りにいったり。
祖母の妹の家だったので本来「田舎」とはちょっと違うのかしれませんが、皆で本当に親切にして
くれました。

実はここのところ本当に休みのない感じで常に走っているので、不謹慎ながら特別な意識もなく、
1つのイベントという感覚で群馬にいったのです。

何名かの親戚と合流し、法事が始まりました。
現代社会らしく、先代の跡を継いだお坊さんはダブルワークだとのこと。
たださすがにそこは代々お寺で、住職の読経の太く伸びやかな声に、静かで
穏やかな気持ちになっていくのがわかりました。
その後に焼香をし、お墓参り。親戚がまめに手入れをしてくれている関係で、お墓はきれいに
保たれていました。
無事法事も終了し、近くの料亭で会食。殆ど顔もしらない遠い親戚なのに、ファミリーツリー
の連なりがあるという前提で、なぜか会話が暖かいものになっている不思議な感じでした。

会食後親戚の家に行くと食べたにも関わらずお茶にぼた餅、こだわりの家庭菜園で
作った味の濃い野菜の漬物やおひたし、蕗やウドの煮物。
派手じゃないけどなんだか温かい。

帰ってきてからその思いがじわじわと沸いてきました。

今、そんなファミリーツリーがぼきぼき折れている、または枯れているニュースが多いですよね。
読経の声を聞きながら、自分たちの代になったら昔遊んだのに何十年もあってない彼らとファミリーツリーはどうなるのか。
そんなことをちょっと考えてしまいました。

じわじわと響くような味わいの感覚って、その場を過ごさないとわからないものだな。
今もしかすると価値として求められているのは、そんなじわじわとした温かい感覚なのかも
しれません。

2件のフィードバック

  1. mixiではお世話になっております。
    こちらでは初めてコメントするので少し緊張します。
    が、頑張ります!

    「ファミリーツリー」良い言葉ですね。

    私も5月に法事へ行きまして、書かれている文章と同じ様な
    感じを味わいました。
    しかし、10年20年ぶりに会っても和気あいあいとお話が出来る。
    これってとっても喜ばしいことですよね!
    遠い親戚で全然会わないのに、私の事を気にかけて下さったり、
    相談にのって話をきいて戴ける。素晴らしい人間関係だと感じました。

    都会にいると時間もなく、話もそこそこで、どうしても話の解決
    までに至らない場合が私は多く、せっかく会っても心なしか残念な事があります。
    でも、法事と云うなの飲み会?はそうではなく、とても素敵なひと時を味わえました。

    幸い、この法事を境にmixiで親戚と交流できているので、ちょくちょくは
    会えないけれども、交流が出来ていることに感謝の気持ちで日々、過ごしています。
    そりゃ、会えた方が良いのは確かだけれども、こうして文明の力を使っての
    コミュニケーションが、もっと安全で楽しいものになれば良いと切に感じました。

  2. >アカネコさん
    おっしゃるとおりですね。
    ネットの価値として、あくまでもリアルに人を繋ぐことでの可能性を高めることが最も大きいのだと思います。
    価値観を共有でき、それを善い方向で活用できるようにするのは我々次第ですよね。
    ファミリーツリーならぬウェブツリーともいうべきか。。
    これからもよろしくです!

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