第61回 畏怖

070608

先日、世界で最大最悪の虐殺者アドルフ・ヒトラーのDVD「ヒトラーの生涯」を見ました。

この作品は在任中に積極的に自らを撮影させた何と300万メートルにわたるフィルムからから選び出された貴重な映像がコラージュされたドキュメントです。

それを見ていて本当に理解できないことが一つありました。

それはドイツ国民の彼に対するもはや信仰とも呼べる一種の自己催眠的な熱狂ぶりです。

当時のドイツは第一次大戦の戦争責任を取らされ、屈辱的な政治的、経済的制裁を受けて異常なほどの失業率でどん底であえいでおり、そこにドイツ民族の誇りを取り戻すために登場した「救世主」として自己陶酔した狂人を選びながらも、それに気づかずに人類として史上最悪の虐殺をさせてしまった厳然たる事実が克明に記録されていたのです。

演説を聴きながら涙を流す多くの群集。右手を上げる有名な「ハイル・ヒトラー!」を広場に集まった大群衆が一斉に行うさま。夜に何万人ものたいまつをもって行進し、最後にはそれが人文字のように鍵十字「ハーケンクロイツ」になる様など、異様な光景がどんどん目に入ってきました。

日本も同じ過ちを犯したとはいえ、決定的に違うのは「現人神~あらひとがみ」として日本人の心に深く根ざした「天皇家の血」の論理はなく、彼は一介の貧しい活動家だったということです。

また近隣諸国にいきなり攻め入って蹂躙したり、ユダヤ人大虐殺を行うまでの間は、それだけ国民を陶酔させるだけの異常なまでのカリスマ政治家だったことも事実です。

それにしても。

あのスタイリッシュな制服や統率された動きなどは今見ても斬新で、カッコいいと思ってしまいます。そんなドイツ人が優秀であることは否定はしませんが、所詮は軍隊を背景にもった独裁者に国の運命を委ねることを彼ら自らが選んだというあたりに人間の怖さを感じざるを得ませんでした。

今の日本でも特攻隊を題材にした映画で「戦争賛美ではない」と得意げに語る政治家がいます。彼はヒトラーほどのカリスマは全くないですが、アジアの人間に対する認識や、その思想に関してどこか共通するものを感じるのは私だけでしょうか。

希望のない社会。子殺し親殺し、自殺が毎日のように起こる国。開き続ける経済格差。止まらない汚職。エリートの性犯罪。麻痺したデカダン・カルチャー。経済的に破綻に等しい国の借金。

特攻隊をはじめ命を落とした多くの人の死を否定するわけでは全くありません。しかし生き残れる奴だけ生き残れ、弱者は弱者で死ねばよい、という社会は彼らが望んでいた社会なのでしょうか。もっと前向きに社会を変革し、世界の平和へのリーダシップをとる国になることはできないのでしょうか。

世界で唯一人道上許されない体験をさせられた日本人だからこそできることもあると信じつつ、閉塞した社会であえぐ今の日本人が将来間違った選択をしないことを心から望んでいます。

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