また起きてしまった。
できればもう二度と見たくなかった「親殺し・子殺し」のニュース。
何が起こっているのか。
全く理解ができない事件があまりにも最近の日本には多い。
17歳の少年は「誰でもいいから殺したかった」のだそうだ。
その日の夕食まで作っていたかもしれない、そしてどんなことがあったにせよ、彼に17年毎日食事を作ったであろう、そうやって育ててくれた母親を殺し、生首を持って自首した少年。
彼のしてしまったことに関しては何をも語ることはできない。
理解できないものを理屈づけて語るほど私は麻痺していないから。
ただ、間違いないことがある。
子供は悲鳴を上げている。
兄がそれこそいのちをかけて育てている2人の姪っ子の中1になる姉が夕食の時いった。
「○○小学校の3年生はね、3年生なのに”ウザイ”とかいうんだよ。ワタシのときはそんなこという子はいなかったのに・・」
平成生まれの彼女たちにとっても理解できない、そんな変化がおきているようだ。
子供は悲鳴を上げている。
そんな状況を嘆くばかりだけでなく、好奇の目でさえ取り上げるマスメディア。
子供の悲鳴は大人の責任でもある、と思う。
嘆いたり、絶望したり、無視したり、虚無ったり、傷つけたり、つるし上げたり、だましたり、妬んだり、ほじくり出したり。
そんなことだけがオトナの生き方じゃないし、それが未来じゃないんだ、ということだけは自分の身をもって表現したいし、伝えていきたい。
地球温暖化防止の為にゴア副大統領の「不都合な真実」に賛同したたくさんの世界的ミュージシャンたちが7月7日に世界で同時にライブをやるそうだ。
自然環境の激変に対して、オトナたちは未来の人類の生存をかけて動き出してもいる。
そしてそんなビッグニュースばかりでなく、本当に自分の生まれた意味を考え、子供たちの幸せを願って一生懸命頑張っているオトナだってたくさんいることを伝えたい。
私たちのチーム「ファンサイト」は「楽しさ」という要素を新しいショルダーに据えた。
私は世の中のオトナに対して、なんら偉そうなことをひとつもいえる立場ではないけれど。
そしてもちろん人生って楽しさだけじゃないだろうけれど。
でもメディアの一端を担う人間の責務として、悲鳴を上げている子供たちに「生きることは大変だけど、楽しいはずだよ」というメッセージをなんとかして伝えていきたい。
そう思う。