ここ数年、世の中の常識になっている「勝ち組・負け組」という言葉が私は大嫌いです。
何をもって「勝ち」となり、何をもって「負け」となるのか。
それが自分の価値基準に基づいて自分で判断するならまだしも、どうして他人にそんなことを判断されなければならないのか。
メディアの中で、大きな流行(ハヤリ)として、それを使わざるを得ない、それを使うことが結果的に最もキャッチーであるのは否めない事実として。
もしそれがこの国の人々の無意識下で形成されているのだとすれば、自分の価値を見出せずに座標を決めかねて悩んでいる人にとっては、なんて厳しい世の中なのだろうと思わざるを得ません。
現状を嘆き、理想論を唱えるだけでは解決にもならないのは分かってます。
でも、「こうしなきゃ勝ち組に残れないぞ!」とか、「こうしなきゃ負け組になっちゃうよ!」なんて、勝手にメディアによって作られたコトバで「よっしゃ、負けてたまるか!」なんて奮起できる人ばかりじゃないわけで。
「努力しないんだから負けて当然」なんて私にはいえない。何をどのように努力したらいいのか分からない時期が自分にもあったことを分かっているから。
最近通勤時の人身事故による遅延がやけに多く感じられる。
子供やお年寄りなどの社会的弱者に対する異常犯罪の数々。
結婚や子育てに何の希望も抱けず、自分の生活だけを考えざるを得ないカップル。
ネットで一緒に「自殺する仲間」を募る人々。
私がここでこんなことを嘆いても、何の変化があるわけじゃないのは分かっているけれど、少なくとも私は、日々の生活に追われ、「何となく」その不思議さに疑問を抱かず「諦めていく」または「麻痺していく」のだけはやだな、と感じています。
ところで、こんな人もいるのですね。
F1の帝王、M・シューマッハはスマトラ沖大津波の際、私財10億円(!!)をポン!と寄付したそうです。
世界的ロックバンド U2のボーカル、ボノはもう20年近くアフリカ救済のチャリティを続けている。
かと思えば、私の友人は、横浜にある自分のバーで、もうけ度外視で一人あたま1000円、アフリカの孤児に義捐金を送るチャリティコンサートを企画。友人の意思を汲んで、多くのミュージシャンやダンサー、アーティストが快く参加してくれるようです。
スケールは関係ないのですね。彼らこそが本当の「価値(勝ち)組」なのだと思う次第。
私も口ばっかりじゃなくて、何ができるのか、明日から再度考えてみようと思います。
何かいいアイデアお持ちの方、どんどん教えてくださいね。