昨夜、三宅香帆著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読了した。タイトル通り、働いているとなぜ本が読めなくなるのかについて、日本の近現代の労働の変遷と読書との関係を分かりやすく順を追って解き明かしてくれた新書本である。その最終章で、強制されてもいないのに、本も読めないほどに自分で自分を搾取する「疲労社会」がなぜ生まれるのかについて、以下のように言及している。
引用する。
”20世紀、私たちは常に、自分の外部にいるものと戦ってきた。たとえば他国との戦争、政府への反抗、上司への反発。ー私たちが戦う理由は、支配されないため、だった。しかし、21世紀、実は私たちの敵は、自分の内側にいるという。新自由主義は決して外部から人間を強制しようとしない。むしろ競争心を煽ることで、あくまで「自分から」戦いに参加させようとする。なぜなら新自由主義は自己責任と自己決定を重視するからだ。だからこそ現代においてー私たちが戦う理由は、自分が望むから、なのだ。戦いを望み続けた自己はどうなるのだろう?疲れるのだ。”
余談だが、引用した事柄と重なるように思えたので記す。日本証券協会のデータによればNISAの口座数は2024年末で2,560万口座。保有率でもっとも高いのが40代で28%、次いで30代が26%と全体の半分以上になる。ここから読み取れることは、もはや自分たちの老後は自分たちでなんとかするしかないという、自己責任からくる危機感と覚悟のようなものを感じる。おそらく若い世代の社会保険や年金に対しての徴収への抵抗がさらに激化するのではないか。
頑張っているのにも関わらず、困ったことに自己実現を果たそうとする社会とは、結果として自らが自己実現の奴隷になってしまう。そしてバーンアウト、燃え尽き症候群になり最悪、鬱になる。だからそのドグマに至らないためにどうするべきか。ひとりの少女の行動が、その解決策のヒントになるかもしれない。
ある日、町に灰色の男たちが現われてから、すべてが変わりはじめる。「時間貯蓄銀行」からやって来た彼らの目的は、人間の時間を盗むこと。人々は時間を節約するため、せかせかと生活をするようになり、人生を楽しむことを忘れてしまう。節約した時間は盗まれているとも知らずに。異変に気づいた少女モモは、みんなに注意するが、灰色の男たちに狙われることになっていく・・・。ミヒャエル・エンデの『モモ』は、真理を伝える物語である。ここに描かれている真理とは、「時間とは日々の生活であり、その人自身である」ということを。
自分の時間を取り戻すなど、なにをのんきなことを言っているのだと言われるかもしれない。でも、鬱に至るよりはマシだろう。3つの処方箋を考えてみた。
・仕事以外の、自分の活動ができるようにする。
・自分以外の他人の物語(だから映画や小説は必要)にも関心をもてる余裕を持つ。
・ともかく、疲れたら休むこと。そして、元気が出たら、また歩きだせばいい。
【付録】今年3月にファンサイト有限会社の取締役に就任した次男、川村勇気のブログです。これから隔週でブログ『ファンランドへようこそ』 を配信しました。ご高覧いただければ幸甚です。
『ファンランドへようこそ』 #4 愛の話をしよう
ファンランドへようこそ。ファンサイト有限会社、取締役の川村勇気です。先日お仕事で久しぶりに神宮球場に行ってきました。
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