
先週は書かねばと思いつつあっという間に金曜日が来てしまいました。ごめんなさい。
既にご存知の方もいらっしゃいますが、私はかなりのfacebookユーザーです。
そこで小学校時代の親友と再会できたり、私はある意味ソーシャルメディアで311以降自己形成してきたといっても過言ではないかもしれません。
そんななか、こんなストーリーがありました。
長崎県の小値賀島という小さな島を、移住していった若者達が地域に根付いたコミュニティをつくり頑張っているという話があり、ファンサイト代表の川村社長が現地に行った際に、そのリーダーである高砂樹史(たつし)さんという方とフェイスブックでお友達になりました。
彼が以前小さな劇団の劇団員だったということ。そして小値賀にほれ込み、そこで根をおろして島の活性化に挑戦、地域の人と一緒に挑戦し頑張っていること。
以前からお話しを聞いていましたし、地域活性の好事例ということでテレビにも特集されたので、顔を知ってる私は以前から知り合いのような気持ちでお友達申請、彼も快く受けてくれてすぐにお友達になりました。
最初に驚いたのは彼の名前。私の「史樹」という名前をそのまま逆にした「樹史」というその名前に「おお~!」と二人で盛り上がっていました。
そんなある日、私がなぜここまで原発や核の問題にこだわっているかという記事をフェイスブックに書きました。
それは、私の「史樹」という名前が、広島で被爆したお母さんから終戦後15年経って生まれ、そして被爆二世として白血病を発症、7歳で亡くなった子供の名前を、平和の意味を忘れないようにと両親が付けた名前だ、という私のカルマについての話でした。
そうしたらその高砂さんがこんなコメントをくれたのです。
「前回、名前がにとるね~という話の時に、1人だけ「史樹」という名前の人を知っていますよーという話をしようと思ったけど、長くなるのでやめていました。そして、その「史樹」は同じ人でした。私は、前職の劇団「わらび座」で、まさにその「史樹君とみさおさん(お母さん)」の物語「輝け君の命」に出演していました。その時からの縁、そして今回の柳澤さんとの縁を感じました。」と。
あまりにも不思議な符号の一致に驚きを隠せませんでした。
何か見えない力で私達が吸い寄せられるように出会い、共に原発や核のことについて声をあげているということを。
彼はこうも言いました。
「特に若者たちの意識は確実に変わっています。新しい時代を切り拓いていきましょう!二人の史樹と一人の樹史がここに交わり、化学反応をおこしました!!」
この不思議な出会いによって化学反応が起きた。またこれがいつ日本に住めなくなるかも分からない、という現在に起きた事実だと思うと、あまりに「宿命」ともいうべき巡り合わせを感じざるを得ません。
さて、話はいきなり現実的に。
明後日、いよいよ総選挙です。
冗談抜きにこれからの日本を占う本当に大事な一戦になる、そう感じています。
放射能の被害が今後半永久的に消えないものということを前提にすれば、日本人として未来をどう考えるかという意志表明をする日になりました。
私と高砂さんを40年以上かかって結びつけてくれた「史樹ちゃん」とそのご両親に対して、私が冥土に行った時、彼らにお会いして「2012年から日本は変わり始めました」と言えるかどうか。
人間の良心に期待、いや祈りに近いものを感じながら明後日を迎えたいと思います。
今年最後のThe Value of Lifeです。
1年間ご高覧頂きありがとうございました。また来年お会いしましょう。よろしくお願い致します。