▼魔法の技術ではありません
広告用語辞典では広告商品やサービスを使わないといかに不便であり不都合であるかということを伝え、そのようにならないためにこの商品やサービスを使おうと訴える広告の表現手法です。その目指すところはその商品・サービスを使わない場合の不安感をあおり、損失を強調するところにあります。
こうした表現は多くの広告表現には比重はともあれ不可欠な要素ではあると思います・
この表現はうまくハマルと効果が高いわけですが一方逆に外すと手ひどい反発を食らいます。
こうしたネガティブアプローチの土台には、「あって欲しくないことや知りたくないことから目を背けたい私たちの心理がある」ように思えます。
私の乏しい経験では、頭にあるのは「魔法のタイヤ」ではありません!」のキャンペーンです。
このキャンペーンは高速走行が実現化し始めたモータリゼーションの黎明期に行われたものでけっこう話題になりました。
「安全」キャンペーンと私たちは位置づけていましたが、自動車は「走る凶器」であるという認識が根底にあり、しかし、一方ドライバーは「もっと速く走りたい」と言う危険を冒したい潜在ニーズがあって成立した広告キャンペーンでした。
アイディアの元は当時自動車先進国のアメリカのクリエイティブ会社からのアドバイスだったと記憶しています。
▼不安を直視させない、豊かさのみを強調する!
この度の福島原発の事故直前まで、原発のキャンペーンは行われていました。
一つは東電主導の「オール電化」と「原子力発電安全・キャンペーン」でこれらは対をなす典型的なネガティブアプローチではないか?と思います。
狙いはおそらくは「未来を創るエネルギーは、原発がつくる電気エネルギーしかない」と言う考えの国民レベルへの浸透です。
その背景には、より豊かで安全生活にはより大きな電力供給が必要であること、高齢化による生活の質向上、さらに地球温暖化対策として低炭素社会の実現など社会的な文脈があることは容易に想定されます。その結果、日々マスコミと大物タレントを通じて流布されて、より高い生活や利便の夢を語る物語と、安全神話」が徐々に築かれつつあったのです。
まさに金と太鼓による「原子力エネルギーこそは夢のエネルギーです。」のコンセンサスづくり活動です。
しかし今回人々が体験しつつある「現実」はこのシナリオを一挙に打ち壊しました。
▼原発は「悪魔の贈り物」!?
ローマクラブのメンバーでもある科学者E/ヤンツはエネルギーの時間系統樹という考えをかつて自著で述べています。
それは地球上に蓄積されたエネルギーを新しい順、・・すなわち木、堆肥、動物の死骸、石炭、石油という順で、人類は選択し使用してきたとの指摘です。そして化石燃料の利用は、人類のエネルギー利用能力がそのエネルギーのパワーと折り合いがとれるぎりぎりのところにある最終解であるという考えです。
従って、彼、またはローマクラブに参集した科学者たちは「原子力エネルギーは太陽を生み出した宇宙の始原的エネルギーであり、現状の技術では、この利用には大きな危険が伴う」との危惧を抱き、その危険性について警告が為されてもいました。
そのレポートが60年代の「成長の限界」です。このレポートには多くの人々が衝撃を受けたことは記憶に未だ残っています。
しかし限りない欲望の肥大と絶え間ない工業化はより多くのエネルギーを求めます。
私たちは豊かさの実現のために、こうした警告を敢えて無視したと言ってもよいでしょう。
使い勝手の良い石油資源については当初のローマクラブの見解と異なって、枯渇の恐れは少ないとは言え、その入手コストは極めて高く、次第に非効率なエネルギーとなることが判明。脱化石燃料と代替えエネルギーの探索が必要とされることも現実化。ついには原子力こそは豊かさを招く唯一の「魔法のエネルギー」となったのです。
▼「経済の氷河期」!?
振り返ると「成長の限界」が話題になった時期・・・消費社会の欲求にどう私たちは対処できるのか?が問われた時代でもあったのです。しかし、結果的には、「豊かさ」へと舵を切りコントロールを超えるエネルギーの利用に踏み切ったのです。このエネルギーが禁断の果実であることは多くの人々は知っていたはずです。
しかし、以降、ネガティブアプローチは先進国の主導により世界中で繰り返され「安全信仰」が紡がれてきました。
願いは「豊かさ」でそれのみを考慮したネガティブアプローチ。しかし、今回の「想定外?」の事故により、それは危険な賭であることが証明されたと思います。
この度、露呈したことは、核融合を人間の力ではコントロールするハードやソフトの技術が未熟・未開発であること。そして「理論は完成しても現代技術は着いていけないレベルにある」と言うきびしい現実です。そしていまも手に負えない現実が輩出し危険の連鎖が起こっています。
願いと出来ることには乖離があるのが世の常です。しかし、科学者も行政も、さらに市民もそれを知るのを避けた・・・まさにこれは先の戦争にもよく似ています。
日本は神国、日本兵は神兵。だから負けるはずがない、日本が征服することは恩寵を施すことだ」という信仰が、日本にばかりでなく、世界にまで大きな不幸をもたらしたあの戦争です。
「成長の限界」は人々の「心の構造」を変える機会を作りました。今回のこの出来事はさらに幅広い社会階層にまで浸透し、「心の構造」を根底から変え、20世紀の価値の払拭へと導くかもしれません。
それがカタチとして直ぐ表れるのは、おそらく「経済活動」においてでしょう。
ある未来学者の間では21世紀の最初の100年をエネルギー危機による「経済の氷河期」の到来という説を唱えるグループもあります。これはおよそ20年前の予測ですが、今回の出来事はこうした予測と奇妙に符号しています。
「経済活動は心の活動そのもの」です。原発がもたらす不安は心を萎縮させるに十分です。
今回の不幸は、考えようによっては、真の21世紀の誕生のための陣痛・・・・かも知れませんが?!
私たち能天気なマーケターの役割が大きく問われます。