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第133回『戻ってきた「神学」』

決算期が終わった企業も多いと思います。
そして新年度、市場環境は逆風。
蓋を開けてみると期待に反して四半期は低調なスタート、経営会議は自ずときびしいものとなります。

問題は暗い見通しにあって、おおかたの流れは戦略論よりは目標と実績のギャップを埋め合わせる方法論について議論が集中することになることでしょう。
つまりは「いま戦略を検討する余裕はない。
今期の目標が達成できなければ明日はない」と言う思いが空気となり、大切な戦略についての意見交換が押し殺されてしまうことになる傾向がつよいことです。

その結果、発想は視野狭窄となりがちで企業の命である戦略が機能不全なっていきます。
確かに直面している苦境の原因は、いくつも挙げられましょう。
しかし、考えてねばならない深刻な課題は対象とすべき生活者の変化と彼らのもつ価値観への理解不足です。
埋めるべきは企業の思いと乖離する生活者の思いとのギャップでしょう。

例えば自動車。
この産業が抱える問題は大雑把に言えば「自動車の必要」が揺らいでいることでしょう。
また外食では「食の意味」が変わってきていることではないでしょうか?
この根本には「消費する価値」から「生きる価値」へと価値のパラダイムシフトが起こっていることだと思います。

最近話題の「最貧国 アメリカ」(岩波新書)の深刻な現状を報告した小冊子がベストセラーになっていますが、そこで描かれている驚くばかりの現実は日本と少しも変わっていません。
高齢者社会化、格差社会、資源収奪型の消費など、そうした流れの中、従来的な価値観は本能的に疑問符が投げかられていると言っていいでしょう。

円高は必然的に国内市場開拓を志向することになるでしょうが、そうした働きかけはかつてとは異質の価値観を求める生活者に出会っていくことになるはずです。

歴史を振り返ってみると、かつて自動車産業は「日本には自動車は不要」と言う市場に向かって自動車の価値を「移動空間」として位置づけ「民主化」という理想のシンボルとして価値を訴えることで「自動車の必欲化」に成功しました。
わずか40年前のことです。
これは3種の神器を唱った家電もしかり、脳力のパワーアップを幻想としたPCなどもそう、自動車だけではありません。

私事ですが、先日大手出版のOBの友人と雑談しました。
ご承知の通り、出版は永く構造的な不況です。
この不況脱皮への処方箋をつくることは容易ではないでしょう。
しかし、論議しつつ気になったのは「本ってそんなに価値があるのか」の素朴な疑問です。
極論ですが、必要を所与のものとする発想では飛躍した発想は生まれない気がします。

プロは本質を巡る論議は「神学論争」と言って馬鹿にしますが、しかし、「本とは何?」「自動車って・・?」「豊かさって・・?」と根本に戻って思考してみることもブレークスルーには大切ではないでしょうか?

9:11以降、「テロとの戦い」がグローバルなスローガンとなりました。
しかし、「テロとの戦い」とはなにか?の論議は十分どころか、ほとんど尽くされていません。
そしていまや世界の悲惨が日常的です。
こうしたことを背景に国とはなにか?個人とは?生きるとは?など神学的な思考の必要が戦略論の俎に上がってきつつあります。

いま一部で60年代の女性哲学者ハンナ・アーレントが見直されているようです。
彼女は「働く」(=「生きること」)の意味を著作の模索していますが、こうした哲学的な思考が「神学」の復活となればちょっと不況の空気はおおきく変わりそうです。

1件のフィードバック

  1. 始めまして。

    テロリズムの語源は、テラー、つまり恐怖を与えるものと言う意味なのですが、一種のプロパガンダとして用いられておりますが、その背景にある迫害とも言うべき先進資本主義国の活動によって生み出される要素があるならば、単純に善悪を決定することは出来ないものです。
    現代テロリズムが、先進国にとって脅威であるのは、それらの活動の結果ではなく、国境を超えた組織システムを持ちながらも、活動の全権を地域分化した末端組織に委ねている点だと思います。
    つまり理想的なグローバリゼーションを成し遂げている点です。

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