良い製品を創れば売れる、技術力が勝てる、必要な製品だからお客は買ってくれる、優秀なセールススタッフがいるからマーケティング力も心配ない、多量の広告費や販売促進費を投下すれば市場シェアは獲得できるなど、などマーケティングにまつわる勘違いはたくさんあります。
そうしたなかで、もっとも困った勘違いは、「貧しい人々には購買力がない」という勘違いではないでしょうか?
要はお金がなければ人はモノを買えないという思いこみです。
たしかにお金持ちは可処分所得がありますから、モノを買うゆとりはは大いにありますし、お金持ち達の派手な買い物はマスコミの話題にもなって目立ちます。最近ではバブルの再来を思わせる「新富裕層」なる階層が台頭し、例えばミッドタウンのレンタルマンションなどは、最低でも1月70万円はくだらない価格でもすべてが契約済みとか、呆れるようなお金持ち達が生まれていると聞いています。またかつての色街「神楽坂」でも贅沢に遊ぶリッチな若い人々が増えているとか、など派手な噂がマスコミを賑わせていますね。
ある統計によれば、現在現金を1億円以上持っている人は、日本人の1,4%を占めているそうです。そしてこうした人たちの活発な消費意欲が日本の経済牽引力として期待されているようです。
そのため企業でも高額商品の販売に力を入れつつあります。家電、銀行、証券、カー、その他パワーブランドなど各企業皆揃って新富裕層へと戦略をシフトさせて入るようです。
一方、こうした流れとは別に進行しているのは「下層」への流れで、人口量としては圧倒的です。こうした層は、購買力も徐々に下降し、顧客としての価値を喪失していくのでしょうか?また、価格に敏感なために安いモノしか買わないため、収益もたらしてくれない顧客なのでしょうか?
私はここに大いな誤解があると思います。
まず、歴史を振り返って見てください。例えば車や家電などかつて3Cと称されて欲望の対象であった時代、それを支えた人々にはお金があったでしょうか?「貧乏人は麦を食え」と誹られた時代、当時の蔵相は「車不要」を唱えていたのです。
そんな時代、間違いなくクルマの需要を支えたのは「貧乏人」でした。家が購入できないから「クルマ」を購入したのです。しかもお金がないから未来の借金というローンで。
最近、第三国では「ミネラルウォーター」や「洗濯機」「冷蔵庫」が売れているようです。またグラミン銀行のような小口金融も成長しています。
PCもマーケット拡大しています。貧乏な国にも拘わらず活発な消費が行われているのです。
数年前、ODA対象の貧困国を訪問しました。そこには日本を除いて欧州、米国の流行品が溢れていました。現地では、日本製品へのあこがれは強いものの日本企業は「カネがない国」を理由に無関心でした。
「貧しさイコール購買力がない」というのはとんでもない誤解です。
また、富裕層にしても、本当のお金持ち・・・ある人は旧富裕層と名付けています・・・は購買意欲が乏しく、所有する資産を出来るだけ減じないで次世代の継承することに心を砕いていると言われます。お金は持っているものの顧客としては魅力に乏しい層であるようです。もしかしたら新富裕なるものも本当には豊かではないのかもしれません。
いまや考えなければならないのは、こうした高所得即高消費と言う発想では的を得たマーケティングは出来ないということ、さらには下層化していくマスを変化として積極的に関わり、彼らがこれから直面する「貧しさ」を「豊かさ」に変えていくような発想のパラダイム変換だと思います。