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第612号『車谷長吉さんの思い出』

【取材した印刷見本】
【取材した印刷見本】

朝のニュースで、作家 車谷長吉さんの訃報を知った。

2009年秋、新規で受注した仕事のための取材で、初めてお会いした。
取材当日、本郷は東京大学の裏手、細い路地の突き当たりにあるご自宅へライターとカメ
ラマンを伴い訪ねた。

車谷さんが「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞した作家であることは知っていたが、
彼の作品を読んだことはなかった。

旧い日本家屋、玄関の引き戸をガラガラと開け「こんにちは」と声を掛けた。
すると、玄関脇の部屋から「どうぞ上がって」と声が返ってきた。
クライアント担当と、我々取材スタッフが框かから部屋へ入ると、細身で坊主頭の小柄な、
そして眼光鋭い初老の男が待っていた。
なんだか、佇まいそのものが作家然としていてる。
それが、車谷さんだった。

最初は少し身構えていた。
話し始めはぽつりぽつりとしていたが、10分もすると滔々とした語り口へと変わった。
そして、その中身が聞き入ってしまうほどに面白い。

例えば、直木賞受賞にいたるまでのライバルに対する怨念や嫉妬から、真夜中、木に藁
人形を五寸釘で打ち付けたことや。
20代のころ雑誌社の賞を得て作家を目指していたが、30歳で作家になることを諦め、郷里
兵庫播磨に帰り、そこから10年近く関西の料理場を転々としながら、焼き鳥の串打ちなど
様々な下働きをしていたこと。

そして、ある日、繋がりのあった編集者から再度小説を書くことを強く薦められる。
これをきっかけに、車谷さんは作家になることを再び決意したという。
その時、古道具屋でドス(小刀)を購入し、その刃を研ぎ直し荷物の下にいれ上京した。
それは、作家になれなかった時、割腹して死ぬ覚悟のためだったという。

どれも、にわかには信じられないが、これこそが作家たる所以と思わずにいらない話し
ばかりであった。

朝日新聞で連載していた読者のお悩み相談「悩みのるつぼ」での車谷さんの回答である。

「教師をしているが、自分でも情動を抑えることができなくなるほど没入してしまう女子
生徒がいる」という質問者。

それに対する車谷さんの答え「あなたの場合、まだ人生が始まっていないのです」、「破綻
して、職業も名誉も家庭も失った時、はじめて人間とは何かということが見える。あなたは
高校の教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよい」と。
そして、こう結んだ。
「阿呆になることが一番よい。あなたは小利口な人です」と。

死を覚悟し、のめり込むほどに没頭する。
車谷さんが輝いていたのは、この姿勢があったからこそだと思った。

合掌

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