雨の日曜日は泳ぐにかぎる。
朝9時、人もまばらな屋内プールに飛び込む。
水に入ってしまえば以外と寒さは感じない。
全身を水の中に潜り込ませる。
息を吐きながらゆっくりと水面に浮上する。
もう一度水中に沈み、足を縮め、壁を蹴り、全身をまっすぐに伸ばす。
まるで一本の棒だ。
スーッと水面を滑るがごとく進む。
息をブクブクと吐き続けながら、左肩から肘にかけて水中から水面の上へと持ち上げるようにして曲げる。
そして、その腕を真っ直ぐ前に伸ばし、再び水の中に侵入させる。
そのタイミングにあわせ、今度は右肩から右肘にかけて持ち上げ、同じくその腕を真っ直ぐ前に伸ばし、水の中に入れる。
この動作を左、右、左、と繰り返し、3回目に身体を少し回転させ、水面すれすれに顔を横にあげパッと息継ぎをする。
足はバランスをとることと尻が沈まない程度に、左、右、左、右と交互に軽く上下に蹴る。
左、右、左、パッ。
左、右、左、パッ。
左、右、左、パッ。
25メートルを20往復、ゆっくりと1000メートル泳ぐ。
泳げるようになったのは34歳の春だった。
北国に生まれ、屋内プールなど皆無な場所で子供時代を過ごした。
夏、川で水遊びをしたことはあってもスポーツとして泳いだことはなかった。
金槌だった。
きっかけは、雑誌で見たトライアスロン(1人で水泳、自転車、ランニングと3種目を順番に行ない、そのトータルタイムを競う)という新奇なスポーツに参加した建築家がやたらと格好良く思えた。
そして1987年2月28日にタイ国パタヤビーチで開催されることになった「タイトライアスロンカップ‘87」への出場を申し込んだ。
これまでの経験則から推し量るに、高邁な動機よりは、稚拙な野心や欲望が基にあったほうが成就することが多い。(笑)
申し込んでしまったからにはやるしかない。
自転車も、走ることもなんとかなるが、泳ぐことはどうにもならない。
もう少し正確に言えば、息継ぎが出来ない。
息を吸うと水を飲み込み咽せてしまうのだ。
息継ぎが出来なければ当然、長距離を泳ぐことなど不可能である。
それでも、何かを習得するには数多くやることと、コツを掴むことだと信じている。
(いまもこの方法が一番だと信じている)
だから水を飲み込みゲホゲホしながら、ともかく泳いだ。
そして、3ヶ月を過ぎた雨の日曜日にキュッとコツを掴んだ。
息継ぎで顔を上げた時、パッと息を吐ききるというコツを。
水面すれすれに顔を上げ、パッと息を吐ききったら意識もせずにスッと吸うことが出来たのだ。
それまで息を吸うことばかりに、意識が行き過ぎていたのだ。
真理は底通する。
どうやら息継ぎばかりではなく、不毛の地にこそ豊饒が眠るがごとく、知恵も、希望も(お金は経験がないので言及できないが(^^!))吐き出した時にこそ、またスッと吸い込み、新たな豊かさが生まれるのだ。
これを「パッスッの法則」と命名した。