鞄のルイ・ヴィトンはもともと運送業であった。
王侯貴族からその権力を奪い取った19世紀フランスの市民(ブルジョワジー)がバカンスに出かける際、生活用品を運搬するためのトランクを自家製造したことから始まる。
しかし、いつしか発注者であったブルジョワジーにとって鞄そのものの品質だけではない価値が重要になった。
つまり、馬車による輸送に耐えうる堅牢さや安全性だけではなくヴィトンのマークがついたトランクで運ぶこと自体が1つの価値となった。
なぜなら、単にトランクとしての機能に優れているだけではなくヴィトンに作らせ、バカンスに出かけるほどの財力と趣味を兼ね備えた近代知識人でもある私、という表示である。
こうした実質的なものの消費ではなく、ものや行為を所有することによる社会的身分の誇示のための消費現象をフランスの社会学者ジャン・ボードリヤールは「記号消費」と呼んでいる。
ボードリヤールに倣って、少し乱暴に車に当て嵌めれば
4輪駆動の車に乗ることはアウトドア好きの行動派の私。
ミニバンに乗ることは家族思いの私。
スポーツカーに乗るのは走りの楽しさを知っているカーマニアの私。
セダンに乗ることは落ち着いた大人の私。
などなど、移動する道具としての車ではない別の価値を消費している記号でありそれを体現している私がいる、ということになる。
息子たちがまだ小学校に入学する前、車を持たなかった。
アウトドアまがいのことが好きでバス・電車・徒歩を利用し、よく出かけた。だから、肉も酒も遊び道具も背中に背負える程度のものしか持参できない。
車なら後部座席に子供たちを乗せ目的地まで一気に行くのは楽だし合理的だと思えたが、あえて混雑した電車やバスに揺られ、目的地の駅やバス停から歩いた。
車を持たなかった2番目の理由はお金であるが、1番の理由は彼らと共有する時間が欲しかったからである。(3番目の理由は運転したらお酒が飲めない。ということですがこれがじつは1番かな(^^!)それから数年後、中古のミニバンを手に入れた。
それまで電車やバスや徒歩で行けなかったところまで楽に早く移動できた。子供たちもぼくも混雑した車内で立って眠る必要もなくなり、雨の心配も最終便の時間も気にすることなく遊べた。
しかもミニバンは移動する居間や家のようなものである。
自宅にあるキャンプ道具で積めるものはなんでも積んで出かけた。
肉も酒も遊び道具も使いきれないほど持参できた。
たしかにミニバンを手に入れたことでファミリーを大切にしている私を体現することはできたが、なにか別なものを失ったような気もする。
それがなんであるか判然とはしないが、道具を所有するということは道具に支配されることもあるということも知った。
ところで、ブランドを勝ち得ただけでヴィトンの成功があったのではない。ヴィトンはサービスのため、旅行で使うすべてのトランクや鞄を1本のキーで開くようにした。
そしてその鍵の顧客名簿を作り管理したという。
文字通りその顧客名簿が成功の鍵であったようだ。
「バカンスという夢を開くキーはヴィトンがお作りします。」
ものではなく夢を売って成功した、そんなコピーが聞えてきそうである。