愛猫のリリーが病気になり、4ヶ月になる。突然、大量に嘔吐を繰り返すようになった。もちろん、これまでも毛玉を吐き出すようなことはよくあったが、それとは明らかに違う。以前、避妊治療をお願いした獣医さんに連絡をとり、受診した。
初診では、食物アレルギーではないかと、餌を変え様子をみた。しかし、一向に良くならなかったため、吐き止めと栄養剤の点滴を受けた。数日は吐くこともなく過ごしていたのだが、再び嘔吐を繰り返すようになった。こうして何度か受診したのだが、原因がわからず、入院してCTスキャンを撮ることになった。結果は、腸に大きな腫瘍が見つかった。獣医さんからは、「癒着しており摘出はできない。腫瘍には何種かあり、抗がん剤が効果を発揮する腫瘍は1種類で、この腫瘍がそれに当てはまるどうかは定かではない。覚悟が必要だ。」と告げられた。
もはや、やせ細り体力もなく通院も点滴の注射も辛くて、帰宅してからも、ずっとうずくまっている。その様子を見て、もう無理はさせず家で見守ることにした。
この間、これまで食べていた固形の餌はいっさい食べなくなり、水もほとんど飲まなくなった。唯一、ジェル状の餌だけは指に乗せてペロペロと舐めながら食べてくれる。この餌を探し当てるまでに、あれこれと試行錯誤した妻の必死の思いと行動が、いまのところ功を奏している。先生からは保って6月いっぱいではないかと言われたのだが、このままでいけば10月で10歳となる彼女の誕生日にも一緒に居られるかもしれない。
先日、とても興味深い本を読んだ。タイトルは『なぜヒトだけが老いるのか』小林武彦著 講談社現代新書。
おもしろくて瞬く間に読んだが、特に印象に残っているのは「老い」は「死」とは違い、全ての生物に共通した絶対的なものではないという視点である。現にヒトと同じ大型霊長類であるゴリラやチンパンジーなどは、子供が産めなくなると寿命を迎え死に至り、老後がないという。つまり、ほとんどの動物が閉経後死を迎える。しかし、そのなかでヒトとシャチとゴンドウクジラには、老後がある。
では、ヒト・シャチ・ゴンドウクジラの共通点は何か?それは、子育てだという。シャチもゴンドウクジラも、群れの中にいる”おばあちゃん”が子育てに協力することがすでに分かっている。赤ちゃんから子供に至るまでの成長に時間がかかり、子育てが大変だという。
進化は「変化と選択」の結果である。この子育てに有利になるように進化したのが、老人の存在なのだ。老人が元気で長生きな家族ほど、子供を持てるキャパシティが増え、子沢山になった。つまり、長寿でいることがコミュニティにとって有利だったということである。
著者はこうも言っている。人にとって老いは必要なものだと。シニアは社会にとって必須な存在であり、「老い」のおかげで人類の寿命が延び、今日の文明社会が築かれたとも。そして、全ての生き物は、偶然、勝手に、利己的に生まれるが、死ぬときは、結果として他を利するかたち(利他的に)で死んでいくのだと。
さて、リリーのことである。6キロあった体重が3キロ以下になり、歩行もおぼつかない状態ではあるが、それでもしっかりと生きている。生き物の命の強さをあらためて感じる。いまは只々もう少し、彼女と一秒でも長く居られることを心から願っている。