« 2008年10月 | メイン | 2008年12月 »

2008年11月 アーカイブ

2008年11月07日

第129回 底力

081028_1532~0001.jpg
  「初日」

「YES WE CAN !」や「CHANGE」
をスローガンに、バラク・オバマ氏が第44代の大統領になることが決まりました。
世界が激動の変化を迎える中、最大の軍事力と強力な経済基盤で過去長い間世界のトップとして君臨していたアメリカという国は、自らの力ではどうしようもない新しい波に立ち向かう為に、ハワイ生まれでケニア人を父に持つ彼に未来を託したのです。

2001年9月11日、あの日からアメリカはまるで茶番のような展開で、言い換えればまるでファッションの流行が何年か周期で繰り返されるようにまた戦争をしかけていきました。
私が子供のころ、まったく同じような口実でアジアの小国を攻めていたように。
しかし母国を攻撃されたことのない彼らにとって初めての屈辱的な悲劇の後の審判でさえ、泥沼に自ら漬かっていくような展開を再び選択した彼らに対し、私は当時とても大きな失望を抱きました。

彼が本当に評価されるのはこれからですから、今の時点で聞きかじったようなことを述べる気は毛頭ありませんし、もちろん私はかの国の人間ではありません。
しかし今回の大統領選は60年代のケネディ大統領やキング牧師に代表されるような「理想の国アメリカ」を望む大きな流れとは異なりながらも、いよいよ本当にどうするべきか、ということを真剣に考えたかの国の底力を感じる大統領選だったと将来振り返ることができることを心から望んでいます。

これからの彼らは真剣に自らのことを考えるからこそ、日本にも強い姿勢で臨んでくると思います。
そのとき我々は果たして本当にどうするべきか、と真剣に考えた底力を見せることができるのでしょうか。

2008年11月13日

第130回 書くことの意味

081113_1341~0001.jpg
            「秋空」

パキスタンにイクバル君という少年がいました。
彼は工場で児童労働をさせられていました。
ある日彼は工場を抜け出し、児童労働反対運動を始めました。
運動は大きな反響を呼び、彼はアメリカにまで渡ってその現状を訴えました。

しかし彼はパキスタンに戻った後誰かに殺されてしまいました。
そのニュースは世界で放映されました。

カナダにクレイグ君という少年がいました。
彼も小学生でした。
彼はイクバル君の為に立ち上がりました。
児童労働で作られた製品をカナダに輸入しないよう政府に働きかけました。

最初は耳を貸さなかった政府が、記者を集めて会見をするようになり、最後は大統領から会いたいというまでになりました。

その活動は結果「セイブ・ザ・チルドレン」という世界でも最大規模の団体に発展し、アメリカやカナダで児童労働の反対を促すきっかけになったそうです。

この例であるように、世の中を変えるのは「皆」ではなく「私」の集合体なのです。

・・・・という話を10年前に買った佐々木かをりさんの著書「Give & Givenの発想」を読み返して発見した。このパートを覚えていなかったが。

私が書くことに意味があるとすれば、それにはこのブログを読んで「セイブ・ザ・チルドレン」にしても「Give &Givenの発想」でもどちらでもいいけれど、何かを感じてくれる人がいるかもしれない、何かを変えるきっかけになってくれるかもしれない、そんなこともあるのかな、そう思っている。

2008年11月20日

第131回 戦い

081119_1145~0001.jpg
    ”THE COLD DAY IN THE SUN”
  
年の瀬を迎えつつあるなか、世の中は殺気立っていて
多くのことが「よくない」または「息苦しい」感じです。
例えていうならば「人が信じられなくなる」出来事が多いです。

なぜ平気で人を刺すやつがいるんだろう?
なぜひき逃げできるのだろう?
なぜ飲酒運転の撲滅を訴えていた警官が酒を飲んで車に乗れるのだろう?
なぜお年寄りから金を巻き上げるやつがいるのだろう?
なぜ戦争をしてもいいんだと平気でいう人がいうんだろう?

絶対に、という言葉を使うことはあまり望ましくないと思いますが、どう考えても絶対に正しくないことは正しくないのだと思います。

人は今まで直面したことのない状況に対して、これも今まで直面したことのない怒りや不安で投げやりになり、そして人を信じられなくなっているのでしょう。
上に書いたような事件は残念ながらこれからもエスカレートしていくでしょう。
これからもっと人を信じることができない人が増えるということでもあるかもしれません。

しかし、その反面人間の良心もさらに強くもなるはずだと私は信じています。
今までは恥ずかしいとか、建前と思われがちだった理想や、人を元気付けるようなビジョンなどをもっと語ることができるようにもなると思います。

人間は進化の過程において、協力することで自然の脅威を乗り越え、他の生物よりも快適に暮らす術(すべ)を身に付けてきたといいます。
だから人は一人では幸せに生きることができず、社会との繋がりを実感してこそ幸せを感じる生き物なのだそうです。
今その人間が繋がるべきはずの社会が疲れ果てている中、良心を信じることや理想を口にすることは不安や怒り、虚無との戦いなのではないか、と最近私は強く思います。

2008年11月28日

第132回 ブレンド

081125_1245~0001.jpg
                        「高い空」

仕事柄たくさんの人とお会いしますが、「面白いなあ」と思う方は考え方も行動も自らのルールにのっとりつつ個性を出す「セルフプロデュース」をしている、そう思います。

そういう方は努力して自らをプロデュースする力をつけてきたのかとも思いますが、それって簡単じゃないですよね。
世の中一人一人が自らをすべて自分だけでプロデュースできるなら、もっと世の中活性化するような気もするけれど、かといってそれが単なる独りよがりの場合もあり、それが原因で軋轢だらけになりそうな気もするし。

要はバランスの問題で、主観に基づいた自らの信念や意地と、客観に基づいたその人の活かし方がうまく調和していくといいのかなと思ったりしています。
それが時間を経ていくにつれてだんだんと熟成~ブレンドされていくのかなと。

私とってはそのブレンドのさじ加減が大事な気がしています。
人はもともとわがままな生き物だと思いますが、そのブレンドがうまくバランスをとって自分が納得いくためには結局勉強しかないのだ。と思う今日このごろです。

ファンサイト