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2009年02月 アーカイブ

2009年02月13日

第152回『Tashkentale08に参加して・・・その5 文明のCross Roadでの気楽な出会い』

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 文明のCross Roadでの気楽な出会い
 タシケンターレTashkentaleとは2年に一度、タシケント市で開催される写真のビエンナーレのことで、今回は第4回目に当たります。主催はウズベキスタン芸術アカデミーでその傘下にあるPhoto UZが運営し、今年は10月20日(日)から10月27日(月)までが開催期間、会場はタシケント市ではPhoto UZを中心に芸術アカデミーが管理する各種美術舘とキャラバンサライを含む5会場、ブハラ市では特設の3会場でした。
 
 私は5年前、愛知EXPOの取材をご縁に端を発したお付き合いから、上記の運営組織の責任者からのご招待を頂く栄に浴し、この国家的アートイベントに参加させて頂きました。
 今回のビエンナーレのテーマは「West-East Tashkent Crossroad」と設定され、それを受けて、若者、ノスタルジー、などサブテーマがあり、その枠組みに応じて作品参加が求められています。

 この呼びかけに応じて西はエジプト、アラブ首長国、エルサレム、ルーマニア、アゼルバイジャン、ロシア、ウクライナから、さらに隣国のカザフ、キルギス、タジキ、また東はヴェトナム、中国、韓国、日本からとおよそ3000点の作品が寄せられ、テーマ毎に括った会場で展示が行われました。同時に この展示に合わせて、作品参加のアーティストおよび関連から各国平均2名づつ招待されて、期間中、1週間に渡りフェイス・トゥ.フェイスによる相互の交流とセッションが行われたのです。 
 日本からは私を除きアーティスト6人が参加。3人は写真家、他の3人はパリに在住のインターレーションのデザイナーたちでした。

 それ故にアーティスト個々の個性はもとよりですが、東西シルクロードを繋ぐ各国の文化、お国柄、アイディアのあり方などバラエティに富み、運営者が描く「West-East Tashkent Crossroad」に相応しい展示会であったと思いました。とりわけ面白くかつ、論議も湧いたのが、この展示会にはオーガナイザーは存在してもキュレーターはいない、敢えて介在させないというオーガナイザーの主張です。考えてみればこれはまさに文明の十字路であった「シルクロード」的発想です。

 昨年、他界したS/ハンティントン氏は「文明の衝突」と言う考えで世界に衝撃を与えました。事実、歴史や現実は彼の考えを実証しています。しかし、一方、文明の優劣とパワーによる支配は破壊のみで不毛であることもまざまざと見せつけられています。

 20世紀的なパラダイムが崩れ、価値の基準が揺らいでいるこうした時代には、まずアプリオリな価値観を排除し、気楽に肩肘張らずに多様な価値や美意識に出会うことも大切ではないか、という考えは、まさに共感でした。

 今回、世界文化遺産のひとつブハラ市で、坂田さんと言う日本人作家が、干上がったリョウズ(貯水池)を利用したインスタレーションを発表しました。そこで見たモノは、まさにあの竜安寺の石庭の祖型かとも思う作品で、極めてカンタン?に創出されたのでした。そしてこの作品は、現地の人々にもなんら違和感なく受け止められていました。
中世の世界は、「日本の美と文化」の起源とも言われます。しかし、それはもしかしたら、深いところでこの地と繋がっているのかも?しれません。これは驚きでもありました。
あるトレンド情報では、最近若者達が海外に出向くより、国内の温泉地に往くことが人気と言うことで、いわゆる「ぬるい」のがお好みとか?
別にィ、好きにすれば・・・!とも思いますが、よるべきモノが揺らぐいま、引き籠もらず大きな世界の中で自分発見や定点づくりを目指してもいいのではないか、とも。
お節介かもしれませんが。

 今回イベントの最高責任者のご意見「かつては東は西を欲していた。しかし、いまや西が東を求める時代だと思います」を胸に、同時に肩から力を抜いた出会いのできる交流時代の到来を年寄りは羨ましく思うのです。

2009年02月27日

第153回『Tashkentale08に参加してNo6 風土、歴史、実験』

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 熱狂的な歓迎のなか、オバマ氏が大統領に就任しました。同時に、いま黒人社会では自身のルーツ探しが流行となり、ビジネス化しているそうです。文化への自信や誇りを持つことは、歴史と向き合うことでもあります。こうした歴史への眼差しは、シルクロードの諸国でも同様です。しかし、この地で実感するのは歴史を遡ることの難しさです。それは3つの困難に直面していると思います。
 
 まずは、つねにゼロサムを繰り返してきた過激な歴史興亡にあって、どこにルーツを求めるか?ということ。第二は、近接した時代は、苦渋と屈辱の、いわば痛みに満ちたじぢでありそれと向き合うことには痛みを避けてとおれないこと、そして第三には、明日との関わりとで見据える視点が、いま大きく揺らいでいることでしょう。例えば常識であった進歩の概念である狩猟時代→農耕定住時代→封建時代→商業&工業資本主義という「進歩の歴史」自体がいま評価に晒されているからです。このことを実感するのは、日本国内に留まっている限りは、あまり感じませんが、このタシケントにくると肌身に感じます。と同時にTashkentale08のオーガナイザーのご苦労も偲ばれます。
 
 今回のビエンナーレは大きくはウズベキスタンの首都タシケントと歴史都市のひとつであるブハラの2都市で開催されました。主催者の試みでは、タシケントでは1週間、ブハラではわずか1日のそれも夕刻から夜間にかけてのわずか数時間の開催で、前者は写真展、後者は、写真展を含みましたが、いわば時間を切り取った都市空間の中で試みるインスタレーションを指向した感じの展示会でした。
 
 タシケントは近代都市空間での展覧会でしたが、ブハラでは2つのアプローチがインスタレーションにより試みられたと考えます。一つは歴史と不可分な風土を舞台としたことです。ちょっと説明しますと中央アジアのシルクロードの都市文化は沙漠に開いた文化です。砂偏の砂漠ではないことにご注意願います。SABAKUと言うとつい童謡「月の砂漠」を思い浮かべがちですが、ここは草木もあり、水もある、一種の瓦礫と土塊、低層の草木から成る荒れ地と言った方がよいので沙漠と言う水偏がついてるようです。展示はは干上がった貯水池と古いモスクの壁を舞台にして展開されました。
 
 もう一つ近代と向き合った展示会です。それは亡命してきたユダヤ人の銀行家の邸宅をギャラリーとした会場での写真展です。これは煉瓦に囲まれた穴蔵のような空間で乏しい照明の中での開催で、ブハラの、タキバザールの石畳と荒れた外壁で囲われた迷路も取り込んだ写真展ですが、インスタレーション的な意味合いの強い演出でした。このブハラのインスタレーションはある意味で、「文化発信力」を指向するウズベキスタンの立ち位置を探る実験でもあった気がします。そしておそらく私たちの共通課題かもしれない「EAST&WEST」の投げかける難しさも実感しました。


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