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2008年12月 アーカイブ

2008年12月04日

第148回『Tashikenntale08に参加して・・・その1』

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 現代史に登場して10年目を迎える国・・ウズベキスタン。
 今回からしばらくはちょっと趣向を変えて、10月の20日から27日まで1週間ウズベキスタンの首都タシケントと世界文化遺産で知られるブハラ市で行われた「Tashikenntale08」というビエンナーレに参加し、B級マーケターとして感じたこと、思ったこと様々をご披露する話にしたいと思います。

 おそらくこの駄文をお読みいただいて下さっている皆さまの多くは、ウズベキスタンって?タシケント?ブハラ?と思われることでしょう。
それも無理からぬ事で、事実、かつてはソ連邦の一部に組み込まれていたこの国は一部の人を除き、日本人にとっては無縁の関心の外にあった地域だからです。
関心のあった一部の人とは、大戦後・・・、太平洋戦争のことです・・・、ソ連の捕虜となりこのウズベキスタンに抑留され辛酸をなめた方、およびご家族の関係者がほとんどだと思います。その中生存し無事帰国なさった方ももう八十歳を超えて居られるでしょう。そして不幸にして現地で亡くなられた方々は当地の日本人墓地に眠っておられます。
したがって日本とこの国との繋がりは、そこに時折ご遺族の方が墓参に訪れる、そんな限られた関係が今日まであったといっても過言ではないと思います。

 かく言う私自身、この国に関心を持ったのは、05年愛知県で開催された EXPO「愛・地球博」で、この国を含む4ヶ国の「中央アジア」共同館というパビリオンの展示・演出の総合プランナーとして参加する機会をいただいた時からで、それ以前はまったくの無知・無関心であったのです。

 そんな私がこの地域に関心を抱くに至ったのは、EXPOに関わり同地域に出向き街を歩き、人と出会うことを通じて多少この地の文化・人情に触れたからです。
 そしてその結果を総括すれば日本とはかなり「異質の文化と価値観で彩られた国」であること。同時にこの地固有の文化・価値観が21世紀に生きる私たちに大きな示唆を与える気がしたからです。
これは5年前の感想でもありますが、この点においては今回の訪問においても変わりません。

 この国が、世界的に大きなプレゼンスを持ってきたのは、2001年9:11以降。アメリカが提唱する「テロへの戦い」に象徴される「アフガニスタン」での戦争の戦略拠点の一部として重要性を持った以来だと思います。またその折り話題となった「文明の衝突 」という歴史解釈もその傾向に拍車を掛けたと思います。
 それからおよそ10年、この国のあり方も、またそれを取り巻く流れも変わりつつあります。
それがプラスなのか、マイナスなのか?は判りませんが、しかし、確実に「変化」は肌で感じられました。
 まずは、そんなところから話を進めさせていただくつもりです。

2008年12月19日

第149回『Tashikenntale08に参加して・その2 価値尺度の揺らぎ』

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 Tashkentale08が開催されたのは10月20日。おりしも現地TVでは、サブプライムローン問題から波及した金融システムの混乱がドミノ現象のように東欧、ウクライナ、ロシアなど連鎖して起こっていることが報道されており、資源バブルに活況を呈し中央アジア地域ではいち早く金融経済に参加していたカザフスタンをも直撃、先進国同様、信用クランチの渦巻きに吸い込まれつつありました。
 
 アメリカ発のこの金融問題は、識者の指摘を待つまでもなく、9:11同様に歴史の転回点となる気がします。資本主義や市場主義の本質が変化するとは思いませんが、少なくとも金融資本主義は見直しが迫られることは間違いなく、とりわけて感じるのは信用で未来を先食いさせ、欲望のままに過剰消費を促進させてきた市場戦略が見事に破産し、身の丈に合った消費へと後退?せざるを得ない状況が示されたことにあるのではないかと思います。

 こう感じるのは、たまたまウズベキスタンにいたからかもしれません。
何故なら、この国はついさっきまで先進経済国と言われる金融主導の経済のメリットを享受していた大国の仲間には参入していなかった、ある意味では出来なかった国だからです。例えればバブルに乗り遅れていたとも言え、こうした金融バブルが破綻した後、幸いして、痛い目に遭わなくて済んだと言えるのかもしれません。
 
 少なくとも旅人の目からは、タシケントやブハラの街の人々は余り大騒ぎをするでなく、淡々と日常を送っている印象でした。
 
 私の5年前に比べての印象では、空港は暗くなり、空港内の貨物を捌くコンベヤーも老朽化して頻繁に動きが止まったりしていました。また、かつて泊まったホテルも資本は変わったものの、椅子の上張りやクロスの傷みも目立ちましたし、バスや洗面所など、十分なメンテナンスが行われていませんでした。ペトロ(石油)が高くなり暮らしはきびしいとの街の声も耳にしました。経済は上手くいっていない、そんな感じでした。
しかし、全体で肌に感じるのは、貧しさや貧しさにまつわる不快感ではなく、逆な、なんともいい居心地です。
それはどこからくるのか?よくはわかりませんが、どうやら私たち日本人とは異なる価値意識があるせいではないかと思いました。ひとつはイスラム圏であり、宗教と関係があるかもしれません。しかし、宗教だけでは説明できない気もします。

 私たちはこの60年、アメリカ消費文化のキャッチアップと、それにイーブンとなった今は、その暮らしぶりを失うのに恐懼しつつ生活を送っているのではないか?
 
 しかし、この国ではそうしたライフ価値とは無縁であるように思えます。
人間が暮らしを営む以上、欲望がないことはありえないでしょう。しかし、他人とは異なるモノが欲しい、勝ち負けを顕示し実感したい、と常に考え、それらの実現が「豊かさ」と思う私たちとは、求める「豊かさ」が同じではない、そんな感慨を抱きました。

 いま西欧の先進諸国は、「意味の餓え」に苦しんでいます。それは「豊かさの尺度の揺らぎ」でもあるでしょう。おそらくそれをもたらしている一つは利己とも言える「自己」への偏執ではないでしょうか?
 
 秋が訪れたタシケントの中心、「ティムール」広場では黄色く色づいた櫟の葉がひたすらに散っています。この落ち葉を高校生と覚しき男女が、掃除をしていました。(写真)おそらく課外授業の一環なのでしょう。そんな光景が意外なほど新鮮に映ったのも、それだけ日本の若者達にはゆとりがなく、また彼らを取り巻く教育をも含めた環境にも利己主義がしみ込んでいるのかと自身も含み内省しきり次第でした。

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