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2008年06月 アーカイブ

2008年06月05日

第136回『「ラストフレンズ」への視角』

フジテレビのドラマがはじまりました。
今回で4回目ですが、視聴率は13%とこの時間帯を考えれば好調のようで尻上がりに視聴者を獲得しつつあるようです。
 
年甲斐もなくこの番組を見ることになったのは、登場する旬な女優さんの魅力もさることながら、新聞掲出の広告のビジュアルに惹かれたことも大きな理由です。
 
広告の詳細については説明を省きますが、このドラマは、いまの若者達の「愛の病理」を見事にえぐった、まさにドラマのフジテレビの面目躍如といった感じです。
開始したばかりですのでどの様な展開になるか、予測はつきませんが、しかし、愛が幸福にはつながらない、そのことへの悩みが基本的な筋立てであることは、宇多田ヒカルのテーマソングからも、運命を表す赤い糸が登場者達とオーバーラップして不気味に伸びていく映像、また幸せを約束するシンボルが次から次へと壊れていく象徴的なタイトルからも想像できます。
 
彼らの不幸はどこからくるのでしょうか?
一つは彼らがいずれも「優しいこと」です。
愛する人を傷つけたくない、護りたいという思いが強いほど深く傷つけてしまうジレンマ。
もうひとつは「愛」の姿をイメージできない、または「愛」を知らないことです。
したがって本来なら楽しい筈の二人の出会いや関係が重苦しく、「あなたの奴隷ではないの」と叫ぶほどに息が出来ないほどに束縛に満ちていくのです。

こうした「優しい関係」と「愛への無知」、それは世代を超えていまの社会の病理そのものでもありましょう。
原因は、いまが「子棄て」の時代であり、また「自己責任」の時代でもあることに求められるように思います。
  
功罪への論議は置くとして「子棄て」は女性の自立とウーマンリブが契機です。
経済力を持つことを求められた女性達の選択は「女性性」の放棄であり、女性の社会化にとって子どもは邪魔な存在となったといえます。
 
また「自己責任」は、社会側からの知識・伝統・倫理など生きるための基礎教育の放棄ともいえます。
こうしたことは1980年代から大きな社会的な流れになったといわれていますが、まさにこのドラマに登場する若者はこの時代の申し子なのです。
 
親から棄てられ、社会から放任されて、価値基準や居場所をも失った彼らは、一見見た目にはおしゃれなシェアハウスで寄り添って生きていますが、ほんとうはホームレスと変わりはありません。
 
彼らにとっては恋人も、二人で居ることも、暮らしを営むことも幸福にはつながらず、ここでは極論すれば20世紀が提示して「豊かさ」づくりのエンジンとなってきたモノ幻想が音を立てて崩壊していっています。
 
こうした現実は社会の危機であり、したがってこの「危機」にこれからのマーケティングは立ち向かわざるを得ないと思います。
それはある意味、20世紀型の幻想づくりとの決別を意味します。

思うに恐らくNextマーケティングへのキーワードはWeb2.0で語られるテクノロジーではなく一種の哲学。
例えば、多様性・共感・寛容・美しさ・物語などでしょう。

多寡がドラマかもしれませんが、私的な思いを述べた次第です。

*「ラストフレンズ」フジテレビ毎週木曜日pm10:00より放映。
主題歌「Prisoner Of Love」

2008年06月20日

第137回『Thinkingを考える』

景気後退は長引く気配です。
そうした景況の見通しから、企業サイドは経営の引き締めをはじめました。
そしてその中身とは、経費のさらなる削減というのが常套手段です。
この狙いは、結果として雇用不安を背景とした経営側の恫喝であり、それを甘受する従業員側は、上司の覚えをめでたくすることで処世していくことになります。
一方、経営側は、冒険を抑え、昔帰りへ志向していきます。

そして行き着くところは、「出る杭は打たれる」をモットーとした物言わぬ社員と思考停止したトップや自己保身に命を賭けるマネジャーたちが支配する会社です。
もちろんそうした会社では、業者いじめもさらにきびしくなるのは目に見えています。
考えることを止めた組織はつじつま合わせに、問題解決を外部に丸投げすることも多くなり意味のない競争プレゼンも頻発することになりましょう。

しかし、こうしたことでいま起こっていることを乗り切ることができるのでしょうか?
たとえば自動車産業です。自動車が必需品であった昨日までは、良いクルマへ向けての「カイゼン」や効率的なWork Systemは有効であったことは間違いありません。
しかし、「クルマが必要」の前提が崩れたらこうした優位は成り立ちません。
こうした変化に対応するには、どうするか?です。
少なくとも昨日までの「クルマの必要」を白紙撤回して、再度「必要」を創っていくことからはじめねばならないのではないでしょうか?

それには誰がお客様か?何を売っていくべきか?どんな市場なのか?
などなどを、プロダクトライフサイクル理論や競争優位、ニッチ戦略など従来のマーケティング技法に偏した発想とは違った発想で考える=Thinkを常態にできる組織づくりが必要です。
とくに私の知る限りでの企業は現有している「モノ」に依存したプロダクトアウトまたはサービスアウトの考えからは脱却する必要がある気がします。

こうした例として上げたいのが、この度の四川の大地震で派遣された日本の緊急医療隊が現地での活躍が出来なかったばかりか、足手まといになったことが話題になっているニュース。
一方、日本隊より小規模のドイツ医療チームが十分その役割を果たしているのです。
この違いは何か?
一口で言えば現地の事情の把握力と相手のニーズを理解する柔軟な思考力です。

日本隊は、曰く「こちらの想定で治療の現場を描き、それに準じて装備を調えた。
しかし、それは現実と食い違っていた。
今後の救援活動の反省です」と。これは笑う気にもなれません。これでは救助の押しつけです。

が、こうした日本の「無思考」はマーケティングにおいてはさらに増殖している気配が濃厚です。
伝統を押しつける、一流を押しつける、暖簾やブランドを振り回す、技術を自慢する、安さを闇雲に頻発するなどなど、押しつけ例はいくつでも挙げられます。

いま、ファンサイトでは、Thinkingを標榜して自己のサイトをリニュアルしています。
早い話、「Workする前によくThinkしようよ」、というマインドに自らをリセットする決意の宣言です。
ほんとうにThinking集団になれるか?
それはお客様が判断する判断することですが・・・。

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