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2008年05月 アーカイブ

2008年05月08日

第134回『ペリエ・ジュエのクリエイティブ』

ペリエ・ジュエと聞いて、あのシャンパンね、と思い至る人は相当の通。
ペリエ・ジュエとはシャンパーニュ地方に、ピエール・マリー ペリエとその妻アデル・ジュエにより設立された会社で、婦人の名前をとって、【ペリエ・ジュエ社】と名づけたそうです。
ここのシャンパンは品質の良さで人気を集め、その人気は、かつての著名ホテル「サヴォイ」で第一番の人気だったとか。
まったくシャンパンに縁のない私がこの酒を気にしているのは、実は同社の「ベル・エポック」とネーミングされたシャンパンのポスターの所為です。

白いアネモネの花の深い緑のフロスティなボトルとそれに閉じこめられたかのようなローブデコルテの美女によるこのポスターはオスカーワイルドをモチーフにした、久しぶりに心を揺さぶられる美しさです。
まさにポスターの耽美はシャルドンネの繊細さと上品な、しかもやや放埒なエロスの甘美に陶酔させてくれそうで、この抗いがたい誘惑に勝利するのは難しいほど。
美しく酔わせたい作り手の思いと、美しい特別な時を求める人々とを出会わせてくれそうなグラフィックです。
この酒にそそられると同時にヨーロッパのクリエイティブ力をつよく感じ、いまさらに私たちの美の創造性についての非力を思いました。

最近広告が面白くなくなったとの話をよく聞きます。
その原因はどこにあるのでしょうか?
飛躍的に言えばその一番は、文化のあり方にあるのではないか、と思うのです。
いまと、広告が面白かった時代の文化を考えると、大きく変化したのは男と女の関係でしょう。
「戦後、強くなったのは靴下と女」との古い物言いがありました。
この「女性が強くなったこと」は否定するモノではありません。
また男女同権は当然の権利の主張だと思います。
しかし権利の獲得は、同時に女性が自ら女性性を投げ捨てたことでもあったのではないでしょうか?
「男の肩をもつ女性」は新たな美への期待を感じさせましたが、いつしか女性が男を意識しない「女」を棄てた存在になってしまったのは男にとっても不幸なことです。
豊かな消費文化を謳歌したかつての時代は、男が女性の美しさに恋し幻想し、その誤解を受け止めてくれる優しさのある女性がいた時代です。
香水、ファッション、宝石、自動車すべてが美しかったのも男女の恋のゲームの上に成り立っていたからだったと思います。
広告も美しさを素直に表現でき人々の興味や関心を惹きつけるパワーを持っていました。

がいまは違います。
資力をもった女性達はそれらを欲しいままに手に入れることができますが、しかし、それが何になるのでしょうか?
賞賛してくれる他者のいない香りや輝きにはどれほどの美しさがあるのでしょう。
ジャズのスタンダードナンバー「時の過ぎゆくままに」ではありませんが、男がいて、女がいる文化しか美しさは紡げないのではないでしょうか?
このペリエ・ジュエのポスターは変わらぬ恋の文化とその美しさの価値を感じさせてくれた気がします。
いいな、ペリエ・ジュエ。
 
桜が散る季節、この酒を賞味するにはアネモネのように期待とはかない夢を味合わせてくれる不実で甘美な女性とステージが必要なことは言うまでもありません。

2008年05月22日

第135回『価値の島々を繋ぐ』

最近、ちょっと惹かれた広告があります。
女性誌FRAUのポスターで、全部で5枚くらいのマルチプルに展開したもの。
掲出場所は地下鉄有楽町線の永田町駅の、半蔵門線へつながる長い下りエスカレータ脇の壁面に沿って飾られたポスターでした。
極めて特殊なスペースで、また駅貼りという僅か1週間に限定された掲出でしたので気付いた人は、少ないかもしれません。
 
メインのキャッチフレーズは「恋せよ、オトナ」でした。
このフレーズは、1枚でも成り立つことを考えたポスターに使用されたものですが、残念ながら、これのみでは、たいした訴求力はないのでは?と思います。
他の駅での掲出は1枚きりで、ありきたりの女性誌広告に過ぎず、正直、気に留めることもない出来映えだったからです。
また、仮に複数枚同一表現を連続して展開しても同様であると思います。
 
それでは何がこのポスターの魅力となったのか、それは複数枚を使った物語性とそれを語る「オトナの恋」についての視点の豊かさです。
ビジュアルは「赤い糸」をモチーフにした白バックの、それぞれの多少変化はあるものの、シンプルなデザインですが、その表現に盛り込まれたコピーとサブキャッチおよび展開には正直唸らされました。
 
恋の文化は、伊勢物語や源氏物語などいにしえ人の専売特許と思っていましたが、いまやっとこの文化が、オトナの女性達の文化となってきたのでしょうか?
結婚しない女性が輩出する昨今、僻みや嫉みではなく、恋を、出会いをエンターティメントとして受け止める女性側からのこうした洗練された恋愛の提案にオトコは応えていけるのか、心配ですが・・・。
 
いま、技術格差がなくなり同時に情報価値は相対的に低下してきています。
ターゲットが見えず、差異を何に求めていいかわからないという現状に、効率、低価格、機能・技術の微細な差別など、さらには販売努力など声高にモノ依拠するパワーへの回帰が叫ばれがちです。
しかし、こうした従前の活動はもはやムダなあがきのようです。
 
現実を直視すれば「社会」は狭くなり、価値の共有は社会全体というより社会という海にあって価値と共感でつながれる人だけが集う価値観の島。
その島では人々は孤立を怖れ、「優しい関係」の維持に神経をぴりぴりさせています。
情報時代は営みや人間関係への不安に充ちた神経過敏時代でもあるのです。
 
そうした風潮にあって私たちが行うことは、日常の営みの新しい意味づけであり存在そのものの価値づくりでしょう。
そしてその意味や価値を物語として語り表現するサービスやモノを共感のメディアとして提供していくことではないでしょうか?
このことを前回のペリエ・ジュエの表現もそうですが、このFRAUのポスターシリーズもまた証明してくれているように思います。

「恋せよ、オトナ」では心は動く歳ではありませんが、男と女の変わらぬ物語として多面的な意味づけや提案に出会うことは購買への大きな動機付けとなり得ます。
それには人とその営みへの素養とそれぞれの価値の島を繋ぐオトナのパースペクティブが前提。
クリエーターの皆さまがんばってね。

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