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2008年01月 アーカイブ

2008年01月10日

第126回『子年はクリエイティブ思考事始め』

新春を迎えました。
皆さん今年の思いはどのようなものでしょうか?

ご承知のように本年の干支は子=「ねずみ」。
12支をぐるり一回りして始めに戻った年です。
これはある意味では、象徴的と言え、これからの時代を考えるときゼロ時点に立って思考する年が始まったとしてもいいのではないかと考えます。
これは覚悟の暗示でしょう。
それではどの方向に向かえばいいのでしょうか?

ここに一つの示唆があります。
西洋の占星術の考えでは、20世紀までは、魚座の神秘性に基づき、人類が物質のみでなく精神をも多少評価するよう時代だそうです。
つまり魚座の時代とは、キリストが登場してから現代まで。
その2000年の間は、帝國が生まれ、列強が支配し、多くの国々を戦乱に巻き込できた時代です。
しかし、この魚座の時代は、思想が民主主義・民族主義などにより細かく分断されつつ終わりを告げようとしており、そして21世紀は、魚座の時代を離れて「水瓶座」の時代へと移りつつあるとの説。

この水瓶座の時代 の特徴は、水瓶座の革命作用により価値観が大きく変り、魚座の時代には物質に従属するものと考えられていた精神や霊というものが、むしろ重要視され、物質と精神が等しく評価され、その融合の中に新しい生活の価値観が出てくる時代であると推定されているのです。
東西共に新時代への期待は「パラダイム」の変換へ要請です。
もちろん迷信として笑い飛ばすのは自由ですが・・・。

いま先進国の企業は大きな苦境に対面しています。
それは一言で言えば「モノを中心に置いた経営」の限界です。
安価なモノ・人などの資源を求めて世界を飛び回ってもそれが企業成長に結びつくどころか自身の首を絞めることにつながることがもはや自明となってきたのです。
D/ベルは20世紀後半を知識社会と定義しましたが、いまやその知識そのものですらコモディティ化が急速です。
こうした動きに対して、いまは未だ回答はでていません。
しかし一部の先進企業では、現状のブレイクスルーの道として人々の「創造性」=クリエイティビティに期待を寄せ始めています。
ここ数年来、「クリエイティブ」に関わる経営書が刊行されているのもこうした流れを裏付けるものでしょう。

人が欲しくなるモノ、感動するモノ、心底愛着してくれるもの、を開発し提供していくためにどうすればいいか?
追進してくる新興国企業との競争には「モノ発想」からの脱却しか道は残されていないのではないか、先進企業の危機感がいまやカタチとなって表れ始めています。
i-Podの成功、GEのエコプロジェクト、P&Gの動きなどそうした典型例と言われます。
プロダクト開発からマーケティングまで、従来のモノから精神へとパラダイムを転換し、一連の創造性=「クリエイティブ思考」を導入する経営の登場。
そしてこうした動きはいま始まったばかりです。
新たな子の年、これぞクリエイティブ思考事始めの年ではないでしょうか?


子の日する野辺の小松を移し植えて年の緒長く君ぞひくべき(新古今:賀歌)

2008年01月24日

第127回『乾山を想う』

昨年の暮れ、「尾形乾山と光琳」展を見に行きました。
展示会場は有楽町の「出光美術館」。
NHK日曜美術館での紹介もあり、比較的地味な企画にも関わらず大勢の、そのほとんどはシニアのご夫婦や仲間連れで、シニアのライフスタイルを考える好材料になりそうな展示会でもありました。

余談はさておいて乾山の作品を見て直感的に思ったのは、陳列台に飾られた不出世の陶工の作品はいずれもエンタテイメントとしての美の商品化ではないか、と言うことです。
まさにここにあるのは造型、色、意匠などにおいて仕掛けに充ちた美しいエンタティメントそのもの。
つまりは消費者をいかに喜ばすかに専念したクリエイターたちの美への想いとサービス精神、そしてそれをカタチにした技によるエンタティメントであり、そうした作り手の想いがそれを求め買う人々のニーズと融合して生まれた美しい楽しい売りモノたちであることです。
そしてまたこうした美しい商品は貧しい心や想像力からは決して生まれることはない、真の豊かさから創造されているという実感です。

ご承知のように尾形乾山は尾形光琳を兄とする陶工です。
そして彼らが活躍したのは元禄の時代です。
元禄時代とは狭義に解すれば,1688年9月に貞享5年から元禄と改元し,1704年3月に元禄17年が宝永と改元するまでの元禄年間をいいます。
元禄年間は悪政と世相風俗退廃の時期とする見方があると同時にそれとは逆に柳沢吉保らを中心にした貨幣経済政策がとられた時期として社会経済の発展に即応したものとする意見もありますが、いずれに与するにしろ,消費水準の向上と貨幣経済の進展という流れによる激動の時代です。
この結果、時代の主導権は武家から町衆に移行し新しい富裕層が誕生し、さらに禁欲的な価値のパラダイムが大きく変わって美を謳歌する時代だったと思われます。

こうした新しい流れに対応したのが琳派です。
琳派は桃山時代後期に興り,近代まで続いた造形芸術上の流派ですが、本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し,尾形光琳・乾山兄弟によって発展し,酒井抱一,鈴木其一(きいつ)が江戸の地に定着させた芸術と言うのが定説です。 
そして興味を引かれるのは琳派の新たな担い手として登場した尾形兄弟はその出自は雁金屋という豪商の金持ちの家柄であったことで、元禄以前の芸術の担い手であった武家や貴族、僧侶に替わっての商売人の息子たちであったことです。
言ってみれば片手にソロバン、もう一つの手には洗練された美意識をもった人材たちの登場した時代だったのです。

乾山の作品は、ほとんどが光琳とのコラボレーションから生まれたとされていますが、そのリーダーシップは乾山によるものです。
京都の仁和寺そばの鳴滝でスタートした乾山が、商売人としての面目を躍如とさせたのが二条丁字屋町へ移っての活動でしょう。
彼はいまで言う「クリエイティブマネジャー」として,粟田口や五条坂の窯を借りて懐石道具などを量産し,〈乾山焼〉とブランド化して手広く販売し,洛中の人気を集めたのです。
これは当時量産化で伊万里焼に後塵を拝してしまった京焼きの市場の再興を目的としていたと言われます。

衰退する京焼きの状況に対処して乾山が試みたことはなんだったのか?
一つは市場を伝統的な美に憧れる町衆の古典&文人趣味ニーズに絞り込んだこと。
これにより高級什器と言うニッチの市場が開発されたこと。
第二は量産化を指向しつつも小生産、限定生産により希少価値を大切にしたこと。
第三は自身がデザイナーであると同時に生産、販売を統括する経営者あったこと。
最後に自身が楽しめ、また人が楽しめる驚きを採算を度外視してすべてに試み、その成果を提供したこと。

乾山は晩年京を離れて江戸で生涯を閉じますが、彼は81歳の最後までクリエイターとして生を全うしたとのことです。

翻っていま経営にクリエイティブ思考の導入の必要が唱えられ始めました。
背景には優位性が縮小しつつある国際競争とよりよい生産性への追求が企業の生存のニーズになってきたことがあります。
その切り札として「クリエイティブ」が浮上したのです。

しかし、現実はそれへの道程はきびしいものと言わざるを得ません。
なぜならいまの経営者たちはテーラーやデミングの弟子ではあっても、T/レービットの弟子でさえもないからです。
クリエイティブ思考の導入は外部の著名デザイナーにアウトソーシングすれば事足りるほど甘くはありません。
経営にクリエイティブ思考を導入させ成功している経営者たちはファッション界を除いては、スティーブ・ジョブス、ビルゲイツその他わずかの人材が思い浮かぶだけの現実に、元禄の乾山たちの創造力を武器にした経営を想うのです。

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