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2007年08月 アーカイブ

2007年08月02日

第117回「勘違いが多過ぎる。」

良い製品を創れば売れる、技術力が勝てる、必要な製品だからお客は買ってくれる、優秀なセールススタッフがいるからマーケティング力も心配ない、多量の広告費や販売促進費を投下すれば市場シェアは獲得できるなど、などマーケティングにまつわる勘違いはたくさんあります。
そうしたなかで、もっとも困った勘違いは、「貧しい人々には購買力がない」という勘違いではないでしょうか?
要はお金がなければ人はモノを買えないという思いこみです。

たしかにお金持ちは可処分所得がありますから、モノを買うゆとりはは大いにありますし、お金持ち達の派手な買い物はマスコミの話題にもなって目立ちます。最近ではバブルの再来を思わせる「新富裕層」なる階層が台頭し、例えばミッドタウンのレンタルマンションなどは、最低でも1月70万円はくだらない価格でもすべてが契約済みとか、呆れるようなお金持ち達が生まれていると聞いています。またかつての色街「神楽坂」でも贅沢に遊ぶリッチな若い人々が増えているとか、など派手な噂がマスコミを賑わせていますね。

ある統計によれば、現在現金を1億円以上持っている人は、日本人の1,4%を占めているそうです。そしてこうした人たちの活発な消費意欲が日本の経済牽引力として期待されているようです。
そのため企業でも高額商品の販売に力を入れつつあります。家電、銀行、証券、カー、その他パワーブランドなど各企業皆揃って新富裕層へと戦略をシフトさせて入るようです。
一方、こうした流れとは別に進行しているのは「下層」への流れで、人口量としては圧倒的です。こうした層は、購買力も徐々に下降し、顧客としての価値を喪失していくのでしょうか?また、価格に敏感なために安いモノしか買わないため、収益もたらしてくれない顧客なのでしょうか?

私はここに大いな誤解があると思います。
まず、歴史を振り返って見てください。例えば車や家電などかつて3Cと称されて欲望の対象であった時代、それを支えた人々にはお金があったでしょうか?「貧乏人は麦を食え」と誹られた時代、当時の蔵相は「車不要」を唱えていたのです。
そんな時代、間違いなくクルマの需要を支えたのは「貧乏人」でした。家が購入できないから「クルマ」を購入したのです。しかもお金がないから未来の借金というローンで。
最近、第三国では「ミネラルウォーター」や「洗濯機」「冷蔵庫」が売れているようです。またグラミン銀行のような小口金融も成長しています。
PCもマーケット拡大しています。貧乏な国にも拘わらず活発な消費が行われているのです。
数年前、ODA対象の貧困国を訪問しました。そこには日本を除いて欧州、米国の流行品が溢れていました。現地では、日本製品へのあこがれは強いものの日本企業は「カネがない国」を理由に無関心でした。

「貧しさイコール購買力がない」というのはとんでもない誤解です。
また、富裕層にしても、本当のお金持ち・・・ある人は旧富裕層と名付けています・・・は購買意欲が乏しく、所有する資産を出来るだけ減じないで次世代の継承することに心を砕いていると言われます。お金は持っているものの顧客としては魅力に乏しい層であるようです。もしかしたら新富裕なるものも本当には豊かではないのかもしれません。

いまや考えなければならないのは、こうした高所得即高消費と言う発想では的を得たマーケティングは出来ないということ、さらには下層化していくマスを変化として積極的に関わり、彼らがこれから直面する「貧しさ」を「豊かさ」に変えていくような発想のパラダイム変換だと思います。

2007年08月23日

第118回「低価格を考える」

不二家、ミートホープ社、これら一連の出来事に触発されて、食の安全を脅かす不祥事が出るは出るは・・・!。
そして中国の食品、いかに羊頭狗肉のお国柄とはいえ、今回の段ボール入り肉まんには驚きました。
いち早くアメリカでは中国からの食材・原材料は一切していないと称するフリーチャイナと表記したラベルが貼られた商品が大人気とか?
いまや死語となったと思われていた「安かろう、悪かろう」がリバイバル。
さらに過激になって「安かろう、危なかろう」です。

ミートホープ社の社長の「消費者は安いものを選ぶ」から品質をいつわったという弁明にも呆れ果てましたが、こうした事件が、生産者は悪いことはしない、企業は誤魔化さないと「平和ぼけ」の、闇雲に品質やブランドを信じてしまうお人善し消費者の肝を冷やしたのは事実です。
まさに戦後日本企業が培ってきた信頼は一挙に灰燼に帰しました。
これからは「安い」には裏がある、とモノを買う際には予め疑って掛かる消費態度が求められましょう。
まさに「戦後レジームの脱却」だ。

競争社会において、「低価格」を志向するビジネスモデルは、既存の企業を脅かし、市場の新陳代謝に貢献してきたのは事実です。
とりわけコモディティ市場では、仕掛けられた価格競争に打ち克つのは大手企業と言えどたいへん困難な取り組みであるようで、多くは低価格を武器にする新規参入者に牙城を明け渡しているのは事実です。
またビジネス活動の現場では、ライバルの価格をくぐる価格戦略は魅力です。
しかし、こうした低価格戦略も信頼あってこそ。
ビジネスの立脚点が「倫理欠如」とあっては話にもなりません。
で、考えてみたいのですが、どうしてこうした人の信頼を裏切る行為が発生し、しかも製販三層にわたってのチェックもされず放置されたままにあったのでしょうか?

その原因のひとつはビジネスの起点がつねに「上」、つまりお役所や親会社、権力などにあることではないかと思います。
市場原理志向が支配的となり、同時に企業の優勝劣敗は、「収益の極大化」にあるとの考えにより、消費者や生活者を起点とするマーケティングなど糞食らえとなったことです。
同時に、近代化した倫理観は上っ面で、本当は、村社会そのものの倫理が横溢している企業風土が後押ししてもいるのです。
「出る杭は打たれる」、「もの言えばくちびる寒し」が常態の倫理にもとづく経営が人間を優先するマーケティングの否定となっているのです。

ミートホープ社は破産し、従業員の方は解雇ということのようです。
お気の毒とは思いますが、彼らに責任はないのでしょうか?
小さい会社です。
長年にわたる品質の誤魔化しや、ずさんな品質管理に気がつかなかった筈はありません。
また、彼らは自社のこうした製品を、自分の子供達によろこんで食べさせていたのでしょうか?
社長や上からの指示だから、やむを得なかったとの反論があるかもしれません。が、責任逃れの免罪符にはならないと思います。
「長いものに巻かれた」と言う弱者ぶりっこのいいわけは勘弁です。
すべてにわたって言えることですが、ものをつくる、それを仕入れて売るということは、生活者の営みを代行することです。
これは低価格志向のビジネスでも価値志向のそれでも変わりはありません。
嫌われるかもしれませんが、私たちは生活への「裏切り」を糾弾する視線を持ちたいものです。
そのためには低価格の「わけ」、それを成り立たせているビジネスモデルの構造にもっと目を向ける必要がありましょう。
そしてその社会性を評価し、反社会、非人間的なモデルの低価格、価格破壊は、しっかりと拒絶していきたいと思います。

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