2009年06月25日

2009/6/25
第161回『Come back professional!』

▼プロが消えていった!

 覚えていますか?名キャッチフレーズ「美味しい生活」。
その土台には機械の論理による生産性と効率化を限りなく追求する製造・販売のシステムの完成があったと思います。代表としては、生産などものづくりではジャストインタイムとQC、サービス・流通ではチェーンシステムとサービスの平準化であり、その促進ツールとしてはマニュアルです。こうした生産・サービスのシステムづくり流れの中、「考える」と言う人たる要素への評価は希薄となり、とりわけ・誇りと・こだわりを持つが故に、プロが排除されて、以降、今日までビジネス成長は限りなくアマチュア化により推進されてきたと言えます。
人々が「美味しい生活」を楽しむ陰で、プロが消えて行った時代、それが20世紀、目利き、質重視、こだわり、美意識、思いやり、気づかいなど、さようなら!の時代でした。

▼丸投げと空洞化

 プロが消えたと同時に出来上がったのが、自ら汗を流さないで仕事を丸投げし、負担や責任は他人に順送りする外注体制。いまや当たり前のように企業ばかりか家庭にも「外注化」が大いに浸透しています。そしていまこの「外注化」の負の面、とくに「空洞化」が大きな危機として浮上して来ているのではないでしょうか?空洞化は業務の遂行能力ばかりでなく、責任、倫理、愛情など心の空洞化にも連なっています。
これは広告産業にも当てはまります。
もともとこの産業は受注を前提とした業界であり、体質的に自前の人材育成には消極的。とくに制作やプランニングなどで人材を固定化することは経営の負担でもあり、一方、こうしたクリエイティブで働く側のマインドも企業による縛りを好まない気風が強いことが追い風ともなったと思われます。
そんなわけでプロジェクトに応じて人材を集め、プロジェクトが終われば解散するという柔軟な組織づくりが慣習的にも行われていたため、こうした「サービス」や「能力」の外注化には馴染んでもいたからです。
こうした土台の上に作られた一例がディレクター制。
ディレクターは本来、制作の目利きとして・仕事の質・コスト・納期・その他の条件を勘案し人材を選別し適材適所に配置するのが役割です。
しかし、この仕事が、賃金体系とリンクした時からカタチだけのサラリーマンクリエイターが跋扈し始めたのです。彼らの得意は・手配と調整。夢は出世と高賃金です。

▼クリエイターのサラリーマン化

 広告産業が飛躍した要因には、マネジメントシステムの変革がありました。70年代がその皮切りでした。
例えば年齢給と職能給の組み合わせた賃金体系の導入です。
これにより有意で熱意あるクリエイターは制作のプロに徹するか?管理職者としてキャリアを積むか?の二者択一を迫られたと記憶しています。生産性と効率の資本の論理の下では、制作の質イコール収益への貢献です。
こうした生き方は、彼らの誇りを傷つけ自信を失わせたとも言えます。
大手の組織では、個人の能力より組織力、発揮すべき能力は根回しと交渉力など、処世術が一般だからです。自分の夢とスキルの向上に賭ける人々は、会社が用意する管理職の席を拒み去っていきましたが、一方、自己の暮らしの安定を多くは志向しました。このことを非難するのは酷です。しかし、その結果、物言わぬクリエイターが増えた、いわばクリエイターのサラリーマン化です。

▼危機に立ち向かえるのはプロだけ

 広告不況は、いま大きな社会的な話題です。そして焦点は、マス媒体セールースによるコミッション制の揺らぎとマス万能への見直しです。端的に言えば楽して儲けられる代理店商売の終わりでしょう。しかし、こうした構造面での危機以上に深刻なのはリスクに過敏で、物言わぬ組織人の存在とクリエイティブに誇りをもつ「プロ」の不在という現実ではないか?と考えます。いま広告会社になにがありますか?あるのはマネジメントシステムだけと言ったら言い過ぎでしょうか?

広告が近代産業化した揺籃期はプロが活躍した時代でもありました。
グラフィックでは、一流デザイナーのもとで徒弟的に修行した人々が、師匠を超えるプロを目指しお互い牙をむき合っていたし、まだ十分な市民権を得ていなかったCMの前期には厳しい監督の下で訓練された職人気質の人材が流入してもきました。コピーライターの文筆の技も眼を見張るものがありました。
彼らはいずれもが卓抜した「プロたち」であったように思います。
当時の新人だった私はよく怒鳴られましたし、制作の現場はピリピリしていました。これは代理店に限らず広告主側でも同様でした。私は、幸せなことに社内、クライアント、そしてライバルに教わり、それぞれのプロの卵たちとともに育ってきました。その割りにはパットしないのは申し訳ありませんが・・・。
でも今はこうした環境はとっくに無くなっています。
組織の中に「プロ」がいないと言うことは「プロ」を育てられないということでもあります。
直面している危機的な状況に立ち向かうのは組織ではなく個人の熱意と誇りです。
同時にビジネスを知り、新しい価値を見出し、組織を啓発して行くこと、それにはサラリーマンクリエイターにとっては余りに荷が重いのでは・・・?
業界では、仕事が細かくなった、手間や手続きが増えた、成果がより厳しく問われる、など「ヤバイ」情況がいっぱいです。
濡れ手に粟の夢はもう戻ってこない展望を前に、「鬱」が蔓延しないことを祈るばかりです。
Come back professional!

2009年06月11日

2009/6/11
第160回『「広告批評」の休刊』

「30年間ありがとうございました」お別れのメッセージが表現されたシンプルな白地の表紙に惹かれて早速手に取り、購入しました。
ふーん30年間続いたんだ、というのが率直な驚き。部数は3万部近くを維持してきたそうで、休刊の理由は、経営面よりはマス広告万能の時代が終わりを迎えたから、と言うのが初代編集長であり社主の天野祐吉氏の談。「3年前からいつ幕を引くか」を考えておられたとか。

▼広告を楽しめた時代の終わり
 私個人としては、編集に関わっていた方々に過去多少の知己はあった所為で、休刊への感慨もまた一入ですが、一方、この雑誌そのものの役割は?と言うと、正直、高踏的な文人趣味の雑誌の範囲を超えなかったな、との思いが強い。休刊に際して、天野氏が寄せられた辞のように、まさに広告クリエイター、彼らに機会を与えた広告主、そしてこうした集団を取り巻いたいわば広告オタク的な読者が「遊んだ」仲間雑誌、広告クラブ雑誌だった気がします。おそらくこの手の雑誌は欧米には例がないのではないでしょうか?

もちろんそれだから悪い、良いというのではなく、ある意味、典型的な日本固有の雑誌であり、文壇的な文化を体現していたともいっても良いでしょう。
それ故か、ジャーナリズムの大切な側面である「批判」についてはある意味「逃げた」雑誌にも思えます。

とりわけマーケティングサイドに立ってきた私にとっては、この文壇的な性格が、ビジネスとの乖離を増幅させて来て、広告コミュニケーションの発想を本来経済活動にある戦略のフィールドではなく、広告表現の「芸」の狭い範囲に閉じ込めてしまったのでは?と言うことです。
また組織で思考する広告では無縁の個人的なタレント性、作家性に光を当てすぎたのも広告コミュニケーションの進化をゆがめたのでは?との思いがあります。
最近、メディア、特に総合雑誌の休刊が相次いでいます。それは発信者サイドの自己満足的な編集がいまの読者と合わなくなってきたこと、またそうした独りよがりの「お遊び」に付き合うほど、暇やお金を使う気が無くなってきている時代になったことでしょう。広告も同じです。こうしたことを「文化が浅い」と批判する人もいますが、それはお門違い、文化の変化への無自覚だと思います。役に立たないものは消えてゆくのが歴史の習いでしょう。

▼批判とは無縁のジャーナリズム
 私にとっては今回久しぶりの「広告批評」の購入でした。センティメンタルな動機が購入理由のひとつですが、もう一つは、この広告界をリードして来た雑誌が、今直面している「マス広告万能の時代が終わり、ピンポイントのコミュニケーションである狭い広告」へと流れる現実にどのように取り組むかについてのメッセージがあるのではないか?さらにはクリエイターと呼ぶ才人たちが、ケイタイやミクシーなど自分だけの情報カプセルに引きこもり、好きな情報だけを吸収し、傷つくのを恐れて、他者とのコミュニケーションを求めない「いいとこ取り」の人々とのコミュニケーションを行わねばならないと言う困難にいかに取り組もうとしているのか?ということへの極めて実利的な関心でした。
しかし、期待は見事裏切られた、と言うのが本音です。
この雑誌に参集したクリエイターは、広告エリートであり売れっ子の「優等生」なのでしょう。またあまりに専門と言う縦割りの「あてがい扶持」に徹したプロ集団といってもよいのかもしれません。
ほとんどは議論を避け、問題意識を明確にした論争を好まない「世渡り上手」。まさに良き広告パラダイス時代に生まれた世代のクリエイター達だったのです。
それだけに企業や生活者が直面している現実への感度が鈍く、また企業側の価値意識を是とする思考性向が強いようなのです。
ここに広告界の先行きに限界を感じるのです。

▼反骨こそ「広告」のエンジン
 ジャーナリズムとしての「広告批評」は、資本や企業活動である広告の光の部分にフォーカスするあまりに闇の部分を意識してこなかったこともこうしたクリエイターを生んできたのかもしれません。
資本の矛盾や消費社会の行方などの文脈と切り離して、広告を作品として位置づけ、個人のタレント性に限定した「広告表現芸」に押し込めたのは「広告批評」の負の側面です。もちろんこのことが経営的に力となり30年の歴史を培ってきたことは否定できませんが・・・。

▼Goodbye、広告批評!
 かつて私がお世話になった広告会社の創業者瀬木博尚氏は、宮武外骨という明治から昭和期を反逆的に生きたジャーナリストに資金援助をしたそうです。それが東大の「明治文庫」の創設です。
広告とジャーナリズムとはコインの裏表の関係でもあります。そしてそこに身を置くことが往時の広告人の誇りと矜持でもあったのです。こうした先人の思いは、いまどこに行ったのでしょうか?

体制の「提灯持ち」に徹し、内省のない広告作家に明治の批判精神の爪の垢でも欲しい。そうすれば広告はもっともっと面白くなるのでは・・・!
マスコミや企業が「人目線」を唱うこととは裏腹に、欺瞞や作為が目につく昨今、広告人としての反骨が問われているような気がしてなりません。
そんなわけでGoodbye、広告批評!

2009年05月28日

2009/5/28
第159回『賢いクリエイターからは無視される話?!』

▼クリエイターは経済を主導できるだろうか?

「クリエイティブ経済」とか「クリエイティブ・クラスの世紀」など「クリエイティブ」に期待と注目が集まっています。しかし、こうした期待や時流がカタチとなり実勢を持ってくるには正直ムリ、大きなカベがあるのではないか、と思います。
このカベとは、思うに企業側に、さらには困ったことにクリエイティブを担うクリエイターやデザイナーなど当事者にあるようです。
企業にあるカベは、さておいて問題はクリエイティブに携わる人々の中にあるカベです。

▼カベ①   他人の異見を無視することが「価値」だと思っていないか?

 極論と言われることを覚悟で申し上げると、クリエイターもしくはデザイナーと称する人々のマインドは他人からの異見を聞かないことにその特性さらには姿勢の基盤があるように思います。
それは何故か?ひとつにはアーティストとの区別が、自覚されていないこと、アーティストと呼ばれことで「他人へのサービス意識が希薄になる」こと、さらには困ったことにはこうした仕事の価値は、他者と関わりを絶つことによって「世界を持つこと」そして「その世界を純粋に表現することだ」と確信しているふしがあることです。
この思い込みは、イコール不遜に繋がりがちで、ひいては他者の意見・意見は邪魔であるのではないでしょうか?

▼カベ② 初めに自分ありき!?

 例えば、プロダクトデザイナーであれ、コミュニケーションデザイナーであれ、彼らが仕事を遂行するに当たって、自身を無にして、どれくらい市場データを読み込んでいるでしょうか?また、それをデザインにどれくらい生かしているでしょうか?
多くはまず自分の思いが先にあって、手続き上、参考にする、場合によっては、修正の目安にする程度ではないでしょうか?また、周囲も彼らの独尊を暗黙に認める流れにあります。とくに感性の時代と言われた時期にはこうした傾向が強く感性とは何かを考えず感性のあると思われているクリエイターに丸投げをしていた、または口を挟むのがマネジメントを業とする者にとって処世の智恵でもあったと言えます。こうした風潮は未熟のガキクリエイターを増殖させ、彼らのやんちゃ即クリエイティブという状況も輩出したほどです。

▼カベ③ クリエイターは「違いが判っている?」

 クリエイターたちは、自分では違いを意識しているつもりでも、実は自身の発想自体が多くの人々と同質であるため、所詮感性の差やスキルの違いでしかなくなっているのです。
私が時折参加する会議でも、デザイナーたちは表現者として参加しています。彼らに期待されているのはインパクトや大衆受けですが、これには常々疑問を抱いてきています。確かに情報過多の時代だから目立つことは必要条件ですが、それは人々の行動を誘発してこそ意味がある筈です。
ある著名な広告評論家は、「広告はバナナのたたき売りの口上」と似ており、その口上の芸が、魅力となるとか言う意味合いを述べておられました。それを否定する気はありませんが、それは広告のエンターテイメント性に偏したご意見で、クリエイティブの役割の一部でしかないと思いますし、ましてや市場の成熟・コモディティ化が進行し、WEB2.0の時代にあっては、こうした「受けを狙う考え」やその芸としての職人技は時代の要請にそぐわないとも言えます。

▼カベ④  情熱不足?

 いま市場には創造的なクリエイティブの機会はないのか?そんなことはありません。むしろ人々が不満だらけのいま、機会は腐るほどあるのではないでしょうか?
しかし、現在のマネジメントは、こうした不満を市場化することに、かつての時代ほどに情熱を持っていないようです。
またそれらを支援するクリエイター達もまた、処世に長けており、情熱不足です。ホントウはやらねばならないことはいっぱいあるのに・・・。
いまやクリエーションする人々は、市場に入って人々の生の不満を収集し、それを検証して資源化する必要があります。彼らはマーケの人以上に、不満に、社会に、世界にセンシティブに出会わなければならないのではないでしょうか?
しかし、彼らはそのためにどん欲に動いているでしょうか?また人々のホントウを知るのに素養と思いやりをどれほど持っているでしょうか? こうした知と情の下地がなければ、他人の異見は耳に入りません。ましてや儲け主義や仕事を取るなどという利己主義は論外でしょう。
クリエイターの持つべき関心は、いまや企業に与して「勝組に乗る」ことではないと思います。こうした勝ち、負けの意識ほどクリエイティブとは遠いものはないかも知れません。
一度、クリエイターは、企業から与えられた価値観を離れ、「人そのものの満足や幸福とは何か?」へと言うべき利他の考えに軸足を移して、企業の都合とは異なる異見を率直に唱える戦を企業経済社会に挑んだ方がいいのではないでしょうか?

 もちろんこうした考えにはリスクがつきものだということは承知ですが・・・。
こんな青い話、賢いクリエイターからは無視されそうですが・・・!

2009年05月14日

2009/5/14
第158回『笠森お仙と広告会社』

▼クリエイティブのパワーダウンは何故?

 広告制作のクリエイティビティが昨今とみにパワーダウンしていることは衆目の一致しているところではないか、と思っています。皆さまはいかが感じておられますか?
不景気になり、広告にお金が掛けられなくなったから?、売りが求められるため創造力を発揮する余地がすくなくなった?など理由は挙げれば限りなくあると思われますが、私は思うには制作能力の基盤である情報収集力、または情報感度が鈍くなった結果も大いにあるのではと思っています。
なぜそうなったのか?この原因は制作する会社のオフィスづくりにもあるのではないでしょうか?

▼受付嬢がいつしか消えた?

 古い話で申し分けありませんが、かつての広告会社、またはクライアント企業には心惹かれる感じの良い女性が受付には必ずいて、ときによってはお茶を接待してくれていました。
そしてとりわけ若い広告マンにとっては、彼女らに接することが楽しみのひとつであったような気がします。かく言う私も恥ずかしながらその一人でした。
広告や媒体セールスであれば、たいした価値のある商談ネタがなくても、気軽に客筋に出向けましたし、とくに成長期の媒体マンなどは当座の商売は完結しているのが通常でしたから広告代理店回りをしている際に、受付嬢との雑談が格好の時間潰しとなったようです。
女性の立場からすれば、「私たちは客寄せパンダじゃないわよ」と柳眉を逆立てるかも知れませんし、また考えてみればムダな人材の配し方とも思われます。
そしていつしかこうした受付嬢は受付電話や連絡パネルに取って代わり、媒体情報のやり取りは、オンライン化。広告会社と媒体社との関係は急速にオンラインネット化されました。
そのネットでは、丁度JRの「緑の窓口」のように時間や番組の空き枠情報がやり取りされ、こうした情報ネットの整備は、媒体社と広告会社の結びつきを強化し、媒体情報収集の省力・迅速化などの効率化を促進し、併せて新規や競合への参入障壁を高める役割も果たしたのです。
その結果、情報機器ベースのマネジメントが普及し、用のない人の来訪は迷惑となり、広告代理店の事務所内部や宣伝部の担当の席に行くことは御法度になりました。つまりは情報伝達に関わる人の存在・役割が希薄になってき、官僚的な管理が普及したと言えます。

▼タワーの住人こそが一流広告・制作会社の証明?

 いまや一流と呼ばれる広告会社のほとんどは高層タワービルの上階に入居しています。そのため会社訪問には何重のセキュリティの関門を突破せねばなりません。
一流アドマンは、首にIDカードをぶら下げるのがステータスです。そんなわけでアポなしで担当に逢うことは不可能となっていることはご承知の通りです。
しかし、こうした業種は、本来情報が命です。そして情報には、文字通り情と報せがあり、またこの情報は、ファックスやメールなどのITツールのみに頼ることは充分でないことは自明でしょう。情報には同時に人に付随した、振る舞いや言葉遣いなど身体性によるソフトな側面もあります。また情報には雑多性・多元性があるために、ある人には無価値であっても人により、さらには見方によってその価値は変わるモノです。

▼情報社会の効率とはなにか?

 したがって、他人の話を小耳に挟むこと、オフィスにある空気なども大切な情報収集です。
一方、現実のオフィスづくりはセキュリティや情報漏洩など、オフィスをガードの堅い空間に閉じ込め固めることが重視され、情報交流や人のために開かれねばならないオフィスは管理に都合の良い、他者を排除するデザインの流れに価値を置くようになっています。
こうした用がないこと、時間のムダを排除する考えは生産性を上げるのに、一見、効率的に見えるかも知れませんが、一方、情報のもつ豊かさをそぎ落とし情報を資源化するための異質との出会いや複雑性、多元性などに触れる機会を自ら廃棄している気もします。
私などは先輩から教わったのは、「棄て眼」と言うことですが、それはその場では当座役に立たない情報への目配りの役割とその大切さです。

▼お仙の茶やの教訓?

 最近、江戸が人気です。そうした江戸の商法の一つに水茶屋の集客目的となった「美女」があります。
古い人には懐かしい手まり歌で有名ですよね。
彼女らは錦絵に描かれ評判となり市をなす賑わいを演出したそうです。また古い横町には「小町」なるアイドル的存在もありました。
商才のある人なら誰でも知っていることですが、賑わいがあれば商機もあります。
そこには豊富な情報や儲けネタが集まるからで、それらは皆人についてくる貴重な資源です。それを生かす、生かさぬこそ目利きの創造力でしょう。
最近、ある建築家は、「半屋外」にこだわっているそうです。
いらない塀は取り去り、ちょっとした縁側をつける工夫だけで町が気持ちよくなるからだそうです。この縁側があるだけで、人びとや自然との「ご縁」が生まれ豊かな気分で日々が送れるのでしょう。
いま広告会社の空間はご縁が生まれる空間でしょうか?
人も来ない密室で、居心地のよくないご縁を排除する貧しい囲い込み空間がクリエイティブの空間であれば、そこから生まれるクリエイティブはまた貧しく、人情の機微とはほど遠い情無しの世間様とは外れたモノとならざるを得ないでしょう。

▼人とのご縁を無視する管理姿勢

 クリエイティブのコモディティ化はクリエイターの過ごす環境と相関すると言ったら独断に過ぎるかもしれません。しかし、時間の生産性を強く意識し、大切な人からのノンバーバルな雑多情報を拒む管理の姿勢は、より踏み込んだ思考への道を阻む原因のひとつであると考えます。
私は、ウイキペディアもGoogle情報検索も否定はすべきものとは思っていませんが、こうした意識する、しないは別として囲い込まれた空間に自身を置き、自分に都合の良い情報収集だけに頼った「創造作業」は自ずと他人の枠組みに縛られることは不可避です。

 うがった言い方を敢えてすれば、広告は世情そのものであり、人情を資源化したサービスビジネスではないでしょうか?そしていまでも広告ビジネスの原点は「外」にこそあるのではないでしょうか?
広告会社よ、塔を出でて街に出よ!
広告会社はどうあればいいのか?もう一度、ご縁担ぎで、向こう横町のおいなりさんへにあるお仙の茶やのサービスを思ってみてもいいのでは?と思います。

 この意見、シャンな(超古いコトバですね)受付嬢を楽しみするデンジャラス老害と非難されるかも・・・!

2009年04月30日

2009/4/30
第157回『プロ・デザイナーの終わり?!』

 ある編集の仕事で草分け的な仕事を成し遂げ、いまも意欲的に生きておられる二人の女性に話を伺う機会を頂きました。
お一人は世界にも高名なデザイナー、もうお一人は作家。お二人の共通点は事業家でもある点ですが、それ以上に感じたのが、お二人に共に抱く不満です。その不満は現在の企業やデザイナーなど技術者のもつ志の乏しさを感じ取っておられることに由来していると思いました。

 志と言うと何やら天下国家などの公論を思い浮かべますが、そうではなく仕事を通じた自身の生き方やその仕事の取り組みへの覚悟ともいうべき事柄に対してでしょう。同時に「覚悟」をカタチにする顧客との対話や交流過程と提案力に対してです。
 ピアニスト:j・ピリスは、「芸術家であるよりは人間としての自然の有り様を大切にしたい」と述べていますが、空間・モノ・サービスなどのデザインにおいて、人々への幸福、快適についてあまりに商業的なオファーに与しすぎてはいないか?また、そうした内省的な思考や思いが余り感じられないことへの不満かも知れません。
 言ってみれば、誰のために仕事をしているのか、に対して自らに答えを持っていないこと、さらには、「仕事」トータルの佇まいが、命や環境、社会に優しいか?、また人間らしい未来を育めるか?などなど「いま」にどう対処し、取り組んでいこうとするのかを、「志」・・・彼女らはそうしたコトバは使われませんが・・・と考えているようです。
 
 最近、金融に軸足を置いた経営から、デザインに軸足を置く「クリエイティブ」経営が、世界のビジネスの潮流になりつつあるようです。
仄聞するに、欧米のビジネススクールや企業では「デザインシンキング(思考)」の出来る人材を探し、同時に育成していく取り組みが盛んとなってきたとのことです。つまりは「志」を抱いて世界を創っていける実務家が経営にとって必須となってきたのです。端的には「第二のS/ジョブス」をどのように育てるか?でしょう。しかしこれは言うはやすく、行うには難いのが現実のようです。
 
 とりわけ我が国ではなおさらでしょう。クリエイティブとか、デザインとか言うと、いまでもすぐ話題性のあるデザイナーを登用し、事たれりとするのが風潮です。しかし、ここで言われているのは、世の中の流れを掴む直感とそれにより得られる独自の大局観に基づいてニーズを見出し、それを製品・サービスに、さらには生活デザインやシステムに落とし込む能力ある人材のことです。

 こうした人材の発見、育成には、残念ながら従来の企業人は得手ではないし、また教育機関、とりわけデザイン学校では、まったく無関心事であったと思います。

 マーケティングでは、現在の苦境に対応して・カイゼンやイノベーションの論議が盛んですが、そのほとんどはいま降りかかる火の粉を払うのに汲々としているだけのような気がします。とりわけ「営業」の発言が強くなるほどに「価格」が論議のキーポイントになりがちです。そしてフォーディズムをベースとした思考がより支配的となってきています。
資本は低賃金の労働力を求めて世界を巡ってきましたが、それはもう限界のようです。
9:11が世界の政治の構図を書き換えたように、この金融危機は従来のマーケティングの発想の再考とデザイナーの役割の革新を促していると考えていい気がします。

 課題は、変わろうとしている時代を直感し、わかりやすく必要をカタチにして人間としての顧客にどう答え出していくか?そのためには生き方の覚悟が必要だと思うのです。
言われたことを効率よく、またスポンサーの満足のみに終始し限定的なスキルに依存する「プロ」デザイナーは、もはや時代遅れになってきたのではないか?でしょう。
 
 お話を伺った女性たちのコトバの端々にも、プロと称するデザイナーたちの提言に対し、違和感と苛立ちを覚えておられる印象を持ちました。

2009年04月16日

2009/4/16
第156回『先見的な人事異動!』

 4月は人事異動の季節でもあります。
先日、ファンサイトでお世話になっている大手企業のマーケに勤務するSさんから、人事異動のご挨拶を頂きました。今回の仕事は、「倫理」管理に関わる仕事だそうです。
 私は、流石に一流と言われる企業は、打つ手が早いな、と感心しました。
マーケティングではコモディティ化への対応が話題ではありますが、それと併せて大切なのが「企業の倫理」の管理ではないでしょうか?
 景気が悪くなると企業は生き残りを理由に、なりふり構わない行動を取りがちです。昨今の企業の不祥事や反社会的な行為の続出は、これを物語っていると思います。「貧すりゃ鈍する」です。

●ブランド管理と企業の評判管理!
 世を欺く企業行動に関しては、お天道さまは見ているわけで「評判の失墜」という社会的な制裁が下されるのが、世の常です。
とくにこうした企業の悪評は、BtoB企業より、幅広く消費者を相手とする企業の価値に大きな影響をもたらすと言われています。私たちの記憶では、古くは森永乳業のヒ素事件、最近では雪印乳業の子会社の牛肉偽装事件などなど挙げ連ねたら、その多さにはあきれるばかりです。
 特に知られた企業の倫理欠如は、消費者の怒りを誘い、不買運動にまでもなり、結果、事件発覚後、売上高は、4分の一にまで減少したそうですし、現在に至ってもかつての優良企業としてのイメージのレベルには達していないようです。いったん世間様に与えたマイナスイメージの払拭には大変な苦労がつきまとうことは予想に難くありません。三菱自動車のリコール隠し、不二家、パナソニックなどなど、売り上げや利益にも大きな影響を与えましたが、そればかりではなく株価の低迷にも繋がり、資金繰りにも困難が派生したとも言われます。
 企業の評判は、外部要因に左右される企業ブランドと異なり、経営者や社員が「正しいことを行う」ことで管理できる無形資産です。
かつては「組織の上から下までが正しいことをやる」ことは、企業にとって当然のことだった所為か、総務部など内部に顔を向けた組織の仕事でした。

●評判管理はマーケティングの課題となった!
 しかし、企業価値が経済価値でのみで測れなくなり、また「企業の公共性」が問われる時代になるにつれ、経営者や社員への好感度、信頼性、情報の透明性、などまた高品質の製品・サービスなどがいままで以上に企業の評判に大きく関連してきました。さらに悪い評判をインターネットは加速的に伝播させるのもかつての市場環境ではないことです。
 したがって、企業の評判のマイナスや向上は、内部の課題である以上に、外部との関係づくりの課題ともなってきつつあるようです。
海外のビジネス誌では、CSのように顧客満足度指数をメジャーすると同じ具合に、企業の評判を「Reputation Management」として定量的に測定し指標化して経営課題としていく取り組むマネジメントの動きも実践され始めたことが報告されています。
 今回、異動のお話は、こうした新しいマーケティングの革新の先駆けのひとつでもある気がします。
 もし、企業の評判をマネジメントする仕事が、重要な経営ツールとなるならば、Sさんは時代のパイオニアとしてやり甲斐のある機会を得たことになり、またそうしたキャリアの広がりにより得た知見が、私たちに次なる展望を示してくれるのではないかと、虫の良い思いを抱いています。

Sさん期待していまぁす。

2009年04月02日

2009/4/ 2
第155回『J/ボンドに見る「男社会の終焉」』

 007の新作をご覧になりましたか?ダニエル・クレイグが新しいボンドになったシリーズ第二作。従来のモノと様変わりして来ていますが、今回とくに従来にはない特徴は、まずはあれやこれやの仕掛けのあるガジェットが登場しないこと、また主役のボンド・ガール(オルガ・キュレンコ)との濡れ場がないこと、さらにタイトルバックに流れる音楽が男女デュエットだということなどです。
人気映画の、この変化は私には「3つの大きな変化」が芽生えつつあるように感じました。

女性の役割が変わった!
 ひとつは男と女の関係の変化です。オルガ・キュレンコが扮する女性は、ベネズエラの諜報部員なのですが、復讐に賭ける女性でもあります。彼女は目的のためには、女の武器を使うことも厭わないのですが、同時に男には、ボンドといえど媚びを売らない女性です。
 
 もうひとつはクルマのシンボル性の変化です。名車アストンマーチンDBSは登場しますが、ボンドにより徹底的に使用尽くされます。登場する他のクルマもまったくそっけない扱われ方で、クルマが女によろこばれる、または女をそそる誘惑のメディアとしては位置づけられていないことで、いままでのクルマのシンボル性は、ばっさり切り捨てられた感がありました。
007でのオルガ・キュレンコも恰好よくクルマをこなしていましたが、クルマに縛られた、ある意味では「乗られる」女性ではありません。ボンドとの関係で言えば、セックスパートナーではなく、むしろセクシーな戦友と言った方がぴったりでしょう。
 映画は文化を表現するメディアのひとつですが、まさにこのボンドシリーズは、新しい文化の文脈に則って作成されているように思えました。

シンボルが変わった!
 話は変わりますが、不況の影響もあり、製品・サービスのコモディティ化は急速に進みつつあることは、皆さん肌で感じておられる通りでしょう。そしてこのコモディティ化への対応は、まずは価格を中心とする営業支援とシェアのさらなる拡大。もう一つは、イノベーションによる脱コモディティへの道の追求でしょう。日夜努力に明け暮れているいまの営業、マーケ双方のコモディティ化への取り組みを否定するモノではありませんが、いずれにしろ、いま起こりつつある文化変化への対応には鈍さを感じます。
例えばシンボルの代表「クルマ」のCMです。J/クルーニーの出ているCM、D社の夜会服を着た女性タレントのシーン、T社の女性グループが出ているミニバンのCMなど、首をかしげざるを得ない現実との乖離です。

かっこよさが変わってきた!
 僅かの表現事例から、憶測してはいけないと思いますが、どうも日本のCM制作者、企業の宣伝マンたちは、恰好いい女性像や新しい家族のありたい像を掴んでいないのではないか?と危惧します。ヒラリー、ライス、ミッシェル、さらには元死刑囚金賢姫など「かっこいい」彼女らに相応しいクルマは何なのか?
女性の役割が変化している中で、家族はどうありたいのか?ひいては「かっこよさ」とは何なのか?
これはクルマに限りません。
住宅、ファッション、食、その他、本当の意味で「女性」の時代の到来です。
女性たちは、消費するだけの役割から離れて、社会を創る役割を担ってしなやかに生きはじめている気がします。
そしてこのことは、「男社会の価値観の終焉」に通じる道でもありましょう。
マーケターは、この「新しい現実」を直視し女性が主役の時代の「かっこよさ」を発見することで「変化」を提案しなければならないようです。

2009年03月12日

2009/3/12
第154回『Tashkentale08に参加してNo7 衝突から出会いへ』

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【火を囲んでバスを待つ】

 ブハラ市でのアートイベントのエンディングは、リョウズの傍のレストランでの打ち上げパーティ。多少のお酒を交えての参加者同士のお互いたどたどしい英語を通じたノミニケーションでした。
 この地の10月はもはや秋の終わりで、しかも沙漠の気候は昼夜の寒暖の差が激しいのが特徴で、お開きとなった時間でのブハラの温度は「寒い!」の一語の尽きます。
 
 今回のイベントに招待され、多くの勉強をさせて頂きましたが、そのなかでとくに得られたのは何だろう?それはありきたりですが、人との出会い、とりわけイスラム圏に生きる人たちとの生の交流だったと思います。もちろん上っ面のそれであることは否定しません。
 S/ハンチントン氏の警告は政治レベルでは歴史上常にあったことであり、また現実でもありましょう。しかし経済、通商、文化のより広い人間の営みにおいては、衝突よりは出会いを求めてきたのではないでしょうか?
 私が長く関わってきたマーケティング領域に当て嵌めると、いまや優位性や差別化を求める発想に基盤を置いた役割は、行き詰まっている気がします。
フィクションの上にフィクションを重ねた金融マーケティングが破産したのは、お金は無形の情報資源とはいえ、その無限大の浪費には自ずと限界があることを示しているのではないでしょうか?

 マーケターが今やらねばならないことは、なにか?それはこれから継続的に起きる変化に挑戦して、新市場の創出を行うことだと確信しています。
新市場とは、もちろん「人々の欲しい」を創り出すことで、それにはクリエイティブな思考が必要でしょう。
そしてこのクリエイティビティは、それぞれの文化の文脈と出会いから生まれてくるモノです。そのためには、偏屈で狭小なナショナリズムからではなく、文化価値とするものを広く国境の枠を超えて他の文化に出会わせ問いかけて、自己の文化を再評価しつつ価値のある文化へと再生させていくことではないでしょうか?

 新市場や需要開発には、新技術の開発が唱えられますが、しかし、新技術と言う目に見える技術のみでは市場は創出できません。むしろ、大切なことは人々の感性に触れる直感的とも言える目に見えない価値による創造です。
シルクロードは、モノとして考えると、生み出したモノはあまりありません。
しかし、この文明の十字路は、モノよりもさらに貴重な「交流文化」を数千年の時空を超えて産み,現在に至るまで継承してきています。そしてそれを可能にしているのは、・好奇心 ・寛容 ・尊敬の心です。
 
 パーティからの帰り、バスを待ちながら、メンバーズと焚き火に当たって暖を取りました。闇に沈んだブハラの古い街を背に燃えさかる焚き火を囲んで皆幸せ気分・・・。燃えさかる火とそれぞれの国から来た人々を眺めながら、ふと2000年前、ここで栄えた拝火教ゾロアスターに思いを駆られました。まさにここは心が交差し続けるシルクロードなのだとも・・・。
                              
*写真は石井潤一郎氏撮影

*Tashkentale08のシリーズは今回で終了です。

2009年02月27日

2009/2/27
第153回『Tashkentale08に参加してNo6 風土、歴史、実験』

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 熱狂的な歓迎のなか、オバマ氏が大統領に就任しました。同時に、いま黒人社会では自身のルーツ探しが流行となり、ビジネス化しているそうです。文化への自信や誇りを持つことは、歴史と向き合うことでもあります。こうした歴史への眼差しは、シルクロードの諸国でも同様です。しかし、この地で実感するのは歴史を遡ることの難しさです。それは3つの困難に直面していると思います。
 
 まずは、つねにゼロサムを繰り返してきた過激な歴史興亡にあって、どこにルーツを求めるか?ということ。第二は、近接した時代は、苦渋と屈辱の、いわば痛みに満ちたじぢでありそれと向き合うことには痛みを避けてとおれないこと、そして第三には、明日との関わりとで見据える視点が、いま大きく揺らいでいることでしょう。例えば常識であった進歩の概念である狩猟時代→農耕定住時代→封建時代→商業&工業資本主義という「進歩の歴史」自体がいま評価に晒されているからです。このことを実感するのは、日本国内に留まっている限りは、あまり感じませんが、このタシケントにくると肌身に感じます。と同時にTashkentale08のオーガナイザーのご苦労も偲ばれます。
 
 今回のビエンナーレは大きくはウズベキスタンの首都タシケントと歴史都市のひとつであるブハラの2都市で開催されました。主催者の試みでは、タシケントでは1週間、ブハラではわずか1日のそれも夕刻から夜間にかけてのわずか数時間の開催で、前者は写真展、後者は、写真展を含みましたが、いわば時間を切り取った都市空間の中で試みるインスタレーションを指向した感じの展示会でした。
 
 タシケントは近代都市空間での展覧会でしたが、ブハラでは2つのアプローチがインスタレーションにより試みられたと考えます。一つは歴史と不可分な風土を舞台としたことです。ちょっと説明しますと中央アジアのシルクロードの都市文化は沙漠に開いた文化です。砂偏の砂漠ではないことにご注意願います。SABAKUと言うとつい童謡「月の砂漠」を思い浮かべがちですが、ここは草木もあり、水もある、一種の瓦礫と土塊、低層の草木から成る荒れ地と言った方がよいので沙漠と言う水偏がついてるようです。展示はは干上がった貯水池と古いモスクの壁を舞台にして展開されました。
 
 もう一つ近代と向き合った展示会です。それは亡命してきたユダヤ人の銀行家の邸宅をギャラリーとした会場での写真展です。これは煉瓦に囲まれた穴蔵のような空間で乏しい照明の中での開催で、ブハラの、タキバザールの石畳と荒れた外壁で囲われた迷路も取り込んだ写真展ですが、インスタレーション的な意味合いの強い演出でした。このブハラのインスタレーションはある意味で、「文化発信力」を指向するウズベキスタンの立ち位置を探る実験でもあった気がします。そしておそらく私たちの共通課題かもしれない「EAST&WEST」の投げかける難しさも実感しました。


2009年02月13日

2009/2/13
第152回『Tashkentale08に参加して・・・その5 文明のCross Roadでの気楽な出会い』

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 文明のCross Roadでの気楽な出会い
 タシケンターレTashkentaleとは2年に一度、タシケント市で開催される写真のビエンナーレのことで、今回は第4回目に当たります。主催はウズベキスタン芸術アカデミーでその傘下にあるPhoto UZが運営し、今年は10月20日(日)から10月27日(月)までが開催期間、会場はタシケント市ではPhoto UZを中心に芸術アカデミーが管理する各種美術舘とキャラバンサライを含む5会場、ブハラ市では特設の3会場でした。
 
 私は5年前、愛知EXPOの取材をご縁に端を発したお付き合いから、上記の運営組織の責任者からのご招待を頂く栄に浴し、この国家的アートイベントに参加させて頂きました。
 今回のビエンナーレのテーマは「West-East Tashkent Crossroad」と設定され、それを受けて、若者、ノスタルジー、などサブテーマがあり、その枠組みに応じて作品参加が求められています。

 この呼びかけに応じて西はエジプト、アラブ首長国、エルサレム、ルーマニア、アゼルバイジャン、ロシア、ウクライナから、さらに隣国のカザフ、キルギス、タジキ、また東はヴェトナム、中国、韓国、日本からとおよそ3000点の作品が寄せられ、テーマ毎に括った会場で展示が行われました。同時に この展示に合わせて、作品参加のアーティストおよび関連から各国平均2名づつ招待されて、期間中、1週間に渡りフェイス・トゥ.フェイスによる相互の交流とセッションが行われたのです。 
 日本からは私を除きアーティスト6人が参加。3人は写真家、他の3人はパリに在住のインターレーションのデザイナーたちでした。

 それ故にアーティスト個々の個性はもとよりですが、東西シルクロードを繋ぐ各国の文化、お国柄、アイディアのあり方などバラエティに富み、運営者が描く「West-East Tashkent Crossroad」に相応しい展示会であったと思いました。とりわけ面白くかつ、論議も湧いたのが、この展示会にはオーガナイザーは存在してもキュレーターはいない、敢えて介在させないというオーガナイザーの主張です。考えてみればこれはまさに文明の十字路であった「シルクロード」的発想です。

 昨年、他界したS/ハンティントン氏は「文明の衝突」と言う考えで世界に衝撃を与えました。事実、歴史や現実は彼の考えを実証しています。しかし、一方、文明の優劣とパワーによる支配は破壊のみで不毛であることもまざまざと見せつけられています。

 20世紀的なパラダイムが崩れ、価値の基準が揺らいでいるこうした時代には、まずアプリオリな価値観を排除し、気楽に肩肘張らずに多様な価値や美意識に出会うことも大切ではないか、という考えは、まさに共感でした。

 今回、世界文化遺産のひとつブハラ市で、坂田さんと言う日本人作家が、干上がったリョウズ(貯水池)を利用したインスタレーションを発表しました。そこで見たモノは、まさにあの竜安寺の石庭の祖型かとも思う作品で、極めてカンタン?に創出されたのでした。そしてこの作品は、現地の人々にもなんら違和感なく受け止められていました。
中世の世界は、「日本の美と文化」の起源とも言われます。しかし、それはもしかしたら、深いところでこの地と繋がっているのかも?しれません。これは驚きでもありました。
あるトレンド情報では、最近若者達が海外に出向くより、国内の温泉地に往くことが人気と言うことで、いわゆる「ぬるい」のがお好みとか?
別にィ、好きにすれば・・・!とも思いますが、よるべきモノが揺らぐいま、引き籠もらず大きな世界の中で自分発見や定点づくりを目指してもいいのではないか、とも。
お節介かもしれませんが。

 今回イベントの最高責任者のご意見「かつては東は西を欲していた。しかし、いまや西が東を求める時代だと思います」を胸に、同時に肩から力を抜いた出会いのできる交流時代の到来を年寄りは羨ましく思うのです。

執筆者のプロフィール

ファンサイト有限会社
顧問/
コミュニケーションプロデューサー
宇田一夫

1939年3月生まれ。 早稲田大学第一文学部史学科西洋史卒。
1962年株式会社博報堂、株式会社日東エイジェンシーなどを経て、株式会社エイムス設立。アカウント・プランナーとして「コミュニケーション&マーケティング」を課題に各種キャンペーン・プロジェクトを企画・プロデュース。
2005年愛知EXPO中央アジア共同館(ザ・グレート・シルクロード)プランナー
東洋美術専門学校視覚伝達学科講師

【賞】国際見本市、日経新聞・日経産業新聞・日経流通新聞・ショッピング他などで受賞

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