2010年09月02日

2010/9/ 2
第189回『70%の売り上げが下がった!』

▼「いつまでもあると思うな、親と金」
 いつものことながら昔の人の言葉には感心させれます。
「売れない」はもはや所与の現実です。この現実は、おそらく消費市場を構造的に変えていくものと思います。
その結果、どこにでもあった業種・業態が消えてゆくことのなるでしょう。
 先日、ある手芸問屋の社長にお目にかかりました。出会ったのは25、6年前。お会いするのは15年振りのことでした。
出会い頭、「宇田さんが関わっていた店はいまやほとんど廃業してしまいましたよ」とおっしゃいました。想定はついていたとは言え、専門家からの情報です。少なからず驚いたのは事実です。それに伴って家もこの間、売り上げはダウンし続け、いまやかつての30%の取引までダウンしていますとのことでした。

▼お古い話しで恐縮ですが・・・
 当時、私はIWS国際羊毛事務局(ウールマーク)の羊毛のプロモーションをお手伝いしておりました。その頃から羊毛は化繊に押され徐々に市場を失いつつあった時期です。
IWSでは、羊毛の品質生を再認識して貰う必要もあり、毛糸素材に肩入れし、素材市場の拡販の一環とし手編み市場に関心を持ったのです。そのためにIWSでは紡績5社およびその参加にある販売企業とでプロジェクトを立ち上げ、そのプロジェクトの推進役のメンバーとして私が参加することになりました。
毛糸市場は、明治時代から続く古い市場ですっが、この市場もまた機械編みの時代の末期を迎えており市場の衰退は顕著でしたから、IWSの課題は困難が予測されていました。
 こうした折、私たちが提案したのが「手編み」による「毛糸市場」の活性化でした。
これは必ずしも参加企業からは歓迎されるモノではありませんでした。毛糸は素材であり、重さで販売量が計られキロ単位の取引が業界の常識だったからです。一方手編み毛糸は一玉、一巻きで取引しグラム単位でしたから、販売量は比較になりません。業界は苦い顔をしましたが、このプロジェクトの主導権は予算を中心にIWSが握っていましたから半信半疑参加していたと言うのが実際。ま、販促費の一部を負担してくれるのだから「おつきあいしまひょ」でした。

▼ニッチへの着目、ニッチの意味の把握、そしてチャレンジ
 手編みへの取り組みは、業界にとってはまったくの革新でした。
先ずは番手が中細から太番手に変ったこと、当然器具も棒針に変りました。また作品仕上がりも精緻なモノから不器用な手触り感のある野暮ったい?ものとなったのです。
 このことは当然製販ともに大きな意識改革が必須となりました。同時にこうした手作り製品にどのような価値づけを行なうか?も大きな課題でした。
そのために私たちは何をしたか?詳細は省きますが、要約すれば、当時一部で兆していた手編みマニアへの注目、またこの小さい萌芽の持つ時代性です。
またこのニッチ市場を受け入れてくれる市場戦略の探索でした。
その結果、私たちが商品化したのは・オンリーワン・ぬくもり・関係性の三位一体のパッケージでした。
いまや40代後半の女性なら誰でもが経験したと思われる手編み製品「プレゼント」のブームはこうして作られたのです。
意欲的な販売店は、毛糸の専門店であると同時にプレゼント演出も売る「新業態」店へと転身したのです。
このための私は伝道師として全国の大小毛糸店の店作り東奔西走することのなったのです。
その後、手編みブームも終焉し、頂点を極めた頃、大手広告会社へ仕事が流れたこともあり私の役割も終わったのです。
そんな因縁で、この問屋社長との関係は生まれたのです。

▼市場を再生できなかったわけ
 それから25年、かつての手編み市場は、いまや見る影もありません。なぜここまで落ち込んだのか?原因はいくつか考えられます。ひとつはIWSのような業界の革新に貢献する牽引役の不在です。もうひとつは成功体験から抜けられなかったこと、さらに重要なことは結果しか見ずに成功の背景を分析する組織的能力の育成を行なわなかったことでしょう。
時代には浮き沈みがあります。こうした変動に耐えていくのには我慢強さと新規なものを取り込んでいくマネジメントの姿勢が必要です。
70%市場が落ち込んでいる激変に「それでも潰れずにやってこられたのは、2つの経営努力にある」とご説明頂きました。
ひとつは同社は江戸時代からつづく歴史のある糸問屋であり、細々と言えども全国に知名され「糸針」商売の伝統を守り小商いを支援せねばならないと言う「使命感」。もう一つは新規の変化への「先取り」と「挑戦」でしょう。
同社では10年位前からECに着目し「楽天」のスタート時からショップを持ち「シルクフラワー」という特殊な手芸材料に特化して販売してきており、いろいろ工夫を重ねて、10年後のいまなんとか軌道にのせてこられたことだそうで、いまやさらにもう一店舗出店し売り上げ増を目指すとのことでした。
「いつにかわらない低空飛行ですが、細く長くが私たちの商売。ロングテールは伝統です」と。「色々やってみないと先は開けません」とも。
同社がこれから再び大きな飛躍を遂げるか?それは神のみぞ知るです。
しかし、手作りにしろ、手芸にしろ人の営みとして無くなったわけではありません。
市場が解体し、大手資本では採算が取れないという市場は、今後、今以上にあらゆる局面で輩出することでしょう。
そして彼らの市場撤退の共通語は「不況」「売れない」です。
でも本当は市場へのマッチングに機能不全しているだけではないか?とも思いますが・・・。
再び古い川柳で・・・「孝行のした時分には親はなし」、もじり「香香の漬けたい時分には茄子はなし」
ニーズはあっても応えられない・・?!へいお粗末様で・・・。

2010年08月19日

2010/8/19
第188回『ジェネレーションY』

▼従来型のマーケティングは通用しない?!

 米国では、10代の終わりから30代初めの若者を「ジェネレーションY」と呼ぶようです。(クーリエ5,6月号USニューズワールドリポート)
いつの時代も「若い世代」には企業は関心を持ち、彼らの価値観や動向が消費市場に大きな影響力を持っていることには変わりはありません。
我が国でも「欲しがらない若者たち」とか、「シンプル族の反乱」とか、さらには「草食系」「肉食系」と、若者の欲望の有り様が取り沙汰されていますね。
いずれにしろ、この世代が注目されているのは、企業の期待に反して、今までと違い「思惑通りに」モノを買ってくれないことが大きな理由でありましょう。若者は常にモノの所有欲に溢れ、お金さえあれば、ばりばり買ってくれるという企業都合が大きな壁に突き当たっていると言えます。
このY世代は過保護すぎる親が生みだした産物で実社会では自立することが出来ないと言われています。また彼らは抜け目のない消費者でもあり、インターネットを使いこなし、2008年の経済危機を経験している世代です。
ネットとともに育ったこの世代は、リサーチ力に長けているのが特徴で、言って見れば「情報通」で「抜け目なく」、「ケチ」そして「ハイテク好き」。
消費が夢ではなく、なぜ大人が高価な商品やブランドに夢中になるのか?「意味不明」の世代でもあります。

▼何で差別するか、何を見せびらかすか、それが問題だ!

 マーケティングの常套手段である「差別化」「見せびらかし」「自分らしさの表現」などは彼らには通用しないようです。
 私事で恐縮ですが、先日、小5の孫娘の徒競走を見に行きました。
この娘は、かなり早く、案の定、他を追い抜いて後半1位になり、当然身びいきで1位と思っていましたが、テープを切る寸前でスピードを落として2位となったのです。
「なぜ」って尋ねると目立つのがいやだったらしいのです。そしてこうしたことは「いじめ」とは関係がないようです。
それでは彼女は運動会が嫌いなのかと言うとまったく反対で大好き。
しかし、彼女にとっての達成感は、勝つことではなく、自分の計画通りに走れたことが、満足になっている節があります。
 子どもの価値観を敷衍するのはどうかとも思いますが、ファッションでもそうで、大人が良かれと買い与えたものは拒否します。「かわいく見える」とか「目立つ」、「他人と大きく違う」ことには抵抗感あるようです。この背景には、縦の関係ではなく、どうも水平的な仲間内でそれとない規範、許容された範囲での自己主張、贅沢などがあるような気がしています。

▼見えないモノ、プロセスを買う世代

 Y世代と言われる人たちは、ファストファッションや中古品の購入が流行していますが、かつてのグランジとは違い、発見とか購入・入手プロセスに自己表現を求めているように思われます。極論かも知れませんが自分らしさ、顕示するのは「情報」の生かし方で、モノそのものではないと思われます。
 思うに「かっこいい」がまったく変わってきたのではないか?と思います。米国のコンサルテーション会社による最新調査で「彼らは最安値の商品を買うことに達成感を感じているようだ」と消費によって得られる達成感を説明しますが、しかし、さらに踏み込むとこの世代のかっこよさは・「情報通」であること、・「価格・ブランドが保証するいいもの」に依存せず「自分の目で価値あり」とする目利き力を見せびらかす、そして・情報縁も含めた「仲間」ウチで自慢できる意外性、さらにはそれを話題化することに達成感を感じるのではないかと、推測します。

▼付録ブームから見えるモノ

 数年前から女性ファッション誌の「付録」戦略が構想しているようです。
付録と言えば安っぽくチャチで実用に耐えないと思っていましたが、結構優れものが付いています。そしてこれが女性誌の魅力になっているのですから、旧世代の私には驚きです。私見ですが、これは付録の実用性はむろんですが、それよりは「タダで?得たモノ」だから価値があると女性達が考えていると捉えた方がよさそうです。裏読みすれば「情報に疎い」「お金持ちと見られたくない」と言う若い女性の心を惹きつけているのです。
PCソフトのVISTA以来、ガジェット=付録が付いており魅力の一つを形成しています。これらの多くは「タダで入手できるもらい物」です。そして人気のスマートフォーン、I−Padはガジェットの宝庫です。このガジェットを生かして行ける人が、カッコいいのです。
 こう考えるとY世代以降の若者たちには、押しつけがましいアプローチではなく、企業が彼らのために何ができるのかをはっきりさせて、理解してもらうこと、また彼らが「おもしろがる」物語や仕掛けを用意し、彼らの行動が仲間のコミュニティで「転送」したくなる、話題化することできる素材を提供することが必要ではないでしょうか?。
 話題化については、最近ハンドメイドをベースとしたビジネスモデル・・・例えばインドのディーパ・グアナーニ、オランダのレインボーコレクション、NYのデニムセラピーなどが・・・成長しています。いずれも共感性があり、ユニークなアイディアをベースとしているようです。
 価格破壊にしろ、プレミアムセールスにせよ、安いだけ、お得なだけではY世代は振り向いてくれないという現実を見据えたプロモーションやマーケティングがいまや必要となりました。
従来型の発想ではもはや通用しない世代を時代は迎えつつあるのです。

2010年07月22日

2010/7/22
第187回『リスク回避』

▼負けないだけでは勝てない?

 W杯が終了し、ちょっと気が抜けた日々が続いています。W杯レベルのサッカーを見ると他のエンターテイメントの魅力が褪せてしまったからです。
一つのボールを追いかけてゴールさせる単純とも言えるゲームですが 野獣を思わせるどう猛な者同士がぶつかり合うW杯の迫力には圧倒されましたし、彼らの信じられない身体能力や技には目を奪われました。これをさらに盛り上げたのは大型画面であり、映像技術、音響技術の進歩であることは言うまでもないでしょう。そしてアフリカのエネルギーです。おかげで連夜の寝不足です。
今回のサッカーが教えてくれたこと、それは勝つには、何が必要か?です。そして何よりも痛感したのは「オリジナリティ」の必要性と「リスク」をものともしない勇気です。
相手が強いほど、この2つに徹していけるチームに、勝利の女神は微笑んだと思います。オランダとスペイン戦はまさにその典型でした。
両者は愚直なほど自己のサッカーを繰り返し、引くことなく競い合っていました。
イエローカードの多さがそれを物語っていると思います。

▼びびった試合で勝負を失った民主党

 W杯最終日、参院選が行なわれたのなんとも皮肉です。予想通り民主の後退でした。
識者は消費税など敗因の分析で姦しいこの頃ですが、庶民感覚では、皆後付けに過ぎません。要は政権維持に汲々とした選挙への臨み方に失望した結果でしょう。蓮肪氏の一人勝ちを見れば判ります。知名度がある、TVでの露出度が高いことも160万以上の票獲得の一因でしょうが、それ以上に国民を惹きつけたのはメリハリの効いた物言い、明快な役割意識、党派を気にしない意見、そして若さでしょう。選挙結果や派閥・グループを気にしてうじうじした発言をする候補者たちとは余りにも対照的でした。
彼女のことを「きらい」であると評する人も多いようですが、自身を「生意気で嫌われ者」ですと言う彼女には潔さが感じられます。

▼パウル君に負けるな

 徒然草には骰子の名人の逸話が載っています。ある人が勝負づよくあるには、何か秘訣があるのか?を尋ねたところ「勝とうとして骰子を振ると負ける。だからいつも負けまいとして骰子を振るよう心がけている」と応えたそうです。この逸話は結果にこだわるなと言う教訓でしょう。
勝つことに終始して、負けることを恐れた勝負は、自由度や驚きがなく、精彩に欠けて面白味もありません。
これはそのままマーケティングに通じます。
成熟、不況、少子高齢などは無難を強いて組織全体が是とする方向に傾きがちです、結果としてびびったマーケティングに帰着されます。
しかし、マーケティングは一方で「気分」を変え、活性化させる役割も担っています。
正しくても心に響かないマーケティングはむしろ迷惑です。
 際物ネタですが、いまドイツ水族館の「占い蛸パウル君」が世界一有名な軟体動物として人気です。
彼はカルパッチョに調理されるリスクも厭わず?にドイツ代表の勝負の帰趨を占いすべて的中させました。
 翻っていま私たちの生活には、IT、クルマ、ファッション、エンタメ、食などほとんどの分野でヒット商品への後追い、無難な、勝負を避けた「リスク回避姿勢」の商品ばかりが送り込まれています。
そうでなくてもすべてが食傷気味な時代、ドイツ蛸に負けるな、と言いたい・・・です。

2010年07月08日

2010/7/ 8
第186回『VMDの復権が物語るモノ』

 最近、VMDが再び話題になってきています。このVMDとは、視覚を通して製品特性、コンセプトをプレゼンテーションしていくと言う意味で、ビジュアル・マーチャンダイジングと呼ばれるもの。およそ30年前に、不況に見舞われ危機に陥った米国の小売業を救ったと言われ、いっとき我が国でも注目された市場戦略です。しかし、これが売り場に導入されたもになので、ディスプレイと混同され結局は不消化なものになってしまったのは不幸なことでもありました。
相対的に日本の流通ではマーケティング意識が低く、マーケティングはメーカー、流通では「売り」に徹するという役割分担の考えが浸透しているのもVMDが不発の原因だったとも思われます。

▼売り場のみが真実を語る
 これが再び評価されてきた背景には、
・テレビ・新聞・ラジオ・雑誌というマス4媒体を駆使すればモノが売れた時代は終わりつつあること
・大量消費の時代は終わり、自分の尺度でモノを買うという時代になってきたこと
・ニッチ市場をいかに育成するか
・さらにはメーカーといえども「売り」に入って売りをリードしていかないければ、生き残っていけないこと、
・情報ルートが多様化し、お客さまとの接点である売り場・店頭・その他が「売り場」であるというよりは情報収集や相互の交流・ふれあいの場になってきたこと
などの情報時代の固有の市場が生まれてきたこと
などがありましょう。

▼アイデンティティはさらに希薄になる
 情報化時代の特性は、アイデンティティが希薄化していくことでもあります。
企業ブランドは、多角化、多品種化、多国籍化などにより境界が薄れています。このことは専門性への疑問を生じさせてもいます。
そのために商品として、あるいは店としてはアイデンティティを定義してとそれに連動した商品化、さらにその商品が約束する「世界」をわかりやすく、強烈に印象づける視覚的な演出が必要とされ、貴重な来店客をお客さまにするトータルなVMDが求められてきたのではないかと思います。
最近の例で見れば、こうした代表は・家具のイケア、またはアップルの売り場でしょう。さらには表参道でオープンしたナイキのショップなどが、挙げられましょう。
以上はパワーブランドの店や売り場ばかりではないか?と言うご指摘もあるかと思いますが、コモディティ商品にも必要なことでしょう。
筆者が関わっていた頃もそうでしたが、よほどのブランドロイヤルティの高いお客さまではない限り、売り場で購入予定をスイッチングするお客さまは60%近くは存在していました。
この比率はもちろん価格要因もあると思いますが、近年さらに売り場での訴求力が高まってきたことはVMD再評価につながっているようです。

▼何を約束するか?はっきりさせる。それがVMD成功の基本
 先日、ある雑誌の特集に「なぜ日本企業はI−padが創れないか?」を特集していました。
この欄にも、以前、書かせて頂きましたが、この記事の指摘は、「いまさら」で、別に耳新しいことは何もありませんでした。
言うまでもなく、人々が買うのは、「夢」です。アップルを購入する、または購入したい人は、スティーブジョブスへの「共感」と彼の夢を買うことに他なりません。
あるコピーライターは、リンゴマークが付いているだけで「欲しくなる」と言っていました。好例です。
技術的には技術大国日本のメーカーでは、いつでも創れるそうです。
本当でしょうか?大言壮語する彼らは何を見ているのでしょうか?
 Stay Foolish、Stay hungry(バカになれ、飢えに耐えよ)、と、かつてスタンフォード大学の卒業生を前に訴えた彼の「好きな物作りに情熱を掛ける」精神こそ売り物です。
 もちろん既存の規制を打ち破ってユーザーの便宜や楽しみを追求していく姿勢も若いジェネレーションやクリエイティブクラスを惹きつける魅力です。
「柳の下にドジョウは2匹いる」のかもしれませんが、2番手に甘んじ、リスク回避をするこざかしく、いじましい知恵にどれほどの共感性があるのでしょうか?
機能、デザイン、美しさ、企業理念と製品、売り場が一体となって「約束する世界」を可視化して伝えるコミュニケーション戦略、それあってこそVMDは機能するのです。

2010年06月24日

2010/6/24
第185回『不況だから必要な考え もう少し踏み込む?』

  低成長、成熟市場、高齢者市場とマーケティングの現状を表すキーワードは、これらの3ワードであることは間違いないでしょう。
同時にこうした市場での競争優位を得るには、パイが縮小している現実の下で
1.自社のお客さまとのよりよい関係をどのように築き、維持するか、
2.他社のサービスに流出するお客さまをどのように防ぎ、
3.一方他社の固定されていないお客さまをどのようにして自社に引きつけ安定的な関係を創り上げていくかが、市場戦略の重要課題となりましょう。
これは今さらながらの原理原則です。
 しかし、実際にこうした市場戦略を推進する場合、あなたの企業は、自社との関わりにおいてどれほどのお客様のデータを持っているでしょうか?
経験的な物言いで恐縮ですが、それはあまりに少な過ぎるようです。

▼例えば富裕層について・・・

 先日、不況の常として、もはや日常化したプレゼンに参加しました。富裕層に絞った刊行物を発刊したいと言うクライアントのオリエンテーションでした。
もともとがラグジャリーなサービスで差別化していた企業ですから、こうした意向は当然のことでしょう。しかし、この企業が提供している価値について、どんなお客さまが賛同し、その比率がどれくらいか?また他社のそれと余り差を感じていないお客さまがどれくらいいるのか?それらのお客さまはどんなお客さまなのか?
ロイヤルカスタマーには何か特性があるのか?動機付けとなっているのはなにか?などなどについては見解は示されておりませんでした。
ご承知のように富裕層は、狙い甲斐のあるターゲットです。しかし、それゆえにこの層の開拓・維持には競争も激しく困難が伴います。もちろんデモグラフィックなデータを含め、一般的なプロファイリングでは役に立ちません。俗な言い方ですが、ハウツー本では、ナンパできないのと同じです。
ターゲットにもう少し踏み込む肉薄したデータの収集が必要だと痛感しました。

▼価値感度へ敏感な人材づくり

 価格破壊は、不況期の常套手段です。かつてお世話になった玩具メーカーの社長は、「値下げをすれば流行遅れの玩具でも売れる」と言っておられました。いわゆる「バッタ屋」商売はこうした価格破壊を前提に成り立つビジネスです。通常バッタ屋に流れた玩具は縁日、お祭りで売られています。
バッタ屋に渡すときには、在庫を現金に換え、資金繰りのカバーが主目的。収益は後回し。これは正統ではないことは言うまでもないことです。
資金が回れば、また儲けられる機会にも遭遇するかもしれませんが、どれほど続くことでしょうか?この不毛のビジネスからどのように抜け出すか?
それは売りの現場でのコミュニケーション力の強化です。
売りの現場のコミュニケーション力とは、提供する価値の伝え方であり、お客さまのその伝えられた価値への感度の中身とそのレベルを吸収する力です。そのカギはPOSなどの売り場テクノロジーではなく、人との対面から読み取れる人間力、タレント性でありましょう。
このタレント性の育成には、「顔のない」サービスをベースとしたマニュアルレベルの教育では不可能です。

▼情がカギ
 富裕層、シニア、高齢者と期待に満ちた市場は目の前にちらついています。しかしこれらはやっかいなことに「満足」は情動的な部分で左右されるもので、機能、品質、価格などモノがサポートする比重は少ないのです。それゆえに先端的なIT技術をいくら駆使して効率よく情報を伝達しても売りには結びつきにくい市場でもあります。むしろ知識よりも情、同時に「お客を知る」「商品を知る」お客さま目線での温かい「目利き」が求められているのです。
 最近のニュースネタですが、リタイヤしたシニアから広く人材を求め起用して売り上げを大幅に向上させている中小の不動産会社や小規模な建て売り会社が紹介されていました。
こうしたことはニュースの話題にすぎないかも知れません。
しかし、一方、こうしたことは、お客さまが本当は何を求めているのか?を知る道しるべとも言えなくはありません。

2010年06月10日

2010/6/10
第184回『新しい働き方の世紀』

 国会では労働者派遣法改正案の審議が進められています。
改正案では、派遣労働者の保護と制度の抜本的な見直しが掲げられているようです。
この法律が制定されたのは1989年ですが、以来派遣労働の規制緩和が続いてきました。
 もともと仕事がある時だけ派遣会社と雇用契約を結ぶ「登録型」は、不安定なものでしたが、一方、働きたい時だけ、働くことが出来る「派遣」は、女性にとっては大人気で、「お茶汲み」「コピー取り」と女性の能力を余り評価しないことに苦労していた時代にあってはなおさらでした。私はこうした派遣の揺籃期、この新しい仕事を日本に紹介し、人材派遣の草分けとなった外資系の会社の業務をお手伝いしていました。したがってこの会社で働けると言うことは、女性にとっては憧れであり、かなり「かっこいい」ことだったと記憶しています。

派遣ではなく「事務処理サービス」という考え

 いまでこそ派遣は、市民権を得たビジネスとなりましたが、派遣業法成立以前には「口入れ屋」のそれに相当し「怪しげな商売」とされていました。「派遣」は、人とくに女性を斡旋するわけですから、行政サイドでは、怪しい人材派遣ビジネス容認についてはけっこう慎重のようでした。
 私の関わった外資の事業定義は、専門能力による「事務業務の処理」に領域を限定しており、例えば通訳、速記、タイピスト、秘書など能力が客観的に能力評価できる業務に絞り「人の派遣ではなく事務処理能力サービス」としておりました。が、この「事務処理」と言うことは欧米で活動していた商社などを除くと日本企業ではなかなか理解を得られず苦労したことを覚えています。
広告掲載についても一般紙では扱って貰えず、苦労の末、掲出してくれたのは、日経系の雑誌のみでした。

「夢のような働き方の果にあるもの」

 しかし、時代は人手不足、それに女性の社会進出とが重なり自分の都合に合わせて職場を選び「わがまま」に働くことが、ステイタス化。派遣業法の成立を機に、資本と労働側の利害が一致、かくして派遣は一挙に市民権を得て働く側優位なワーキングスタイルとして確立したのです。また能力主義、成果主義が若い労働者中心に台頭し終身雇用制度の撤廃の口火を切りました。個人主義を踏まえての働き方と併せて労働組合など不勉強、熱意不足もあり、働く人を守るネットワークや組織は分断、いまや完全に崩壊の道を辿ったと言えます。
 飴と鞭を使い分けることの出来る資本にとっては、思うがままに扱える労働者の狩り場が出現してしまったのです。
まさに新ワーキングスタイルがイメージした「夢のような働き方」は大きな錯覚、事実は地獄へ誘う罠だったのです。
 そんな思い出に耽りつつ、「派遣切り」のいまを見るにつれ、危惧していた闇が現実となった思いを深く抱きます。

新技術への期待と夢

  いま時代は労働の新世紀を迎えつつあると識者は声高に叫んでいます。そしてITなどの新技術の普及は、働く人に多くの機会を提供し、またワーキングスタイルも間違いなく大きく変わるでしょう。
 ダニエルベルは、「情報化社会は職業電話帳を厚くした」とどこかで述べています。
しかし、厚くなる電話帳が雇用拡大につながるか?働く人の暮らしの豊かさに結びつくのとは別ではないでしょうか?
派遣のキーワードは、即戦力です。
 技術の進化は無限かもしれませんが、生身である私たちの能力は、限りなく進化変化する技術に常に変わらず即応できるのでしょうか?
 多様な技術の登場は夢を誘うに事欠きません。しかし、ご用心。
新技術の普及は旧技術とのトレードオフの関係にあり、それにまつわる人材や能力の陳腐化でもあります。
そして資本の前に個人はいかに無力か?いまの現実が証明しています。
 そもそも、労使の力関係が逆転し、資本と生産手段を持つ労働者の登場などありえるのだろうか?
 人材派遣法の改正には、生産手段と分配、労働と自由などの「資本と労働の新しい関係」が模索される必要があるのではないでしょうか?
ワーキングプア対策も焦眉の急ですが、労働(=能力)市場の流動化は時代の潮流。それを前提とした人材・技術・資源の3つを見据えたデザインが必要ではないか、その欠如は、明日を大きく損なうモノと危惧します。

2010年05月27日

2010/5/27
第183回『そしていま、みんな判らなくなった!?』

素直な新入社員

 今年の企業に入った新入生は、ほとんどが安定志向とか?そして企業の指示に従順に応えて、最後まで勤め挙げたいというのが体勢のようです。きびしい就活を乗り越えて入社した彼らは超エリートです。企業の将来を託された彼らの内向き志向を非難するのは勝手ですが、今の経済状況では無理もないことでしょう。
上司にとっては、やりよい素直な社員が入社してきたことは寝首を取られないで安心、うれしいことでしょう。

感情が支配する未来展望

 外国のジャーナリストが述べていましたが、いま世界の政治を動かしているのは・感情で大きくは3つの感情の文化があると述べています。先ずは屈辱の感情が支配する文化、恐れが支配する文化、そして希望の文化の3つであると。
これを日本に当てはめるとどうか?
独断ですが、ワーキングプアの人々を支配するのは、自信の喪失から生まれる嫉みと屈辱の感情であり、格差社会の上層にある人々を支配するのは失うことへの「恐れ」の感情ではないか?と思います。
かつては一億皆中流という自信を持っていた人々は、長引くデフレとそれがもたらして来ているマイナスに直面し中流は富裕層と貧困層の2つに階層分化してしまいました。
そして不運なことにリーマンショックが経済を揺さぶり、低成長は、富裕層には不安を、貧困層には絶望を、そして底辺に生きる屈辱を与えています。そしてもはや始まりつつある、高齢化社会の到来は、果てしない暗闇を連想させ不安を恐れに富裕層を導き、貧困層には行き場のない絶望へ、さらに屈辱へと拍車を掛けています。
この恐れと屈辱の感情は、同時に思考を停止させます。そして国民全部が「みな、判らなくなっています。

思考停止の日本の暗い未来

 GW中に上海EXPOが開幕されました。そしてそこで感じられるのは元気な中国であり、希望に満ちたアジアです。
かつてはちょっと下に見ていた国家や人々が、ここに来て輝きだしたのも、日本の現実と照すと、自信喪失につながることになることでしょう。
経済大国からの転落は、もはや現実で、自信は総崩れとなり、思考停止はさらに蔓延するモノと思われます。
先の評論家は、アジアの中での日本のプレゼンスは大きく後退し、発言権を保持するためには2015年には日本は核保有にまで手を染め、いまの北朝鮮のように世界に不安を醸成することでしかない存在になるかも知れないと暗い予測をしています。

感情は気の持ち方次第?

 かつての平和国家日本は、生きるために誇りをかなぐり捨てて、テロ支援国家に落ちぶれるというシナリオです。
最近ゆえあってフランス文学の古典「クレーブの奥方」の一節に出会いました。
そこでは絶世の美女である奥方に求婚し拒絶されるヌムール公が「障壁などありません。あなただけが、美徳も理性も押しつけることのない掟をあなた自身に押しつけているのです。」の下りです。
この批判は、いまのわたしたちにも当てはまる批判ではないかと心に留めました。
クレーブの奥方は、貞淑を願い、求婚者との新しい生活とそれに伴う変化を恐れて修道院に隠棲し若くして死んでしまいます。
いま私たちが恐れているのは何でしょうか?まだ来ぬ未来です。
未来に備えるのはもちろん大切ですが、未来に縛られるのは愚かしいことでしょう?
あのアウシュビッツに送られたある詩人は、「いままでは不安の中を生きてきたが、これからは希望のみを頼りに生きて行かれる」という言葉を残したそうです。
感情は気の持ち方で変えられます。
恐れから希望へ、気分を変え視点を変えて感情文化転換に取り組みましょう。
まだ米の飯はあり、お天道様もついています。
マーケターは、希望文化作りを天職としたいモノです。

2010年05月13日

2010/5/13
第182回『 言わずもがなのアドマン教訓』

 風薫る5月は、社会人一年生にとっては五月病の季節です。
また転職など環境が新しくなった人にとっても鬱の季節です。
ま、皆さん、仕事で失敗しても、経営者は別として、命や家を取り上げられることはないでしょうから、タフに構えるのが処世術です。
人生は短い。老人になれば判ります。
そこで偉そうに爺の垂訓ですぞ。
「馬耳東風」聞き流すのがいちばん!

▼先輩から言われた心得(順不同)
・名刺を持ったらそのときからプロ、キャリアは関係ない
・出来ないと言うな
・本を読め
・人の所為にするな
・変化は自分から起こせ
・仕事のリーダーシップを握れ
・ナンバーワンを目指せ
・時間に遅れるな
・身銭で遊べ
・寒くてもコートを着るな、暑くても身だしなみを崩すな


▼宇田の偏見的オリジナル?心得
・社内で生きるか?社会で生きるか、覚悟を決めろ
・上司でも、お金持ちでも、男は女に奢らせるな、
・ゴルフ、麻雀、酒、女で仕事はとれない
・パクリを恐れるな、アイディアの出し惜しみをするな
・酒はいい店で飲め、キャバクラなどは以ての外だ
・仕事は頂くものではあるが、恵んでもらうものでは、ない
・いい人間関係は、遊びでは培えない
・プレゼンは駄目元。びびったプレゼンは悔が残るばかりか、自分にも何も残らない
・話を聞けるには、それなりの勉強が必要。
・話を聞くことは迎合ではない
・約束は守れ、たとえ上司を敵にしても・・・仕事は社内にはありませんぞ。
・失敗を恐れるのなら、何もするな、何も言うな
・肩書きは能力・実力の証明ではない
・資格や肩書きで仕事が出来るほど世の中甘くない
・値段勝負の仕事は降りろ・・・でも降りられないことも多い・・。
・ライバルの足を引っ張るな
・生き馬の目を抜くな
・やり手は実はやり手ではない
・仕事は全部とるな。
・他人と相談するも、すべては一人で考えよ
・人の協力や知恵には対価を払うのが礼儀
・協力者には、まずお金のことから相談せよ
・仕事をしたい相手を常にリストアップしておけ
・遭遇した仕事については可能な限り情報、知識を集めよ
・クライアントに教えて貰うことを恐れるな
・男であれ、女であれ、また年下であれ、年上であれ、プロを尊敬しろ

 宇田オリジナル心得はデンジャラスで、おそらく成功を保証するものではない。また出世を望む人は読んではいけません。
それは宇田を見れば判る!、でしょう。

2010年04月15日

2010/4/15
第181回『春の夜の悪夢』

▼Give me Chocolate! 

 いまから60年前、私はチョコレート頂戴!といってGIさんに物乞いしました。
親切なアメリカさんは、パンパンのお姉さんと笑いながら、チョコを投げてくれました。きっとハシーの板チョコだったのでしょう。美味しかった・・・。
そんな屈辱的な昔を夢に見ました。時は3月、この桜咲く時節は、東京大空襲の月。
悪夢の月だったようで、死者たちの無念が春眠に悪夢を呼んだのでしょうか?
こんな想いはしたくない・・。でもそれから約60年、いま2030年頃を予測すると、私たちのひ孫たちが今度は中国はじめアジアの人たちに物乞いしているかも知れません。希望のない世代の生む子どもたちの行く末・・・。
その頃にはとうに私は灰になり、それもどこかに消えて仕舞っているでしょうから、後のことは知ったことではありませんが・・・。

▼かつての成功体験から抜け出せないでいる?!

 先日、2030年にフォーカスしたセミナーの経過発表の聴講に出かけました。それは超高齢化社会へのロードマップづくりを目的にして活動しようと企業20社が参集して組織したコンソーシアムの活動報告会でした。およそ4時間、パワーポイントを使っての説明でした。
で・・・?ちょっとがっかり!が正直なところです。
 一番の問題は、いまも日本および企業が力を持っているという技術一流、日本人は優秀と言う幻想、それが根強くあることです。
いま流れはアジアに移っていますが、その主役はシンディと言われる中国、インドでしょう。日本は、いまやアメリカからも見捨てられています。かの小泉首相のパフォーマンス・・・イラク派遣や自身のそれも含めて・・・は、日本の凋落の裏返しあったことは今にしてわかります。この現実にどのように取り組むか?
それには政治や官へのおもねりではなく、企業としての主体性が必要です。

▼顧客からの発想が大切?

 経済だけをひたすら追いかけて、経済大国になった日本は、文化、教育、人づくりなど経済以外のものはみな捨てて来たのが今日までの歩みと言っても言い過ぎではないでしょう。WAY of Americaは、市場市場主義です。消費力のなくなった国には、三行半が当然でしょう。金の切れ目が縁の切れ目です。
最近、NHKで日米同盟の討論会が放映されました。そこで透けて見えるのが、日本の自信のなさです。
経済で活きてきたのですから、まずはやるべきことは再び金を持つことで自信を回復することでしょう?とりわけ営利を目的とする企業ではそれは当然のことです。
しかし、それにはどうするか?
 我田引水ですが、マーケティング力がキーポイントではないか?と思います。
いくら優れた技術でも、市場とすれ違ったら意味はありません。
愛知万博の折、中央アジア諸国を訪問する機会を与えられました。それは貴重な経験であったことは言うまでもありません。がその折、私は気になっていたことですが、日本の存在感の薄さでした。
そして昨年、5年ぶりに中央アジア諸国のひとつであるウズベキスタンを訪問した際、さらに日本の影は薄く、中国、韓国、ベトナムなどが存在感を増していました。
いまでもそうですが、アジアには問題は山積しています。日本がやれることはたくさんあります。では、なぜ日本が見えないのか?
理由は、市場と向き合っていないからです。顧客の悩みに答える姿勢がないことです。

▼高品質×低価格の追求

 今回のコンソーシアムもそうですが、高齢社会対策への対応にしてもいずれもが富裕層狙いです。しかし、「何時までもあると思うな、親とカネ」です。
そして明日に目を向けるとに確実に貧乏人は増えていきます。
一方、アジアに目を移すと富裕層は、期待できそうな市場規模ですが、その市場を日本が獲れるか?と言うと競争も激しく、絶対的な優位ではありませんし、それを得るのは容易ではありません。
 本当に企業利益を考えるなら世界の90%以上を占める膨大な貧困と言われる層への参入です。
こうした人々は消費をしないのか?そんなことはありません。そして当たり前のことですが?それぞれの事情で個別の消費ニーズを持っています。
最近、GEは「リバースマーケティング」で収益を向上させて注目を浴びています。これは医療機器の領域ですが、無駄な機能を極度に切り捨て、操作しやすく、コンパクトで持ち運びやすい機器にして、低価で市場に紹介し、ビッグビジネスにした先行事例です。そしてこの商品は、アメリカに再流入されて、高い医療コストに悩む現在の医療機関に採用され、新たな市場を形成しつつあるようです。コンセプトは高品質×低価格とか!
 こう考えるととりわけ「過剰品質」と「市場の狭さ」で価格の壁に直面しがちな日本のものづくりには、貧困層は「尽きることない宝の山」かもしれません。
 品質も価格も、市場が決めるもの、未来をつくる企業は、顧客志向に徹すべきではないでしょうか?それは「貧困」への積極的なアプローチを意味し、世界を救い、ひいては日本を助けることになるはずです。
今回のセミナー、余りに企業発想が強い、それが将来への心配の種、です。

2010年04月01日

2010/4/ 1
第180回『バンクバーオリンピック』

バンクバーオリンピックが終わりました。
へそ曲がりの私も、なんのかんのと言いながら結構見てしましました。見ているとあまり馴染みのない種目でも面白く楽しめるもので、それなりにハマりました。
景気の悪化が続くと、家庭内での時間を過ごす人が増大するようですが、オリンピックはそうした人々の行動を加速させた気もします。天気も外出するには悪かったですね。
そうした内向きの生活では、洋の東西を問わずにレジャーはやっぱりTVとインターネットとなるようです。
今回のオリンピックでは、とりわけ意識されたのはオリンピックへの取り組みや評価への変化です。

▼メダルにこだわる・・・国とマスコミの時代錯誤

まずは時代錯誤的なオリンピック幻想の後退です。スポーツには代理戦争的な側面は付きものだと思いますが、こうした勝った、負けたが生活者レベルでは、共感に結びつかなくなったと感じました。
日の丸を背負う、国家の威信、民族の優秀性の顕示など、マスコミは「日の丸飛行隊」「神風特攻隊」などと煽っていましたが、視聴者は白け気分だったのではないでしょうか?
またメダルの獲得について石原都知事や国家の支援を財政面で求める橋本聖子団長のコメントなども、時代からかけ離れた発言で、「もっとやることがあるだろう!」と叫びたくなるのが庶民の心情でしょう。
戦後敗戦で自信を喪失していた時代には古橋選手の活躍も私たちへの応援歌になったし、東京オリンピックも、日本が世界へ参加が出来るまでに復興したことのひとつの証明として、有効であったことは否定しません。
民族、国家をベースとしてオリンピックを捉える考えももちろん根強くあります。韓国、中国、ロシア、そして日本などそうした部類に入るでしょう。
こうした国の関心はメダル、とくに金メダルの獲得数です。が、主催国カナダをはじめとしてEU諸国はメダル獲得にはあまり拘泥していないようでした。オリンピックは、スポーツでエンターティメント、国威を競うのは意味がないと言うお国柄かもしれません。

▼マーケティングとテクノロジーの競演への疑問

もうひとつは別の競争です。とくに感じられたのは、技術と管理技術の2テクノロジーの競争です。これはこのスポーツイベントが、経済競争のひとつとなってきたことを示しているように思われます。このことは、あの北島選手の水着から端を発していると思いますが、今回では、スピードスケート選手の靴やユニフォームに見事に反映されています。
見方によっては人間の競争と言うよりは、ロボットの競い合いと錯覚する状況でした。背景にはIT技術、素材開発、生理学、空力学などがあり、こうした各テクノロジーを支えているのは企業の技術力です。
また管理技術も大きな要素です。あの華麗なフィギュアスケートでも、多数の支援スタッフのチーム力が結果に結びついているとのことです。カーリングも同じです。もちろんこうした技術を生かし切れるのは個人の才能ですが、反対に個人の能力がテクノロジーにより支配されているかのようであり、「そこまでするの?」と言う疑問です。
知人のフランス人は「もうスポーツじゃないよね」と冗談を言っていました。
市場原理に依存するマーケティング競争では「勝者がすべてを獲る」と言う考えもありますが、こうした考えをスポーツに持ち込むことは問題でしょう。
勝者となって何がその人にもたらされるのか、スポーツの本質は人生を豊かにするものと考えれば秒差を競い成果だけを価値とするオリンピックスポーツのあり方は、冷静に考えてみる必要もありましょう。

▼人の時代がデビュー

確かアメリカのフィギュアスケートの女子選手であったと思いますが、学校の試験の途中で参加し、また試験を受けに戻ると言っていたのには、好感が持てました。人生とスポーツをどのように共存させるのか?彼女の行動はひとつの答えでしょう。
アーマティン・セン氏の言葉ですが、曰く、いまや「一人の人間がさまざまなアイデンティティを持っていることを認めなければならない。」
日本人で、ロンドン在住で、ジャーナリストでという具合に、人はいくつものアイデンティティを持つようになりました。「居住地への愛着、母国への愛着、文化への愛着、どれも矛盾なく共存する」時代です。(著作:アイデンティティと暴力)
キムヨナ嬢にしても韓国が出自ですが、生活の場はカナダ。真央ちゃん、美姫ちゃんにしても、もはや国家を超えて行動し、人々に感動を与えています。
そしてこうしたトップアスリートへの共感は、一つだけのアイアデンティから生まれるものではないことを今回のオリンピックは示してくれたのは大変意義深いことです。
どこの国に帰属するか、どんな宗教の教徒であるかより、オリンピックに参加し、競う彼ら、彼女らの想いと努力、そして紡がれた物語が私たちを惹きつけました。
転倒や失敗に拍手することではなく、人間だから仕様がないという「寛容」が、どのスポーツ観戦にも彩られていたことは、今回のオリンピックの大きな進歩ではないでしょうか?
まさに「人は自国の視点と、それを離れた視点を持つことの豊かさ」を実感したと言えます。
その意味でバンクバーオリンピックは、人間を意識させ、同時にこのビッグイベントを支援したカナダの人々の成熟を感じ取れたイベントでした。

執筆者のプロフィール

ファンサイト有限会社
顧問/
コミュニケーションプロデューサー
宇田一夫

1939年3月生まれ。 早稲田大学第一文学部史学科西洋史卒。
1962年株式会社博報堂、株式会社日東エイジェンシーなどを経て、株式会社エイムス設立。アカウント・プランナーとして「コミュニケーション&マーケティング」を課題に各種キャンペーン・プロジェクトを企画・プロデュース。
2005年愛知EXPO中央アジア共同館(ザ・グレート・シルクロード)プランナー
東洋美術専門学校視覚伝達学科講師

【賞】国際見本市、日経新聞・日経産業新聞・日経流通新聞・ショッピング他などで受賞

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