2010年03月04日

2010/3/ 4
第178回「現代の秋」

▼道徳的見世物・・・悪人は殺せ?!

 死刑制度に対する意識を探る内閣府の昨年の世論調査で、死刑を容認する人の割合が過去最高の85・6%となった(朝日新聞2月7日朝刊)そうです。
死刑を容認する人の増加の理由は・廃止すれば・被害者やその家族の気持ちが収まらない・凶悪犯は命で償うべきだ・廃止すれば凶悪犯が増えるなどが上位に並んでいるそうです。こうした死刑容認については、賛成、反対はありますが、気になるのは10年間で急速に7%も増加していることです。

▼緊張時代の要請

  国際社会では死刑廃止の流れが定着しているといわれていますが、日本の世論は、まったく逆なのはなぜでしょうか?
 私はこの記事を読みながらふと思ったのは、首切りや晒し首、市中引き回しなど江戸時代の犯罪者に対する処断です。
また、西洋社会での火炙りの刑やギロチンなどの公開処刑です。いずれにしろ世論や市民感情に応える「見せ物」、庶民や市民は恐い物見たさや憂さ晴らしで処刑は人気のイベントでした。
 生活の苦しさ、思い通りにならないもどかしさを悪人のせいにして癒しを得る心理。こうした精神的なカタルシスを求める風潮は、情報社会の実現とそれがもたらしている「緊張」により、いっそうの拍車が掛かってきています。
こうした流れをさらに煽るのが世論を代表すると自負するマスコミです。

▼犯人探しの時代

 2010年になってマスコミの話題は、鳩山、小沢さんの政治資金問題、朝青龍の引退などに終始しているように感じます。
 極論かもしれませんが、死刑容認の増加も、こうした悪人探しやスケープゴートづくりと同根ではないかと思います。
悪人を抹殺し、諸悪の根源と思われる事象を潰したり弾劾していけば、世の中はよくなり、私たちは幸福になれるのでしょうか?

▼秋の時代の到来

 歴史家ホイジンガーは名著「中世の秋」で中世の時代精神を「生活はけばけばしく多彩で、まるで血の匂いとバラの香りを一緒に吸い込むようようだった。人々はさながら子供の頭をもった巨人のように地獄の不安と無邪気ないたずら心、残忍極まる冷酷と涙もろい情けの心の間を行ったりきたりした」(兼岩正夫・里見元一郎訳)と描いています。
これはまさに今の時代を描いているかのようです。言ってみれば「現代は秋」。それは欲求不満や不安がもたらす「緊張」をひたすら解消すべく狂奔する時代でもあります。

▼脱カタルシス

 膨大の欲望の胃袋と幼児のような頭の人々の増大した社会。すべてが性急に自分に都合のよい結果を求めています。そして消費はこの欲望のカタルシスを願う流れの真直中にある代表的な行動です。
 成熟社会とは、実はモノが飽和化している時代ではなく、欲求不満を解消する方法の飽和であり、不満をそらすサービスやモノが限界に来ている社会ではないでしょうか?
こうした事実は、人々は肌身で知り始めているようです。
 20世紀が創り上げた●大量生産←→万人平等な消費システムが、安定性を失って、行き詰まり、あらゆる暮らしで不信が膨れあがらせている現在の時代・状況にあって、マーケティングの役割はなんでしょうか?
 それは長期的な視野を持ちにくい時代精神にあっては儚い希望かもしれませんが、「残酷と情け深さとを往来する人々の心」の、情け深さ側へと向かう心を支援する制度や仕組みを開発・発明し、新しい生き方を提案していくこと。 
 そのためにはまだまだ暮らしに残っている健全な心・・思いやり、気遣い、絆など・・のこまめな改修と評価から始めることのように思います。

2010年02月18日

2010/2/18
第177回『企業が実需をつかめないわけ?』

▼「100年に一度の未曾有の危機」!?

 経済全体の大きな視野から見れば、「100年に一度の未曾有の危機」であることはその通りかもしれません。しかし、もう少し目線を下げて回りを見渡すと、本当にそうなのか?疑問に思えます。
 例えばJALの倒産、コンビニの不調、西武有楽町の閉店に見られる百貨店の売り上げ低迷など不況の表れとして言われていますが、こうした企業や業態の不調は不況に伴う消費の縮小が原因でしょうか?
 身の回りのことで恐縮ですが、私の住まいのそばに生協があります。そこも確かに元気がありません。しかし、それは旧来のお客であった私たちが、財布の紐を締めているからではなく、私たちの求めるモノが無いからです。主婦の声では、「まずい、高い、欲しいモノがない。でも近くに店がないから仕様がなく行く」店が生協です。
コンビニも同様です。近くに大手のCVSが軒を接して出ていますが、すべて生協に同じ。誰が行くの?です。

▼消費者のニーズとのミスマッチ

 一方、客を集めているのが、積極的にお客の声に反応している小規模な路面店です。
また中規模のこだわりのある専門店やスーパーです。
そこでの商品は必ずしも安いわけではありませんが、「安心」だからです。「安心」にはいろいろ意味があります。
 高齢化や少子化、さらにはゴミ問題と暮らしは変わってきています。
そうしたことを背景に、人々は「安い買い物」は避け、「安心」を求めています。
安く買っても不味ければ残す。沢山買っても食べきれない、廃棄すればゴミが増えるなど、結局は高価な買い物となってしまい本当の「暮らしの安心」には結び使かないからです。
このように食卓、衣料、住宅などで求めるモノが変わっているにもかかわらず店側では生活者の欲しい「安心」にはまったくの無頓着。せっかくの実需をつかみ損なっているのが「売れない」原因の大きな理由です。

▼H&M、イケア企業の強さの秘密は・・・?

 いま勝ち組企業としてユニクロを上げるのが常道ですが、しかし1店舗あたりの売り上げは「ユニクロ」、「しまむら」を倍以上上回る企業が日本にも存在しています。それはH&MやIKEAです。雑誌からの情報ですが、H&Mは09年度2店舗で約90億円の売り上げ。現在計5店舗で約90億円から100億円の売り上げになると予想されていますし、IKEAの方は、日本法人の売り上げは5店舗で約500億円を上回る見込みだそうです。いずれもファッション性と手頃な値段を武器に日本の消費者を掴みつつあります。 そしてこの二つの企業は、構造不況と言われて長いファッション業態と家具業態での業績であることも見逃せません。実需がないのではなく、それをいままでの企業が掘り起こせなかったのではないか?とも考えたくなります。
 この2つの企業の強みはなにか?ですが、一般的には両者に共通する点は徹底的なローコスト物流戦略とIT駆使による「市場に合わせた最大公約数的なオペレーション」とされています。そしてH&MはSPAでありながらファブレス(自社工場を持たないこと)で世界約20国にある協力工場約800社を利用してのローコスト経営。またIKEAも同様で世界50国に1250の協力工場を持つて商品の供給を効率的に行なっていることが理由です。

▼お客の声に耳傾ける経営

 しかし、私的に注目するのはファッションやデザインとお客の嗜好の変化やニーズを把握するソフトでの技術です。
 かつて国際羊毛事務局から仕事を頂いているときに、手編み市場についての勉強で北欧のオスロ、ベルゲンに出向いたことがありました。厳寒の季節であったため、人々は防寒服に身を包んでいましたが、その下はセーターというのが通り相場でした。北欧のセーターと言えばノルディックセーター。絵柄は雪の模様やトナカイなど、また基本の色は赤・紺、白の組み合わせです。こうした定番ファッションに流行はあるのか?と素朴に思っていましたが、実際は各ノルディックセーターのメーカーはデザイナーを生活現場に派遣し毎年ファッション変化と嗜好を調査して流行を提案しているのでした。

▼誰が何を聞くのか?が勝負

 H&MにしろIKEAにしろデザイナーの役割が矢張りキー。そして彼らが本部スタッフとして商品企画からデザイン、各国にある生産工場への振り分け、物流の手配などを一手に担う仕組みだそうです。そしてこの仕組みを支えるのがH&Mでは店頭情報と世界中の都市にデザイナーを送り込んで行なう、「インスピレーショントリップ」というデザイナーによるタウンウォッチング。またIKEAでは個別の消費者宅訪問調査です。
まさにかつて私が側聞した北欧のマーケティングの愚直な実践です。
 もちろんお客の声を聞くことは、どこでもやっていることだとは思いますが、しかしこの声の真実を聞くことは思う以上に困難です。
 とくに多くの企業は「量」をベースとした思考には慣れていますが、今のように変化の時代には反対に「小さく考える」ことに慣れる必要があるようです。
この2つの企業の成果のいずれもが表面的には量に結びついていますが、しかし実際は「個」と言う「小さい」声に耳傾けた結果でしょう。
 いずれにしろ%テージや歩留まりでしかデータを信用できないのでは、これからの時代生きていくことは難しそうです。個人や個客の思い込みやこだわりを聞ける仕組み作りこそマネジメントは重視すべきです。
 それには先ず、ヒエラルヒー発想や組織ベースの「思考革新」が前提ですが・・・。

2010年02月04日

2010/2/ 4
第176回『JALに思う』

JALが倒産し、株が紙屑となりそう、子会社が削減される、OBが年金の減額に同意した、お客のため込んだマイレージはどうなるの?
2010年年明けの最大の話題ですね。
再生JALのCEOにはあの稲盛さんが・・・。
そんなわけでJALについて考えてみました。

▼考えてみるとJALって何なの?ということです。

航空業界のことはまったくのど素人ですが、鶴と日の丸を取り去ったら何ら特徴のない飛行機会社ではないでしょうか?。
確かに戦後日の丸を着けた飛行機が世界の主要都市に飛び立って行ったのは、敗戦で自信を失っていた私たち日本人にはある種の誇りでしたが、しかし、これは世界の視点から見ればどうっていうことのない当たり前のことに過ぎません。
独立国で経済先進国の多くはそれぞれのフラグシップエアラインは持っていますから、極端に言えば、世界の航空市場に参加しただけ、オリンピックに似ている気もします。

▼スッチーに憧れたオンリーイエスタデー

当時の男子にとってはかっこよく、高給、しかも世界を飛び回れるパイロットは憧れの職業の一つだったし、キャビンアテンダントはスッチーと呼ばれて、通常の暮らしからは群を抜くライフスタイルが可能なセレブな存在。
女の子にとってはなりたい職業のひとつ、一時は人気タレント並みにもてはやされましたね。
「ドジで間抜けな女の子が世界に羽ばたいていく」ドラマは人気のひとつでもありました。これらはいずれもJALがらみ。舶来に弱い庶民にとって世界を相手として商売するJALは輝かしい存在でした。
しかしこうしたJALへの評価は、あくまでも当時の貧しい日本の大衆目線のもので実体はどうだったのか?です。

▼飛行機も、マネジメントもサービスもみな借り物

飛行機は、自前ではなく主に米国企業から購入したもので、飛行技術もそれら企業から指導されたものです。
市場開拓にしても国の国交の流れに則ってルートを得て行ったに過ぎません。
そんな訳で、世界の他の航空会社がいずれも競争市場へと向き合わねばならないときに、ほとんどオリジナルなものがない無策、無手勝のママで競合に晒されたことはJALにとっては不幸なことでした。
そしていまでもこうした無為無策の依存体質を吹っ切れないでいるのは、驚くべき事と言わざるを得ないでしょう。

▼日本人の固有のきめ細かいサービスやホスピタリティって?

日本人は優秀と自称していますが、過去を振り返り何を生み出したでしょうか?
戦後日本人の器用さ、きめの細かい心遣いは、日本人にしか出来ないものと、と言われてきました。しかし、それは本当か?
徐々に私たちに世界が開かれてくると、こうした自信は儚い幻想に過ぎなかったと思います。
ヤマトナデシコへの憧れは、男尊女卑時代の、フジヤマ、ゲイシャの残映です。
売り物である「きめ細かいサービスやホスピタリティ」は、実際においては何一つ特徴的で優位性のあるものでなかったのです。
一方、世界ではサービスについて科学的なメスが入り、サービスの発見とそれの可視化が進行していったのはご存じの通りです。例えばSASは「真実の瞬間」で顧客満足度を武器に再生を果たしました、バージンアトランティックは「特別な感動」をサービス商品として打ち出しました。デルタ航空はサービス格差を主張し、合理的なビジネスマンのニーズ答えて生き延びています。

▼無理・無駄・むらの排除だけでは行き詰まり?

それでは、、再生JALの切り札は何でしょうか?
子会社削減や人員整理などという合理化レベルでは再び国の支援を仰ぐようになることは火を見るように明らかです。
JAL再生への処方箋はひとつは、世界市場においてオンリーワンを創ることだと思います。それには発想の転回が必要で、そうした方向にはGEが取り組んでいるリバースイノベーションもありではないでしょうか?
21世紀になって大きく変わったのは日本、アメリカ、EUなど先進国が成長という観点ではその他の地域として大きくは期待できない低成長地域となったことでしょう。

▼リバースイノベーションはひとつのヒント

成長著しい中国、インドはむろんいま最貧国と言われる国々にこそ市場の機会が潜在していることが理解され始めています。GEはそこに着目し、「低価格高機能」を実現してそれをリバースマーケティングと呼び、世界優位を築こうとしている言われています。
移動は人類の基本ニーズの一つですが、このニーズはグローバルに考えるとほとんど満たされていません。
お金を持っていない人は相手にしないという考えもありますが、同時にお金のない人とのビジネスでしっかり利益を上げていくことも考えられていいことです。
そのためには従来の発想からの転換戦略の必要なことは当然です。
市場は量で決定されます。そしてこの量の市場のこれからは貧しい人々で成っていきます。そうした市場をターゲットに、貧しい国の、貧しい人々にとっての「よい航空サービス」とはなにか?
苦境のJALは考えてみる必要がありそうです。
老人のビッグマウスと、言われるのは承知ですが、これはJALに限らないのでは・・・・と思います。

2010年01月21日

2010/1/21
第175回『安易な値引きは命取り』

▼値引きの危険な罠

 厳しい経済状況の局面では、たいていの企業が製品やサービスの値引きに走ります。こうした風潮をさらに加速させるのがTV中心としたマスコミです。
ボーナスは期待できなかった!暮れに向かって出費は嵩むなどで、消費者の財布の紐は堅くなりますから、これまで通り買ってもらうのは値引きしかない。特に販売の責任を担う営業サイドでは一円でも競合相手を凌ぐ低価格打ち出しの要求が強いことでしょう。
しかし値引きには危険が伴います。
 大きくは値引き→コスト抑制→経費の削減→人件費のカット→消費者の購買力の低下→さらなる市場の冷え込みと、いわゆるデフレスパイラルが上げられますが、そこまでのマクロな視点は置くとしても、マーケティングでは企業と消費者の繋がりに強く影響を与えます。
 この不況が、短期で終わるのが確実で在れば、値引きにより消費者の関心を引きつけて、購買意欲を喚起して、収益は多少犠牲にしても売り上げを高め帳尻を合わせることも考えられる不況期でのマーケティングでしょう。

▼不況は長く続くと考えたい!

 しかし100年に一度と言われる今回の不況は、ある意味では従来のマーケティングのあり方やビジネスモデルを変化させてきていますし、それに変わるビジネスモデルが創られて芽吹くまでには時間がかかりそうです。
あるエコノミストは不況が終わるのに後2年くらい、そしてこの長期の不況の後遺症が4、5年は続くと予想しています。
こうしたロングスパンで大手はむろん零細の事業者はどれだけ持ち応えることができるでしょうか?

▼売っているのは商品やサービスだけではない!

 いまさら申し上げることではないのですが、消費者の購買を促進するのは、知覚価値が重要な購買要因になっていることは、夙に知られていることです。例えば「心理的な財布」の考えは好例です。
「価格の心理学」では、たいていの場合消費者は多く払うほど、買った製品やサービスの価値を高いものと見る傾向があるといわれます。
したがってむやみに価格を下げると消費者はその価値を疑い始めるおそれがあります。
もはや死語かもしれませんが、かつては「安かろう、悪かろう」が賢い消費者の常識でした。

▼覆水は盆に帰らず

 私の数少ない経験では、20年前不況の折り、さる外食企業のマーケティングに携わっていましたが、当然、他社の動きに引き連られて値引き、さらにサービスコストの削減などが検討の遡上に上がりケンケンガクガクの論争が続きました。
 当時トップブランドを誇っていた同社の親会社は価格破壊に踏み切り話題となっておりました。
それ故に「値引き」圧力は半端ではなかったようです。しかし、同社がとったのは新サービスの開発でした。いまでこそめずらしくありませんが有機野菜の提供で同社への関心を別の方向に導いたのした。
結果は大成功。収益も高めたことはむろんですが、それ以上に同社のブランドポジションが一気に高まりました。
以降20年、親会社のブランドは低迷を続け、今年そのブランドの廃嫡が決まり、市場から消えて行きました。経営の盛衰はブランドだけが理由ではないと思いますが、一度落ちた消費者の知覚は、再び元に戻すのは難しい。まさに「覆水盆に帰らず」と実感しています。

▼まずは事業仕訳け

 今年の流行語に事業仕訳がノミネートされたそうですが、事業仕分け人の鋭い舌鋒には感心させられました。が、一方、官僚をはじめとする諸事業者の方々プレゼンの下手さです。
でもこれって多くのビジネス事業者にも当てはまることではないでしょうか?
企業やミッションはなにか?誰を対象にして、どのような市場を目指して、そのための差別をどのように創っているのか、さらにはそれがどれだけ価値を生みだすのか?などなどマーケティングの基本についてどれくらいの事業者が明快に説明できるでしょうか?
慣行や成り行きに乗っ取った感情的な説明ではもはや通用しない時代です。
不況は既得の成功や体験を吹き飛ばしてしまいます。
がんばってもどうしようもない今、焦らずしかし迅速にやるべきこと、やってはいけないことの事業仕訳をして持続的な成長に取り組んでいきたいものです。

年初より景気の見通しはよくありません。
しかし、事業の成績の悪さを政治や社会など人の所為にすれば、これはらくですよね。

2010年01月07日

2010/1/ 7
第174回『シクラメン花』

晦日の夜、いたう暗きに、松ども灯して、夜半すぐるまで、人の門たたき走りありきて、何事にかあらん、中略
・・・かくて明けゆく空の気色、昨日にかはりたるとは見えねど、ひきかへめずらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、またあはれなれ

ご存じ、「徒然草」のワンフレーズ。

どなたさまにも新年明けまして、おめでとうございます。
 
 年の瀬から年明けの街を歩くのは、昔も今も楽しみのひとつではないでしょうか?
でも気になるのは今年は活気に乏しいのが肌身に感じられることです。
いろいろあるとは思いますが、時代の流れが早瀬のように流れて、いままでの暮らしぶりを大きく変えていきつつあるのかもしれません。
それにつれて、松飾りや餅飾りが少なくなっていく事には一抹の寂しさも感じますが・・。

▼少ない鉢では、動かない

 暮れになると思い出すのは、起業した頃に、花のプロジェクトを頂いて、パートナーと一緒にシクラメンの鉢とポインセチアのそれを街頭で販売したことです。いわゆる引き売りですね。
  売っていて気がついたことですが、いずれも陳列している鉢が多い間は、売り足は速いのですが、10鉢位に数が減ると、不思議にぴくりとも動かなくなることでした。また、この手の鉢は、つぼみが多い方が、後々まで楽しめおすすめするのですが、買っていく人は、その時の花つきで選んでいくことです。
これはどういう事でしょうか?もちろん花が多い時の方が目立つし、買う気もそそることは理解できることです。が、同時に花を買うことは「華やかさ」そのものをも手に入れることだと思いにも至りました。
こうしたことは花に限りません。
焼きたてのパン、熱々のお総菜、魚屋さんの威勢のよい呼び込みなど、考えてみれば食事するときには忘れられていることでしょうが売り上げには大いに役立っています。

▼あなたは何を売っているのか?

 かの「化粧品を買うのは美しくなれる夢を買うのだ」という古典的な言葉を今一度思い出されます。
 先日さるNPOが主催したフェアトレードを見学に赴きしました。感じたのは、売りたいものを見せるだけで売れると考えるのは大きな間違いではないか?ということです。
 主催者側も、ここに参加する方もボランティアの人が多いので売れることもあるでしょうが、しかし、こうした場で売れたことは、本当に売れたということでしょうか?
敢えていえば、チャリティなどの場のように寄付がカタチを変えたにすぎないのではないか?
 売るには売るの仕掛けが必要です。
その基本の一つはシクラメンで見られるような、豊富感や楽しさの大盤振る舞いだと思います。
「在庫を持ちたくない、ロスは少なくしたい」は、当然の考えです。
しかし、この考えに拘りすぎると棚や店頭の魅力は低下します。

▼正しいモノは売れるというのは思い上がり?!

 また、いいもの、いい考えにもとづいた商品であれば売れると思うのは思い上がりというものでしょう。
不況への対応に「エコ」や「介護」が話題です。こうした官製の用の提案は間違っているわけではありませんが、いわゆるお墨付きを背景に「用」が市場を創造するわけではないと思います。
 そして用ばかりに頼っては、骨ばかりで生活文化は干からびてしまします。
不況が怖いのは消費文化を創る側の想像力の低下、減退ではないでしょうか?
エコであれ、介護であれ、価格破壊であれ、その商品がどのような豊かさを私たちにもたらしてくれるのか?それを発見して提案するのが大きな課題ではないでしょうか?

 迫り来る生活不安は、人々の心を萎びさせています。
しかし、これに作り手・売り手が同調してどうなるの?です。
街の賑わいが失せた初春の街を歩き、不況が及ぼすこうした心に与えるこわさを感じました。
 貧乏神は、貧乏人が大好き。
「虎の威を借るマーケティング」では、困るぜよ。

2009年12月17日

2009/12/17
第173回『この行き詰まりを考える』

▼不況が無能の言い訳になる!

 不況ですね。そしてこの言葉は護符のように無能、怠慢、思考停止などの理由となっているのでは?といったら言い過ぎでしょうか?
 いずれにしろ不況と聞くと人は動きが鈍くなったり、世の中のせいにして何もしないか、おなじみのやり方にこだわったりして前に進もうとしない、身を縮めて不況風が吹き去るのをひたすら待つなど、こうした傾向は不況下にあっては洋の東西に関わらないようです。 しかし、不況が去った後にすべてが元のようにうまくいく保証はありません。むしろ不況によって元々上手くいっていなかったことが表面化したと考えるべきで、不幸にも病気であることが自覚されたのと同じではないかとも思います。
 もちろんこの冬のボーナスの支給額が激減する見通しのなかで財布の紐は堅くなるのは当然ですが、しかし今後の景況が財布の紐を緩ませるほどの好況になるとお考えでしょうか?
 そもそも可処分所得が多いことと市場の活性化は相関していると考えるのは成熟した経済では大きな勘違いです。

▼どんなお金持ちも要らないものは買わない

 私は分不相応にお金持ち地区とと言われる都内の一隅に住まいしています。
そして何時でもそうですが、お金持ちを想定した店がいくつもオープンし潰れています。
なぜか、答えは単純です。
お金持ちはお金が余っており、要らないものでも買ってくれるのではないか?一般の平均的なお客より高いモノを黙って買ってくれるのではないか?という思いこみで店出店を計画するからです。さらに出店するにもお金持ちが居るということで家賃は高めですし、店づくり費用も底上げになり、当然その費用の回収を考えると設定する価格も高めへシフトしがちです。
 要は思いこみと期待だけでの無理した出店で長く続くには難しい条件を自ら創ってしまうからです。
 こんな自明なことがなぜ判らないのか、不思議ですが、この不思議が飽きもせず繰り返されています。

▼なぜ情報を集めないのか?

 ビジネスの業種、規模がどうあれ、計画を立案するのに欠かせないのは情報です。
あえてマーケティングとは申しませんが、
・自分が顧客としたい顧客がとれ位の量居るのか?
・同業または類似の業種事業者の売り上げがどれくらいか?
・それはなによって創られているのか?
・想定する地区での顕在、潜在キャパシティはどれくらいで、自力でどれくらい獲得できるの か?
・それのタイムスケジュールはどうのように見込まれるのか?
などなどの情報です。
こうしたことが判明した上で、どこがライバルか、なにが不足しているか、販促には何が有効か?広告とそのメッセージは何にしたらいいのかが明らかになり、戦略が立てられる筈です。
 しかし、寡聞にしてこうした当たり前を実践してスタートを切る事業者にお会いしたことはありません。要は何も判っていないでビジネスを始めるのが通例です。

▼自分のこれまでのやり方はこれから通用するか?

 こうした乱暴のビジネスの取り組みの背景は経営者自身の経験への過信があるからです。
そしてこうした人々の経験は、「いい時代」に形成されたものであることも要注意です。
いい時代とは何か?それは市場が在って、その在る市場のパイを獲得すれば事足りた時代で、それなりに創意工夫はあるものの「仕組み」や「組織」で売り上げを創ることが出来た時代のことです。
 最近、デパートや大型量販店の不振が話題となっています。こうした対策に店の移動やリニューアルが目立っていますが、果たして成功するか?
悪いけれど無駄なあがきだと私は思っています。それは売場効率という旧来の得手勝手な考えを切り捨てて、売場づくり、再生に取り組んでいるとは思えないからです。
人気デパートでもいまその集客には陰りがでているのは肌身で感じますが、それは不況も一因でしょうが、そうした経済要因よりもむしろデパートサイドの考え方が主たる原因ではないでしょうか?例えば富裕層を掴んで一発逆転を狙う、有名ブランドの価格破壊に頼った、自分では腹が痛まない賑わいづくりなどご都合主義が見え隠れするからです。

▼不況はいままでのやり方を変えるチャンス

 平日の午後、店に出向いてみてください。お総菜売場はまだしもその他の売場は閑古鳥、まさに寒々しい光景です。それに反して街には人が溢れています。
彼らは貧民でも難民でもありません。
ただ今買う意味を見いだせなかったり、買う気を感じなかったりしている人々です。
こうした人々をどこが顧客としてつかむのでしょうか?
こうした人々と売場とのミスマッチはどうして起きているのか?
つまりは「面白くない売場にはいかない」、ただそれだけのことではないでしょうか?

▼一に集客、二に集客・・・!

これはデパート、量販店など流通サービスに限りません。製造でも、TVなどマスコミでも同じです。
不況だから金を掛けない、人を削る、冒険をしない、批判されることを恐れる、上司やトップの判断に逆らわない、結果しか見ないなど、近視眼的なマイナス思考,指向のスパイラル、これでは世の中、面白くなる筈はありません。
ビジネスの第一は「集客」。人を集めてこそ次なる手も打てるわけです。
それには人がやらないことをやる、業界の常識を破るなど、世間が耳目をそばだてる動きが必要です。
 今年はユニクロやマクドナルドの一人勝ち、ちょっと皆様、怠慢ではありませんか?
 迫り来る来年は寅年、寅は、草木が萌え出でる意味とか。験を担ぐわけではありませんが、春を期待して「動く」。まずは行き詰まり打開の処方です。

2009年12月04日

2009/12/ 4
第172回「自動車革命ショック」、そして・・・?

NHKスペシャルの「新・自動車革命」のレポートでショックを受けた方、多いのではないかと思います。
むろん私もその一人。私のショックを以下に整理してみました。

▼ショックその1
 自動車技術。とくに環境技術では日本は最先端にあると思っていましたが、中国、インドなど、またアメリカの技術と比較しても必ずしもリードと言うほどには優位ではないこと。とくに脱石油のエースである燃料電池などでは浅はかにもダントツと思っていましたが意外でした。

▼ショックその2
 石油に依存した自動車はもはや時代遅れであること。
世界の技術は脱ガソリンに向けて大きく舵が取られ始めたこと。
そうした中では日本はアナクロ的。政府の施策を見ても石油資源への依存が高いようで後手に回っている印象。日本が誇るハイブリッドも過渡的な技術に過ぎないのでは?もはやエネルギー技術でも大国ではないことを実感。かつてのオイルショックを乗り切った経験が過剰な成功体験となっており、発想の切り替えが十分に行われていないのでは?同時に日本は自己満足と自画自賛でいつのまにか後れをとっているという悪い癖から抜けきらず創造的なイノベーションの取り組みには相変わらず消極的であることを実感。

▼ショックその3
 構想力の乏しさと構想をデザインする思考の幅が狭いこと。
アメリカのグーグルがリーダーシップを取るスマートグリッドのようなITとエネルギーシステムそしてモビリティを統括するような発想が聞かれないこと。
政策的には環境をテーマに次世代懇談会が開催されたとのことですが、従来自動車の市場活性が目的のようで果たして世界をリードできる構想に基づくものなのでしょか?気になります。
日本はいつでも部分最適は得意としているようですが、まったく新しいクルマづくりや移動システムづくりは不得意かも。効率や改善ではどうにもならないのが世界の潮流のようです。
アメリカのベンチャー企業の経営者が述べているように、自動車への固定概念を持っている自動車企業からは新時代のクルマは開発されにくいと言う発言が心に残りました。曰く「自動車は家電だ!?」

▼ショックその4
 マーケティング発想の貧困と革新の芽を育てる風土が以前に増して乏しくなっている気がすること。
とりわけ思うのは収益へのこだわりが強くビッグマネーが得られるものしか関心がないのでは?その結果ターゲットとして想定するのは富裕層に偏重。真剣に取り組むのは「お金持ち」をターゲットとする開発が多い。しかし、金融におけるマイクロファイナンスや家電での貧困層へのアプローチ、自動車ではインドのカーメーカーが主張する世界の貧しい人々にクルマを浸透させ底辺市場を確保しブランドを築き上げるという考えなどグローバルな流れは世界に多数存在する貧しい人々の市場化が標的。
 しかしこの考えは日本企業には馴染まないようです。日本企業の発想は日本技術は優れているから貧しい人の市場が成熟したら日本製品に流れると言う読みらしいが果たしてそううまくいくか?
 以上、私的なショックを勝手に列挙しましたが、いずれにしろここにきて大きく世界は変わってきたと言うことです。トヨタがF1から撤退すると決断したこと自体、20世紀的思考への決別の覚悟がうかがわれましょう。

▼ふたたび「あなたは何を売っていくのか?」
 同時に身が引き締まる思いで私たちマーケターはマーケティングの「基本のキ」である「あなたは何を売るのか」に回帰して思考をフォーカスすべきではないでしょうか?
何を売るのか、そして売るモノ、「品質性」も「機能性」も社会との関わりで変化します。時代の転換は「いいモノ」の転換でもありましょう。これからは「いい」の中身も変わるし「やすい」も同様だと思います。
 かつての成長産業は「何を売っていたのでしょうか?」わたしは一口に言えばそれは時代の夢=時代固有のロマンではなかったか、と思います。
 わたしたちは忘れていることですが、振り返って見ると日本の家電・自動車など3Cと呼ばれた産業の成長エンジンは戦火に焼け出された「貧しい」人々に夢を与えたことではなかったでしょうか?
 申し上げるまでもなく技術も製品もそれだけでは市場づくりはできないことは歴史が証明しています。例えば家電は女性の労苦からの解放を、自動車はあらゆる人に移動の自由を、そしてITは人々のつながりをロマンとして掲げ人々を豊かにして市場を創造してきました。
そしていまさらながらに、、かつてお会いしたある自動車企業の副社長が持論とされていた「技術はヒューマニズムだ」・・著書【エンジンのロマン】を思い出します。
 いま変わりゆく世界は何を課題としているのか?何が人々を魅せるロマンなのか?
こうした根本の課題にマーケターは解を求めねばならないと思います。

2009年11月19日

2009/11/19
第171回『売る気の空回り』

▼トップの好きな万歳攻撃

進行中の不況は、4年から5年は続きそうとのことで、今後は景気の上昇は大きくは見込めないという読みが大方です。
当然、企業経営では生き残りが最大の課題で製販挙げて「売り」一色の感じですね。
一方、売り込みされる側の「買う気」は、と言うと縮み志向。
でもこの傾向は、不況のみが原因とは言いがたく、とうに始まった成熟化がいろいろな消費場面でさらに顕在化している結果だと思います。
しかし、周辺を見聞きする範囲では、成熟社会の現実というこうした変化を、どこまで「事実」として真摯に受け止めているか?と考えると疑問だらけ。
戦い方を変えねばならないのに、過去の成功体験を忘れられず「万歳攻撃」の繰り返しで、叱咤激励すれども「空回り」。
やがて矢がつき刀折れて玉砕ということにもなりかねません。

▼例えば価格破壊

季節柄、観光ビジネスが話題となっています。
人気はいずれも低価格ベースのサービス。
そうした中勝ち組である事業者ではいずれも低価格と同時にお客様満足の実現を図り生き残りを賭けて厳しい競争を凌いでいるとのこと、その様子が紹介されていました。
いわゆるよい品を低価格でという価格破壊戦略で企業サイドの「売り気」の典型で、それがサービスビジネスでも決め手となっているわけです。
そして、この価格破壊戦略は体力勝負であることは間違いありません。
とりわけサービスビジネスは、モノが介在するビジネスと異なり、顧客の体験によって常にサービス水準の高度化が求められますから、果たしていつまで体力がもつのやら?と懸念もあります。
経営や資本側から考えれば競争市場での優位性を獲得するための価格破壊は、戦略として妥当性もあるとは思いますが、視点を資本からサービスや材のサプライヤと言う「人」へ移してみると、この戦略は、これでいいのでしょうか?
フェアトレードまでを述べる気はありませんが、生き残りを命題に、顧客満足にかかる諸々のしわ寄せがサプライヤに集約されてはたまったものではありません。

▼ESはどうなっているの?

不況とともに聞かれなくなったのが従業員満足、即ちESです。
サービス経済になり「人」が資源と成って久しいですが、経営するサイドは相変わらず「モノ」志向。
メーカーはもとよりサービスを商品とする側ですら、働く人の重要さが判っていないのではと思われてなりません。
むしろワーキングプワー、派遣切りなどに見られるように人の浪費は一層の拍車が掛かっているようです。
人をコストと見なして、働く対価を低く抑えようとする考えは、サービスの質こそが大切な時代とは逆行しています。
その結果、働く人のやる気を削ぎ、アイディアを枯渇させ、見る影もなく魅力のない、活気のないサービス提供の場を多数輩出させています。
流行のホスピタリティやコンシエルジュなど、人の質こそが決め手ですし、また買う気の創出は人との情報のやり取りを通じてこそ買うにつながることは言わずもがなです。
働く人の元気の源は、青臭いと言われますが「認められること」「人としての尊厳」です。 すべてが「お金」次第ではありません。
人への対し方には、X理論とY理論がありますが、いまは人の性は悪とするX理論の過剰です。
就労不安、賃金のインセンティブなどの「恐怖」に基づく管理は職場を不信の温床にするだけではないでしょうか?
厳しい時代だからこそ株主満足や顧客満足の偏重を廃して、ES=「従業員満足」の提供が課題となって良いはずです。

▼売れないのは「売らない」からに他ならない?

私は時々買い物をしに店に出向きます。
その時、私の気分は、「何か買ってもいいな」と言う漠然とした段階にあります。
この気分を購入につなげるには、商品だけでは不十分です。
また多くの売場では商品との出会いづくりも不十分で、欲しいモノが無いわけではありません。しかし買い手から見ると現実は、モノはあれども買うモノがないということになっています。
しかし、これは売りサイドの未熟を、さらには顧客への勉強が足りないことの証左に他なりません。
顧客は一人一人違いニーズも好みも違いのは当然です。
こうした違いをスマートに抑え、提案してこそ「買う気」と「売る気」がドッキングします。こうした当たり前のことが実現されている売場がどれほどあるでしょうか?
最大の理由は売り手にプロがいないことです。
勘違いして頂くと困りますが、売り気のプロは沢山います。
しかし、いま必要なのはお客さまを見て判断し提案できる「目利き」のプロの不在です。
扱い製品が商品となるのはお客さまとの接点が生まれたときです。
来客の好み、テイスト、求めているモノを素早く見抜きさりげなくモノを提示してお客さまは心が動きます。
売れないためか、最近売場の模様替えや移動が目立ちます。
しかし、こうした経費を掛けて見返りはあるのでしょうか?
個人的には不便を強いられた印象を持っています。
モノから人への投資が必要なのは政治だけではないと思います。
売れない、売れないと言って他人の所為にしないで、もっとお客さまへの理解を深めては如何?そんな面倒くさいことやっていられないよ!ですかね。
いま人こそ財産だと痛感するのですが・・?

2009年11月05日

2009/11/ 5
第170回『オバマ・ミッシェル夫人の奔放な装い』

 選挙も終わり、鳩山新首相の噂で持ちきりのこの頃ですが、そうした中、各国の首相達の奥様、いわゆるファーストレディのファッションが一部業界すずめの話題のようです。
そして日本では、新ファーストレディ鳩山幸婦人のファッションが、好感を得ている様子。 一方、オバマ大統領夫人であるミッシェルさんのそれは賛否両論のようです。
新聞報道によれば、ナンシーレーガン元大統領婦人をホワイトハウスに招いたときの服装
Tシャツは10ドル、カーディガンは25ドでたったの35ドル、しかも露出度が多く余りにカジュアル・・・!大統領夫人とあろうものが・・・と言う上流階級のサイドからの批判です。そこには不況に苦しみ、高級ファッション復活を期待する業界にとって彼女のファッションが高級とは無縁のそれだけに、業界の意に沿わないと言う不満もあるからかもしれません。
その意味では幸夫人のファッションは「かわいくて」「おしゃれで」「彼女らしい」・・・とTPOを弁えた保守的な業界好みの優等生ファッションとも言えます。
しかし、ファッション音痴の批判を承知の上で言えば、私はオバマ大統領夫人に賛同します。

▼アンティ・エスタブリッシュというメッセージ

 それは簡単に言えば、旧来のエスタブリッシュ達が築き上げた「格差」の否定と言う強烈なメッセージ性を彼女のファッションは孕んでいると思うからです。
ホワイトハウスは、今政権までずっとWASPの牙城であり、エスタブリッシュ達のシンボルとも言えるモノでした。そこに乗り込んできたオバマ氏です。この事自体強烈なインパクトでしたし、こうした脱階層志向こそが民主主義のあるべき姿として熱狂的に受け入れられたのでは、と思います。
そして婦人もそうした志向を形にしていくリーダーの一人であることは自他共に強く認識していることでしょう。
 とくに共感を覚えるのは、彼女のファッションが着手からの主張だと言うことでメーカーやデザイナーなど作り手である「他者」から「自由」であることです。こうした権威や慣習に縛られない「自由」なファッションの実現には余程の勇気がなくては不可能ではないでしょうか?この勇気は「オバマ」を支えている人々の支援を信じているからに他ならないでしょう。
 彼女のファッションには、「貧富や肌の色に関係なく誰でもが、気楽に政治参加できる」時代の到来を告げるメッセージ性があると思います。
つまりは「ホワイトハウスなんて気楽なところよ」と言ったところでしょうか?
アメリカの伝統を重視するいわゆるエスタブリッシュを尊重する人々にはその価値観を逆撫でされる気分でないか、と思われます。

▼解放・反抗・自由

 振り返ってみると時代を革新したファッションには、それぞれ強烈なメッセージがありました。例えばC/シャネルは女性の心と身体の男からの解放を願い女性の自由、つまり男の価値観と経済力に縛られないファッションを提案し続けました。
 また世界を風靡しいまや日常化したジーンズのスタートは、あのJ/ディーンの眼差しが伝えるヤング・アト・ハートの「反抗」をメッセージとしていました。
 20世紀に受け入れられた多くの商品・・・、家電、クルマさらにはパソコンなどなどにそれぞれに変化を実現しそうな、あるいはライフ価値を変革するメッセージは備わっていたと思います。
 このメッセージという文脈で考えるとミッシェルさんのそれは大統領の「チャレンジ」を形にするひとつの試みではないでしょうか?それに比して幸夫人のファッションには上流ファッションの枠にとどまるだけのもの。センスのよさはわかるにしろ、メッセージ性には余りに乏しいと言えましょう。

▼このままでいいの?と敢えて問いたい!

 今回の選挙で人々が期待していることは、バランスや気遣い、しがらみの尊重でなく、ゼロ次元に立って現実の課題を真面目に取り組み見直す謙虚な姿勢だと思います。
 ファッションも駄目、家電も駄目、クルマも駄目、生活の安定も見えない駄目ずくしの現在の不況です。
業界でも人員整理や倒産が目立ってきています。
 その所為か、若い人々には就活ファッションが流行ですが、こうした保守的で堅実な服装をまとい「従順」を臆面なく受け入れ、それを価値とする人々を企業が即戦力として期待しているとしたら日本の先行きはまっくらです。自分の暮らしや人生を真面目に考えれば、怒りは沸いてくるはずです。
 このままで、誰かが助けてくれますか?他人の所為にして美味しい生活が保障されますか?
 もはや人生の外野にいる老人の無責任発言かもしれませんが、私たち、とりわけマーケターは暮らしの中にある不満・不安を直視し、そこからの新たな発想を求める努力と気力そして反抗の気概が大切ではないでしょうか?

2009年10月22日

2009/10/22
第169回『逆転の妄想』

▼世間を敵にした建設推進派

今年後半の話題は八ッ場ダムの建設中止ではないでしょうか?
ダム建設の中止を明言した前原国交相と地元住民との意見交換会は「中止ありき」では話にならないとする地元民の考えで実現しませんでした。
57年間紆余曲折のあったと言うこの問題は、当然のことながら根が深いことでしょうから、門外漢が口を挟む余地はないかもしれません。

しかし、TV映像でみる限り、申し訳ないとは思いますが、ダム建設を推進したいとする地元の人々は「地域エゴ」の固まり、目先の利益で他はどうでもいいと言う自己主義をにじませているようで、ひたすら対話を求めていた大臣に比べどうも役柄が悪いと思ったのは私だけでしょうか?また役者ぶりも地元の顔役風で利権にしがみついた欲の亡者とも映りました。

人の気持ちは同じようで、ダムのある長野原町の役場には一晩で4000通のメールが殺到しその8割が建設推進を求める地元に対して批判的な内容とか(朝日2009/09/26)。
風は地元の利権代表者にとってはどうやら逆風のようです。

▼ダム湖観光になぜしがみつくのか?

不思議なことは「生活再建」=「ダム早期完成」と言う、私にはまったく理解できない発想です。
またすでに3200億円が投入されているから、中止するのは無駄、だから事業予算の残金を使いきって事業を完成すべきだという考えも奇妙ではありませんか?
仮にこの考えに基づきダムが完成したら「生活は再建」されるのでしょうか?
例えば群馬県の生活再建案「ダム湖のほとりの温泉街」。さらには「ダイエットバレー構想」などの観光振興策です。
なんともどうしようもない策でこんなお粗末な策で成熟した観光市場に地歩を得ようとするのはあまりにいい加減と言わざるを得ないでしょう。

同じ群馬県で完成したダムに移転した猿ヶ京温泉を見ればダム湖と温泉街がセットとなった観光開発がほとんど魅力となっていないことはあきらかなようです。
要は長年のもやもやが取れただけで、気分は落ち着くかもしれませんが、この長野原一帯の価値が増したとは思えません。

▼イメージの観光マーケティングを

そもそも歴史ある観光地は衰退を続けてきており、このダムの底に沈む予定の川原の湯温泉も例外ではありません。
うがった見方をすればダム開発を機会に親方日の丸の利を得たり、立ち退き料をせしめて貧乏から一抜けするというのがホントのところでは・・・?!
生活再建が観光によるものとすれば、地元は温泉とかダムとか、もはやどこにでもある観光資源依存しない、開発を考えねばならないでしょう。
 
方向性は大きくは4つです。ひとつは「ソーシャルマーケティング」、第二は「非営利のマーケティング」、さらに「イメージのマーケティング」そして「地理的マーケティング」です。
このコラムで、それぞれを説明する紙数はありませんが、とりわけ大切のは「イメージのマーケティング」だと思います。

▼ダム中止は地域活性のビッグチャンス

考えてみればわかることですが、このダム中止は、この地域に大いなる資源を提供しています。
一つはダムに沈まずに済んだことです。その結果、渓谷美という景観が保全され、同時に渓谷の生態系も維持されたことです。また温泉の源泉も失わずに済みました。
この川原の湯は東京に近いこともあり文人墨客に愛された湯であり、同時に絹で栄えたこの地区の文化も受け継がれることにもなった、などです。
以上は過去の遺産的な資源の話ですが、さらに重要なことは、57年の苦悩の歴史です。そして、この騒動により一挙にこのダムの知名度が日本中に浸透したことです。そして「中止」は乱開発の愚に抗した知恵の成果かであり、環境の時代のシンボルとも成り得る、いわばこれからの観光開発のフラグシップともなりえるはずです。
9:11のNY、古くは敗戦後のヒロシマ、ドイツのホロコーストなど不謹慎の批判は承知ですが、これらの悲惨が強烈なメッセージとなって世界から人を呼んでいることは現実です。
こうした事柄と比べるべくもないですが、しかしこの地区は世界に発信できるだけのメッセージ性を孕んだのではないでしょうか?このことは「イメージのマーケティング」にとっては最高です。

今世界は、意味に飢え、新たな豊かさを求めています。マーケティングは人々の不満に応えることです。
この夏、個人的にはいくつかの東京周辺の観光地に赴きました。そこで感じるのは時代遅れの考えが、荒廃を招くか?札びらだけの開発が人心に響かず、もはや投資効果を生まない現実です。
幸い、現政権は観光に注力するそうです。八ツ場の人は、国費の導入や補助金の確保を目論むのではなく、もっと大きなソロバンで外部資源を呼び込み、世界に評価される地域振興モデルづくりこそを、目指してほしいと思います。
災いをチャンスとする逆転の発想ならぬ、妄想かもしれないですが・・・・。

執筆者のプロフィール

ファンサイト有限会社
顧問/
コミュニケーションプロデューサー
宇田一夫

1939年3月生まれ。 早稲田大学第一文学部史学科西洋史卒。
1962年株式会社博報堂、株式会社日東エイジェンシーなどを経て、株式会社エイムス設立。アカウント・プランナーとして「コミュニケーション&マーケティング」を課題に各種キャンペーン・プロジェクトを企画・プロデュース。
2005年愛知EXPO中央アジア共同館(ザ・グレート・シルクロード)プランナー
東洋美術専門学校視覚伝達学科講師

【賞】国際見本市、日経新聞・日経産業新聞・日経流通新聞・ショッピング他などで受賞

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