« 2008年01月 | メイン | 2008年03月 »

2008年02月 アーカイブ

2008年02月01日

第72回『ハンドボール狂騒曲』

IMG_0257.JPG


この間の水曜日、友人のN編集長からお誘いを受けプラチナチケットと化していた「男子ハンドボールオリンピック予選再試合 日本対韓国」を見てきました。

再試合までの経緯は、散々、ニュースで報道されていたのですでに皆さんご存じかと思います。アジアハンドボール協会を牛耳るクウェートによる「中東の笛」のおかげで不公正な試合が行われていたためでした。というような、簡単な知識は前日の「報道ステーション」の特集で頭に入れてから会場へ。

会場は1万人強の大観衆。そのほとんどの人がハンドボールを生で見るのは初めてだったと思います。ご多分に漏れず、私も見るのは初めてでした。高校の体育の時間にちょろっとやっただけ。バスケ部だったので、他の人よりは巧かった記憶くらいしかありません。ハンドボール部ってあったのかな。すでに忘却の彼方へ…。

試合は25─28で敗れてしまい、日本はオリンピック出場の大チャンスをものにすることができませんでした。実力的には韓国の方がずっと強かったです。得点を取る方法をたくさん持っている韓国に対し、日本はディフェンスでものすごく頑張っていました。敗れはしましたが、胸を張って良い試合だったと思います。
そして単純にハンドボールはスピーディで迫力もあり、なにより得点シーンがたくさんあるエキサイティングなスポーツだということがよくわかりました。同じマイナースポーツのラクロスは、フィールドが広い上にボールも小さく、初心者には敷居が高いスポーツです。それにくらべると「にわか」である私でもずっと簡単に試合に入り込むことができました。エンターテイメントとしても見せ場が多いため、bjリーグやFリーグよりも楽しい可能性もあると思いました。


今回、試合を見ていて感じたのは韓国の方々の精神的な強さです。一発勝負の試合を、男女ともにものにして五輪出場権を獲得しました。それもアウェイの地での一発開催。日本と韓国の2ヶ国しか出場しないことが確定した時点で、ホーム&アウェイの2試合開催に切りかえるのが筋だと思いますが、それをもろともせず実力を発揮しての勝利はさすがだと思いました。

日本人の特性として、「試合に勝つ」という自信を持つには、実際の試合で何試合か勝つ経験をして初めて「勝てる」と思うような気がします。ですが、壁を厚くしてしまっているのは本人たちのメンタリティなのかなと思いました。ある程度の点差が離れてしまうと「やっぱり無理か…」と思ってしまうことで、どんどん壁が厚くなってしまっているのではないか。

別の件でお会いした元日本代表サッカー選手は、「メンタルが弱い弱いと言ってるから弱くなってしまう」と仰っていました。どんなに負けても「次は絶対に勝てる」「俺の方が強い」と心の底から思える人が、最後に勝利を勝ち取るものなのかもしれません。

2008年02月07日

第73回『ロートレック展』

img01.jpg

ロートレック展を見て激動のパリを想う。

先週末、雪が降りしきる中、六本木のサントリー美術館まで「ロートレック展」を見に行きました。ロートレック作品のアートとしての完成度の高さに驚くと同時に、この時代のパリの街並みは、日々激しく移り変わっていたことに思い至りました。

19世紀末のパリは、万国博覧会が数回開催され、エッフェル塔が建った時代です。娯楽文化でも大きな変化が起こり、リュミエール兄弟によって映画が発明され、道路を自動車が走り始め、モンマルトルではシャ・ノワールやムーラン・ルージュといったキャバレー文化が花開きました。
より多くの顧客を獲得するために、キャバレー同士であの手この手であたらしい表現が工夫され、ショーの内容についても競い合っていたことは容易に想像できます。フレンチカンカンが完成したのもどうやらこの時期のようです。そうした猥雑な文化のまっただ中で、踊り子やキャバレーの広告となるポスターを作成していたのがロートレックでした。

そういう背景を考えたとき、この時代のパリはルネッサンスが起きていたのだと思いました。中世イタリアで起きた人間性の開放と、まったく同じことが起き、新たなパワーが生まれた時代なのだと思います。

開放はうつうつとした期間があってこそ、起こりえるものです。
閉塞感に充ち満ちている現在の日本は、ファシズムの方向に走る危険性をはらんでいる一方、webというツールが万人に与えられたことでルネッサンスが起こりうる土壌が十分にできている環境だと思います。


そして、突破する破壊力を持っているのは、万能型の人間ではなく、どこかがトンでもなくズバ抜けた人のはずです。つまり「ダントツ」です。


なんとなく、ファンサイトをイメージさせる言葉じゃないですか?

2008年02月22日

第75回『一方的なコミュニケーション』

サッカーは、つくづく高度なコミュニケーション能力が必要なスポーツなんだと思いました。

現在、中国の重慶で東アジア選手権を戦っている日本代表。太平洋戦争の時、蒋介石の中国国民党が南京陥落を機に首都機能を重慶に移転させたため、日本軍は重慶を爆撃。そのことから強い反日感情があると言われている重慶。先日の日本対中国の試合前には、中国サッカー協会の副会長が代表チームの選手たちを激励し、日本との歴史問題を30分もの時間話したそうです。

そのせいで、サッカーとは別の感情が湧いてしまったのか、中国代表のプレーは粗雑なラフプレーの連発。悪質なファウルは目も当てられないものでした。退場に値するプレーがいくつもあったなかで、おもしろかったのが地元の中国の人々も、そうした野蛮なプレーに対して非難の声を上げていることでした。


サッカーなどのスポーツはいくつかの構成要素によって成り立っています。

自チームの選手と相手チームの選手。選手と審判。選手と観衆。観衆と審判。
それぞれがそれぞれに影響し合い、見事な調和が取れたとき、最高のゲームが現出します。
そのときは、選手も審判も観衆も、最高の気分に浸ることができます。
もちろん負けたチームの選手に悔しさは残るはずですが、満足感はいっぱいのはずです。


しかし、構成要素のなかで、どこかが独りよがりな動きをし出すと、途端に調和は乱れ美しさは失われてしまいます。今回の試合では、審判の醜さはひどいものでした。正統なジャッジを下していれば、あそこまでゲームが荒れることはなかったでしょう。

ただ、この審判と同じことをしている時がわたしたちにはあるのではないでしょうか。ついつい、目の前の選手のプレーに夢中になってしまい、観客の反応を感じることができない。そんなことはよくあるように思います。
クライアント企業とのやり取りばかりに気を取られ、肝心のお客さまに対する気配りが無くなってしまっては本末転倒です。

無神経で、無防備で、無配慮では、コミュニケーションは成立しない。
自らの襟を正すとともに、夏に行われる北京オリンピックに対して、不安を払拭できない大会となっています。

2008年02月29日

第76回『TOMORROWLANDとDIESEL』

サラリーマン時代、私服での通勤が許されていたのですがいちおうドレスコードも存在したため、乱れた服装をするわけにもいかず、かといって野暮ったいカッコウをするのも嫌だった僕が愛用していたブランドがTOMORROWLANDでした。

オフィスがあった丸の内から東京駅へ帰る道すがら、TOMORROWLANDの路面店に寄り道。当時の品揃えはセレクトショップの色合いが強く、イタリアなどから輸入されたオリジナリティ溢れたデザインのアイテムは、「お金を貯めて買おう!」と奮起させるのに十分な魅力を放っていました。


時がしばらく過ぎ、フリーランスで活動するようになると荷物も多くなり、リュックを背負うことが多くなりました。となると、TOMORROWLANDのジャケットや襟付きのシャツではカッコウがつきません。「普通に生きるのは止めた!」と粋がっていた僕を、ちょっととんがったイメージで魅了したのがDIESELでした。


いま思うと、どちらのブランドも打ち出している世界観がとてもわかりやすい。コンサバティブなTOMORROWLANDに対し、アヴァンギャルドなDIESEL。お互いに、両極の代表格みたいなものかもしれません。だからこそ、自分のブランドチェンジもこの2つのブランドの間で起こったんだと思います。


代表の川村のブログにもあるとおり、口コミを形成する指数は以下の通りです。
・ わかりやすい特徴がある
・ ストーリーがある
・ リピート性がある
・ カリスマがいる
・ 美味しい、楽しい、健康になりたいなど、潜在的なニーズがある
・ ターゲットがはっきりしている
TOMORROWLAND、DIESELともに、指数を十分に満たしているブランドです。

指数を満たすためには、世界観の提示が必要で、それを可能にするものこそがデザインです。
江戸時代でいうところの「粋」です。

では、「世界観を提示するデザイン」って???


次回、いろいろと考えてみたいと思います。

ファンサイト