私には、4歳の息子がいるのですが、この息子は、物心ついたときから、親父に挑戦する、お袋を守るということを、誰が教えたわけでもないのに実践しています。
こんなことを書くと、反発される方もいらっしゃると思いますが、先日、あることに気が付きました。人が若さを保つ原動力についてです。新しい事に挑戦していくきっかけは、本人の好奇心の他に大きな要素として後継者の存在が大きいのではということです。わかりやすい例は、子供の存在です。
以前も、男の子は、親父をライバル視するということを書きましたが、親も同様、子を意識します。自分を超えて欲しいという欲求とともに、いつまでも負けてたまるかっという気概がそこには存在します。私の親父は6月で79歳になりますが、今尚、肉食で、正月に毎年酒を酌み交わすのですが、私より先にグラスを置くということはありません。ちょっと皆様には信じられないかもしれませんが、昼の12:00から、夜中11:00まで飲み続けるのです。普段から、25、6歳の若者から、同僚、先輩方、協力会社の方、クライアントと、なにかとお酒をご一緒する機会は多いのですが、私からグラスを置くことは、よっぽど寝不足でもない限りめったにありません。年一回の親父と飲む酒が、私にとっては今尚試練であり、超えられない強敵なのです。
もっとも、ここ何年間かは、私との飲むために、12月に入ると断酒し、体調を整えていることを、お袋から耳にしております。「今年は控えてね」という連絡が年末にお袋から入るのですが、元旦当日、ちゃんと親父としての威厳を保ち、私を迎えてくれます。
人はなぜ、後継者を育てようとするのでしょうか。もう、そのしがらみから抜けて、余生を過ごしたいからでしょうか。私はそうではないと考えます。
自らが現役でいる為に必要であるから、ライバルを育てているのではないでしょうか。何年か前に、家族の為に働いているのではなく、家族がいるから働く気、子供がいるから生きていく気をこちらが与えられるのだと気が付きました。私は、子供の為に長生きしたいと最近思いますが、実は、張り合いを持って生きていく為に理由付けを行っているのかもしれません。
ビジネスの世界や、スポーツの世界においても、人はいずれ指導者としての役割を果たして生きますが、表向きな理由は、業界の発展、組織力の向上、継続であっても、無意識の内に、自分自身へ刺激を与え、長く第一線で活躍するための必然の行為として行っているとも考えられないでしょうか。私は、後継者育成が偽善であると言っているわけではありません。ですが、こんな考え方すると、もっと割り切って指導、育成という仕事に取り組めませんか。生きるための自分自身の本能なのですから。
