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2008年02月 アーカイブ

2008年02月01日

第4回「道徳心」

人間おろかなのか、私が特にそうなのか、実際やってみないと実感できないことってありますよね。
4歳の息子を観察していると、毎日「ここ」というところでつまづき、「危ないぞ」というポイントでやっぱりという失敗しています。
いくら事前に注意を促し、危険性を説明した所で聞く耳を持ちませんし、そのまま思い通りに行って失敗します。ただ、その好奇心を原動力とした行動力には驚かされ続けます。あるお気に入りのアニメソングの歌などDVDに入っている5ヶ国語で歌う事ができますし、4歳ですでに、ディズニーチャンネルのWebの中で巧みに遊び、プリンターの紙がなくなったなどと言ってきます。その反面、何度注意しても食事中は手をつかい、汚れは平気でシャツでふき取り、何度注意しても、1歳の妹に対して対等に振る舞い、自分の持ち物をいじられるとつねって泣かせたりします。
その都度、同じ事をするぞ!というと、泣いてあやまるのですが、次の瞬間には、もう妹に手を出していたりします。

振り返ってみると私自身も幼少のころは、かなり始末の悪い子供で、親を困らせていたのは表向きで、実はある程度計算して親と対峙していたという記憶があります。
言葉、知識、現象を理解する力が先に付き、4歳~7歳ごろが危険な年齢でしたね。
なんせ、道徳心が育っていなかったのですから、

中国餃子が問題になっていますが、あれは道徳心がないからですよね。
作り手は、誇りを持って、上手いものを作ろうと一生懸命になり、食するものは、常に作り手への感謝の気持ちを忘れない。こういう価値観の中で日本人は自分を表現していたので、自然と世界の中でも、有数の競争力を持った集団となり、こんな資源のない島国が、世界で一目おかれ続けてきたのではないでしょうか。

決して、中国の方を批判するわけではありません。
が、自分では食べないものを食に関わる職業に携わっている人が認めてはいけないと思います。
誇りを持ち、相手先、その商品が使われる先のことを思いやった仕事を行うことって大事じゃないでしょうか。
そういう心の積み重ねが結果的に、この競争社会で実は生き残るすべならいいのに、と思いますが、やっぱりやってみないとわかりません。ただ、この思いやりの心は、必ず次の世代に伝えなければならないと思います。

2008年02月07日

第5回「無駄ってなんだろう」

よく、ありがちな失敗で、自宅のNET環境や、OA環境。最初からビジネスありきではないので、継ぎ足し、継ぎ足しで、気が付くと結構投資している割にはなにもできない環境だったりします。しかも、いざまともに環境を整えようとすると全部買い換えた方がいいような、中途半端なパーツの集合体であります。
なにも、個人宅に限ったことではなく、会社全体のインフラがそんな状態であったり、ひどいのは、そうなる結末をわかっている社員がいるのに、どうでもいいからか、ワンマン経営者に抵抗するのが面倒なのか、なにも気が付いていない振りをしたり、、、世の中、無駄なことだらけです。
無駄といえば、12月までのサラリーマン時代と今(今がまったく自由人という訳ではないですが)を比べると圧倒的に違うのが、会議に費やす時間です。
1月からそこそこ忙しく、自宅で仕事をする時間も含めると、早朝から深夜まで仕事に向かっている時間は長いのですが、会議がないので、自然と家族でいる時間は増えてますよ。考えてみれば、これまで、少なくて1日2H、ひどい時は一日中会議なんて時があって、ため息ばかりついていた期間がありました。
ビジネスは時間と決断がすべてと思いますが、これでは、迅速に決断を下すことは到底難しかったのだろうと思います。

では、今こそこれからの人生を無駄のないものにするにはどうすればいいのか?
って考えますが、なかなか難しいことです。無駄をなくす秘訣は、結果を想像する力を養うことでしょうけど、経験のない結果とはなかなか想像できません。逆に想像で物を言う行為の方がギャンブルなのではとさえ思えます。会議会議の日々があってこそ、今を充実できる自分がいる訳ですから。 

幸い、これまでの人生は私の場合すべて肯定です。また、無宗教ですが、人の運命なんか決まっているのかもしれないなーとも思います。
でも、あくまでもチャレンジした場合の運命です。チャレンジしない人はそもそも人として生まれてもったいないですよね。

そんな訳で、余計なことを考えずに今年は、稼ぐということと、家族の時間を大切にする、この2点の中心軸をずらさないように行動すれば、きっと無駄のない時間を過ごせるのではないかと思います。

また、ちょっと この場を借りて懺悔します。
最近行った仕事は自己主張を引っ込めてすぎて、段取りが不細工でした。本当に助けてくれたメンバーの皆様に感謝致します。

2008年02月15日

第6回「人間の能力」

建国記念日の日、NHKで行っていた「平成20年いま大切にしたいものは?」という特番の中で、昭和30年のころの映像を見る機会がありました。そこで印象深かったのは、東京駅の司令室の映像と、電話交換手の映像でした。ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、昭和30年当時で、東京駅は、1日で2000本の列車が乗り入れをしていたそうですが、(現在は4000本)、そのホームへの列車の乗り入れの管理及び乗り入れに関わるポイント切り替えの作業を、司令室より目視で確認し、手動でポイントを切り替える姿でした。
列車の位置を見落とし、ポイント切り替えが遅れれば大惨事でしょうし、そこにはプロとして責任感と、人為的ミスをカバーできる人為による仕組み(ルール作りや体制)が存在したのだと想像できます。
電話交換手は、一列に並んだ何人ものオペレータ(交換手)が、一定のルールの元、手動で電話をつないでいました。
この手動で行った記録から通話料金の積算、請求行為を行っていたのでしょうし、振込み作業も、入金確認もすべて交換手の作業記録情報を元に、人が判断し行っていたはずで、そこには、ミスを起さない体制作りや知恵があったはずです。

私は、昭和30年のシステムに改めて驚き、関心し、そこに人間同士の信頼の存在を感じました。
仮に、現代のビジネスの場において、そのような体制、ルールによる手法をプレゼンしたとして、人間が手動で行うということに信頼感は成立しないと思われます。

でも、人間の能力ってそんなに信頼できないものなのでしょうか。
昔、手塚 治虫 が火の鳥で描いた未来や、映画のターミネーターでは、機械と人間との戦争がテーマにしていましたが、物語は人が人よりも機械を信頼するというこころから社会が間違った方向に向かっていくというストーリーでした。
もしかすると今がその分岐点なのでは、という感じがしませんか?

人間がおろかな選択をしないように我々は、訴え続けなければなりません。
そして、人間ができること、その能力の奥深さを大事にし、人間が行った偉業を未来に伝え続けなければならないと思いますが、いかがでしょうか。

2008年02月22日

第7回「コミュニケーション」

インターネットは、コミュニケーションツールの革命でした。いまや、我々は24時間を通して、オフィシャルな事例から、うわさ話までありとあらゆる情報を受け取り、自由な立場で発信を行うことが可能です。ですが、いや、だからこそ、コミュニケーションって難しいと、感じます。

人間生来もっているのか、生まれ育った環境か、感銘を受けた人物の影響か、また、それを正ととるか負と取るかなど複雑な要因を通じて、その人の価値観が形成されていますので、親子間、兄弟間、夫婦間でも、仕事のパートナートでも、価値観の共有などできるかのようで、実際には実現不可能なことなのだと思います。
それでも、人間はタイミング、タイミングで意気投合し、それこそ、神に選ばれた無二のパートナーなのではないかと、勘違いをしたり、次のタイミングには、親の敵のような激しい憎しみを感じたり、本当に自分勝手な生き物ですよね。

コミュニケーションとは、本来分かり合えないもの同士が、いかに相手の立場に立ち、相手の心地よいツールを選択して成り立たせる努力をするかということですから、一方的に自分の考えを押し付けても成り立たないのだと思います。
また、無理をしてすべての人と上手くやる必要があるわけではないので、そういう努力は、自分が解りあいたい人とだけすればいいのかなと、近頃は思います。

自分の意図が違う形で伝わってしまうことって、不幸なことですが結構ありますよね。発信している側からすれば、「誤解」ってやつですが、この「誤解」っていうのは、相手の価値観のフィルターを通して発生するので、「誤解」されるまで気が付かなかったりします。

そういう思いをすると、「まだ、まだだなー」と反省したふりをしているのですが、結局、自分の価値観を改めるという作業は、ほとんどの人は、行わないと思います。「自分の言い方が悪くて、彼の価値観からは相反した結果誤解されたけど、自分は決して間違っていないと」ほとんどの人は思っているのではないでしょうか。

それでも、人里離れ離島で暮らしていく事ができないのが、人間であり、こんなことを考えながらも解決しないまま年をとっていくのだと思います。

私の息子は、幼稚園児で、社会生活を始めたばかりですが、すでに、我を押し付け合い傷つくということを学び始めています。息子を見て思います。
負けるな俺!もっと上手くやれよ!40年も生きているのだから!

2008年02月29日

第8回「応援団」

就職活動をしている頃、どんな仕事に就きたいかと面接官に答えていたときにはよくわからなかったことですが、これまでの仕事を振り返り、どんな時に自分が充実していたのかと顧みると、ある信念をもった人のサポートをしているときが、一番集中できていて、その人のサポートをできているという実感と自分の価値とのバランスが調和出来た時が、まさに自分が売れていると実感できた瞬間であると最近気が付きました。
いま、ファンサイトという考え方に引かれて、ここにいるのはそんな理由だと思います。

人は、不思議な生物で、他人のやっていることが気になります。
ほっとけばいいのに、人の考え方、価値感をわざわざ自分の事として照らし合わせ、自分では、そうしないとか、あーだ、こーだと意見し、偶には共感し、大抵は、ぶつかり合い傷つけあったりしていますよね。最近は、他人との干渉をなるべく避けていることが楽だと考えている人も多いと思いますが、人の本質は他人にやることが気になるものなのだと思います。
そんな、人の本質をわざわざほじくり出して関わっていくことは、面倒なことでありますが、そこで分かり合えた時には、すばらしい関係が残ります。

サラリーマン時代に、おせっかいな集団になろうと、自分のセクションの仲間に話をしたことがありますが、改めて自分がこれから行っていく姿勢は、おせっかいにこだわるということだと思います。

昨年、大阪に半年いたのですが、まだ、関西の人はおせっかいで素敵な人が多いですね。
私は、No1のものには余り惹かれません。ひねくれているわけではなく、すでに自分で歩いて人は、そうしていけばいいわけで、なにかいいものをもっているのに、2番、3番でに位置している人、チームを応援して、一緒に成長していくことって、なによりもやりがいがあることだと思います。
子供の成長のように、人は、手を貸さなくても歩けるようになっていくのかもしれませんが、初めて立った時、歩いた時、言葉を発した時にそれを隣で応援できた感動と同じようなものがそこにはあるのだと思います。

目指せ。おせっかいな応援団長を!!

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