« 2007年01月 | メイン | 2008年02月 »

2008年01月 アーカイブ

2008年01月17日

第2回「潔さ」

%25E5%25AF%258C%25E5%25A3%25AB%25E5%25B1%25B1.jpg

潔さにという言葉に、どのようなイメージをもたれますか。
昨年会社を退職する際、私の選択を潔いと、特に年配の方から評していただきましたが、なにか違和感がありました。

予想外の出来事に葛藤し、人を恨み、ねたみ、将来に不安を抱き、そしてそのマイナスを一つ一つ肯定していくという作業を経て、表向きには、前向きな決断をしたと思い込んでいる自分がいます。よかったに決まっていると自らに言い聞かせているのですから、ちっとも潔い選択とは思えません。

ふり返ると、20代のころ転職した時には、悩みも葛藤もなく、ただ好きか嫌いか、
その程度のことが判断基準になっており、潔いというこりもむこうみずだった訳です。いまは仕事を得る大変さ、仕事を失う怖さを当時よりは理解している為、葛藤する自分がいるわけです。

潔いとは、後先考えないと言う事ではない。その決断がもたらすあらゆるリスクをすべて受け止める覚悟があるかどうか?ということでしょうか。ただ、本当に起りうるリスクなんて誰にも計れるものではありません。
戦国の武士が、潔く切腹を選択した時でも、死という恐ろしさの本質は、切腹した後に理解するのであるから、切腹するということは死をも恐れない潔さではなく、死という本質を知らない無知さともいえないだろうか。

昨年、偽装工作が発覚した食品会社などの謝罪会見を拝見しました。
マスコミは、偽装が発覚したのだから潔く責任を認めて謝罪するべきだとか発言していましたが、そもそも潔い経営者は、偽装行為のリスクを理解しこのような判断はされないと考えますので、この場合に使われる「潔い=言い訳しない」という図式にも共感はできませんでした。

潔さとは時には、見切り発車を肯定的に表現した言葉とも取れますが、私は潔い判断とは、熟慮した結果の断行と感じますので、この言葉が似合う人と仕事をしていきたいと思いますし、息子にも潔い判断ができる男に成長して欲しいと願います。

2008年01月25日

第3回「信頼」

このブログをなんで発信させていただいているのか改めて考えてみました。それは、今後皆様と私とがビジネスの場で対峙した際に、私という「素の人間性」、「考え方」、「価値観」、「喜怒哀楽のポイント」、「こだわり」を公開することによって、あーこういう人となら仕事をしてもいいかなっという安心感、信頼感を持ってもらう為なのかと思います。もちろん、自分の考えを書きとめているという自己満足の世界の方が大きいのですが、理由を考えるとこうなります。
逆に、こういう人間とはちょっと という印象を与えてしまったのであれば、いくらすばらしいプレゼンをし、契約寸前になったとしても、私とは仕事をしない方が、お互いにいいわけです。(もちろん、ファンサイトの他のメンバーとは相性ぴったりかもしれませんが)

世の中契約社会だということで、なにをするにも契約書を交わし、そこからほんの少しの  されたオプションについても契約内容に入っていないという理由で履行されません。
いまや、プロ野球の世界でも、8回裏、1点リード2アウト2塁3塁、絶対絶命のチームピンチに、1試合1イニング限定という契約を結んでいるリリーフエースは、当番することはないのです。
私は、そんなリリーフエースは、よそへ行ってしまえ というタイプの人間です。
いくら能力がすばらしくても、一緒になにかを作り上げ、共に喜びを分かち合えると感じれない人は、パートナーとは思えません。

とはいっても、日本のビジネス界の重要事項は、「A氏が言っているから大丈夫」とか、「すばらしい内容だが、B氏が言っているから気を付けたほうがいい」という判断基準が重大な決定要素となっており、あいかわらず、辣腕の政治家がいて、カリスマ経営者が君臨していますが、このような現実は理解できてしまいます。

先週と続いてしまいますが、あの有名料亭の経営判断、間違っていますよね。
常連さんの評判でなりたっているような家業に生まれながら信頼という意味に気が付いていないようです。
お客様の声も、身内の従業員の声ももはや届かないのでしょうか。結末が見えているドラマは見る気にもならず、応援することもありえません。
私にとっては、自分の周りにもそのようなことないか、ちゃんと自分が見えているか、いいにくいことを進言してくれる仲間を持っているか と考えてみる機会にはなりました。

子供は、嗅覚で人を判断します。同じような言葉を掛け、同じように接しているつもりでも、子供はきちんと好き嫌いを判断し素直に表現します。
そして、無理をしてそりの合わない連中とはつきあいません。

20年近く前、新卒研修の一環で、美点凝視という言葉を教わりました。
社会にでたらどんないやな人間とも仕事をしなければならないこともある、上司も選べない、であれば、その人の美点を発見し、そこに集中していけば、その人のことを好きになり、仕事も円滑になる。ということでしたが、、今はもっとわがままにパートナーを選んで、心底信頼しあい、一緒に情熱を傾けられる人と共に、時間を費やしていきたいと節に思っています。

この月のコメント

         

最近のトラックバック

ファンサイト