第2回「潔さ」

潔さにという言葉に、どのようなイメージをもたれますか。
昨年会社を退職する際、私の選択を潔いと、特に年配の方から評していただきましたが、なにか違和感がありました。
予想外の出来事に葛藤し、人を恨み、ねたみ、将来に不安を抱き、そしてそのマイナスを一つ一つ肯定していくという作業を経て、表向きには、前向きな決断をしたと思い込んでいる自分がいます。よかったに決まっていると自らに言い聞かせているのですから、ちっとも潔い選択とは思えません。
ふり返ると、20代のころ転職した時には、悩みも葛藤もなく、ただ好きか嫌いか、
その程度のことが判断基準になっており、潔いというこりもむこうみずだった訳です。いまは仕事を得る大変さ、仕事を失う怖さを当時よりは理解している為、葛藤する自分がいるわけです。
潔いとは、後先考えないと言う事ではない。その決断がもたらすあらゆるリスクをすべて受け止める覚悟があるかどうか?ということでしょうか。ただ、本当に起りうるリスクなんて誰にも計れるものではありません。
戦国の武士が、潔く切腹を選択した時でも、死という恐ろしさの本質は、切腹した後に理解するのであるから、切腹するということは死をも恐れない潔さではなく、死という本質を知らない無知さともいえないだろうか。
昨年、偽装工作が発覚した食品会社などの謝罪会見を拝見しました。
マスコミは、偽装が発覚したのだから潔く責任を認めて謝罪するべきだとか発言していましたが、そもそも潔い経営者は、偽装行為のリスクを理解しこのような判断はされないと考えますので、この場合に使われる「潔い=言い訳しない」という図式にも共感はできませんでした。
潔さとは時には、見切り発車を肯定的に表現した言葉とも取れますが、私は潔い判断とは、熟慮した結果の断行と感じますので、この言葉が似合う人と仕事をしていきたいと思いますし、息子にも潔い判断ができる男に成長して欲しいと願います。
