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2010年03月 アーカイブ

2010年03月04日

第372号『映画 インビクタス 負けざる者たち』

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【INVICTUNS】


週末、久々に映画を観た。
クリント・イーストウッド監督作品『インビクタス 負けざる者たち』。
昨年は、「グラン・トリノ」「チェンジリング」と傑作を連発し、その力量の凄みと厚みを改めて感じた。
そして、今作品でもイーストウッド監督の、新たな挑戦を楽しむことができた。

主人公は南アフリカ初の黒人大統領として1994年に就任したネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)。
翌年1995年、奇しくもラグビーワールドカップが南アフリカで開催された。
これまで、黒人のスポーツはサッカー、白人のそれはラグビーである。
まさに、白人支配の象徴、それがグリーンとゴールドのユニフォーム、ラグビーチーム「スプリングボクス」だった。
だから、多くの黒人たちはこのチームが勝つことより、負けることを喜んだ。
しかし、マンデラ大統領はそのことを良しとはしなかった。
積年の恨みを黒人が白人にぶつけることで、国が二分することを恐れたからだ。
そして、このチームを見事、優勝へと導くために、様々な支援策が描かれていく。

この映画は、有り体に言えばスポーツを政治統制に利用したマキャベリズムを描いたものである。
どこか危うげで、胡散臭くなるテーマにも関わらず、むしろ清々しく感じた。

それは、大衆のうちにある永遠の欲望・野心・怨念・失望・不平に火をつけ、それを焚き付けることに成功したレニ・リーフェンシュタール監督によるヒトラーの五輪映画『オリンピア』の対局にあるからだ。
ヒトラーは誰をも信ぜず、死んでも嘘をついてやると決心し、実行した男である。

ネルソン・マンデラは、アパルトヘイト解放を叫び、27年余もの間、牢獄に幽閉されながら、これまで圧殺してきた白人社会への報復による政治を行わなかった。
それよりは、むしろ許すことで、和解することを選んだ。
なぜ、その奇跡が可能になったのか。
それは、自分を信じ、自らの魂の指導者は自らでしかないという、負けざる魂『インビクタス』を持ち続けてきたからである。
奇跡的名人芸の域に達した、クリント・イーストウッド監督ならではの天晴れな作品である。

お知らせ
3月1日、弊社で企画、運営の「andparty」が中央エフエムで取材され、オンエアーされました。
内容はここでご覧いただけます。

2010年03月11日

第373号『「井上有一遺墨展」を観た』

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【井上有一遺墨展ポスター】

みぞれ混じりの雨が降る日、隅田区のリバーサイドホールにて「井上有一遺墨展」を観た。

井上有一(1916年〜1985年)、書家。
海外での評価は日本以上に高い。
特に書法の国、中国での評価は突出している。
ルネッサンス以降の101人を選んだ叢書「世界の名画家全集」でセザンヌ、ヴァン・ゴッポと列び、日本からは井上ただ一人、選ばれている。

この、展覧会のもう1つのタイトルは「三月十日東京大空襲」。

昭和20年3月10日、夜半12時8分、第1弾のナパーム製高性能焼夷弾が投下された。
そして、2時間半にわたり、江東区・墨田区・台東区に波状絨毯爆撃が行われた。
阿鼻叫喚。
あたり一面、火の海となり、人々は火の猛威から逃げまどい、性別もわからないような塊の炭と化すまで焼き尽くされた。
死者10万人、負傷者4万人、被災家屋約27万世帯。
焼失面積41万平方メートル。
虐殺である。

井上自身、65年前のこの日、墨田区の横川国民学校に教員として勤務していて罹災。
構内で1000人余の焼死体の中から奇跡的に救出され、7時間後に蘇生した経験を持つ。
この、仮死体験が井上の人生にとって大きな転機となった。

展示された「噫横川国民学校」は東京大空襲の日から“三十三回忌”の年に書したものである。
その、書の前に立つ。
まるごと原体験をたたきつけるような筆致から、唸るように激しい怒りと哀しみが、生のまま伝わってきた。
文字は、怨念をも伝えるうるものなのか。

会場を出ると、みぞれがさらに激しく降ってきた。
65年前、みぞれではなくナパーム弾が降り、全てが焼くつくされた街を想像してみた。
いま街は、その痕跡すら見つけることが難しい。
しかし、いやむしろ、街から全土に、心の焼け野原が広がり続いているように感じた。

2010年03月18日

第374号『「風邪の効用」再読』

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【木蓮の花】


先週、金曜日知人の退職祝いの席で、なんとなく体の怠さを感じた。
そして間もなく、悪寒が走る。
この時、確かに風邪菌が体内に入ったと感じた。
2次会には出ず、帰宅し床に就いた。

久しぶりに、土日と予定もなく、まるまる時間が空いた。
さて、何をしようかなと考えていた矢先であった。
まるで、予定していたかのごとく、決まってこんな時に風邪はやってくる。

前回、風邪をひいたのは、2007年の9月だったから、2年6ヶ月ぶりということになる。
今回の風邪は、熱こそあまり出ないが、喉の痛みと鼻水、そして咳が断続的に襲ってくる。
鼻が詰まる、耳も遠くなる。
ボーとした思考停止状態になり、まことに不愉快この上ない。
しかし、どんなに薬を飲もうが注射を打とうが、ある時間を経ない限り、風邪は治らない。
だから、風邪という病気はそういうものだと諦め、ジタバタせず、じっと過ぎて行くのを待つことにしている。
そして、風邪が過ぎ去ると、なんだかスッキリとし身体が軽くなったような気分にさえなる。
毒素が抜けたのかもしれない、と思えるほどにである。

風邪の最中、野口晴哉著「風邪の効用」を再読した。
まさしく、感じていたことを再発見し、我が意を得た。

曰く。
「風邪は偏り運動修正や潜在的偏り疲労の調整を行っていることは事実である。(中略)体を正し、生活を改め、経過を待つべきである。このようにすれば、風邪が体の掃除になり、安全弁としてのはたらきをもっていることがわかるだろう。」

2年半もの間に溜まった毒素が、いま、体の中で暴風雨のように荒れ狂っているのだろう。
でも、間もなく風邪の暴風雨も過ぎ去り、かならずや日は差す。
春は、すぐそこまで来ている。

2010年03月25日

第375号『仲間づくり』

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【遊び道具のある風景】

小さな規模ではあるが、SNSを1つ運営している。
お料理と、おもてなしやパーティが大好きな人たちが集まるコミュニティサイトである。
もともと、お料理研究家の友人を応援しようと、妻と相談し、始めたものだ。

先日、このサイトに集まった仲間と、パーティを企画した。
60人の募集に、70人以上もの参加を頂いた。
会場に集まった方々の多くは、このサイトを通して繋がった人たちだ。

「ツイッター」や動画サイトなど、ネット上のユーザー参加型メディアから、実際にコンサートが開催されたり、商品が売れたり、といった消費が生まれてきている。
さらに、ホンダが運営するミクシィアプリ「Ole!Ole!CR-Z」がユーザー数60万を超え、ミクシィアプリ全体で9位にランキングされたという。

これらの事例をもってして、ソーシャルアプリがPRとして活用できることが証明されたというのは、早計かもしれない。
しかし、人が集まり、熱が伝搬し、流通が起きていることは事実である。

お金もメディアも、欲しいモノや欲しい情報を手に入れるために使うだけではなく、人とつながり、誰かの想いを応援するために使うこともできる。
誰かの手助けができることは、うれしいことである。
それは、これまで多くの人に助けられて、今がある自分を素直に再確認できるからだ。

ネットとリアルを分けること自体、もはや意味のない議論ではないかと思えてくるほどに、ツールが充実し、仲間との場作りが容易になってきた。
だからこそ、どんな仲間と何をするか。
その中味が、ますます問われているのだ。

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