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2009年10月 アーカイブ

2009年10月01日

第351号『上質さということ』

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【スタイリッシュ・ダイニング】

昨春から、ほぼ毎月一回のペースで「スタイリッシュ・ ダイニング」という料理教室付きパーティを浜町にある、ファンサイトのアトリエで開いている。

ある日、古くからの友人で料理研究家の“らーぷ”料理研究家の“らーぷこと、鈴木直美さんがアトリエに遊びに来たた。
お料理とパーティを重ね合わせたようなことがしたい、と。
僕も妻もぜひとも協力したいと申し出た。
一気に話しがまとまった。

ネーミングをどうするか。
あれこれと話し、“らーぷ”から、「スタイリッシュ・ダイニング」という素敵なタイトル名が出た。
いいじゃないか、これでいこう。
早速準備をし、第1回目の開催は2008年3月1日(土)。参加者総勢15名。
「スタイリッシュ・ダイニング」がこの日スタートした。

この会は、“らーぷ”がタイ料理からヒント得た創作料理のレシピを紹介しながら、数品作り方を紹介する。
その後、“らーぷ”が人数分の料理を出し、飲みながら参加者と歓談するというパーティスタイルである。

それにしても、毎回驚くのは、ほとんどの参加者がネットでこの会を知り、参加している方々なのだ。
軽井沢や北海道からわざわざこの会のために参加される方もいる。
しかも、その質の高さにも目を見張る。
それぞれが、本当に楽しんで過ごしていることが、参加していて良く伝わる。
ネットにまつわる、善からぬ言説が流布するなかで、この事実をどう捕らえたらいいのだろうか。

決して、高級さを追い求めている会でもない。
それでも、ある種の上質さを感じるのはなぜか。

上質なことと高級さとは必ずしもイコールではない。
上質とは本来、自分が選ぶものであり、発明や発見の類いと同じものである。
つまり、上質さを見つけ出すことは、自分の暮らしを豊かにする方法を発見する、あるいは発明することなのだ。

先週の土曜日、15回を迎えた「スタイリッシュ・ダイニング」には、これまで最高の35名もの方々の参加をいただいた。

2009年10月08日

第352号『朗読会』

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【ペンキが剥げ、下地の板塀が】

7月の最後の日、朗読会に参加した。
友人で、現在、オライリージャパンの編集長でもある伊藤篤さんから誘われた。
彼とは10数年来の付き合いで、且つファンサイト理論をともに作った盟友でもある。

「朗読会に参加して」との誘いに、僕は「ロウドク?」と再度聞き直した。
「好きな文章を声に出して読むのだ」と、彼は答えた。
なんとなく興味が湧いた。
そして、参加することを承知した。

場所は、乃木坂の路地裏にある「よしだ屋珈琲店」
マスターの淹れる旨い珈琲、そして奥様のさりげない気配りがいい。
椅子に座り回りを見渡すと、そこには昔ながらの喫茶店が醸し出す、ゆったりとした時が流れていた。
それが、なんとも居心地のよい場所に仕立ている。

さて、当日「よしだ屋珈琲店」には朗読者が4名と聞き手が4名。
主催者の伊藤氏、伊藤氏のお知り合いで翻訳家のiwashiさんと夏目さん、僕。
そして、ひとり一人が前に出て朗読する会が静かに始まった。

トップバッターはiwashiさん。
「世界をくつがえす呪文を求めて」(穂村弘 著『短歌という爆弾』より)
「無題」(サム・シェパード著、畑中佳樹 訳『モーテル・クロニクルズ』より) 
「今朝」(レイモンド・カーヴァー著、村上春樹 訳『ウルトラマリン』より)

次の夏目大さんは。
『注文の多い料理店 序』
『注文の多い料理店』(いずれも宮沢賢治 著) 

伊藤氏は。
「タンポポのサラダ」
「イワシについて」
「冷ヤッコを食べながら」(いずれも長田弘 著)
「ボブ・ディランのコンサート」(長田弘 著『一人称で語る権利』より)

僕は、津軽の方言で詩を創作している高木恭三 著『まるめろ』から「冬の月」「風ネ逆らる旗」「風ネ逆らる旗」の三編を選び、朗読した。

目で追いながらの黙読とは、まるで違うと感じた。
なんと例えればいいのだろう?

そう、例えばワインのコルクを抜いてグラスに注ぐ。
直ぐ口に含むと、直裁的なツーンとしたアルコールの刺激を感じる。
でも、少し時間を置き、空気に触れさせることで、まろやかで豊かな香りと味が目を覚ます。
まるでワインが空気に触れたように、言葉が書物から解き放たれ豊潤なコトバとして身体に入り込んでくるようだ。

これは、思っていた以上に楽しい。
楽しさとは、新しさのことでもある。
それは、なによりも自分自身に、たくさんの発見と変化を与えてくれるからだ。
10月8日木曜日、2回目の朗読会
今晩は郷土の詩人「寺山修司」を読む。

2009年10月16日

第353号『師匠を持つということ』

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【ヴィヨンの妻】

根岸吉太郎監督作品、映画「ヴィヨンの妻」を観た。
脚本、役者、撮影、照明、録音、美術、衣装、編集・・・
その全てにおいて、目配りが行き届いている。
これは、偶然ではない。

30年以上前のことである。
日本映画はTVとハリウッド映画に圧倒され、衰退の極みだった。
東宝、東映、松竹、日活、大映。
日本映画の大手5社の多くはその惨状から逃れることが出来ない状況だった。
当然、経営状態も、目を覆うばかりの惨憺たるものであった。
その中でも、特にひどかったのが日活と大映だった。

こうした中で日活は、生き残るための苦肉の策として、本編といわれた、これまでの石原祐次郎や小林旭を主役に立てての、青春映画路線踏襲を止め、エロ映画路線へと変貌した。
このエロ映画群が、後に「日活ロマンポルノ」と呼ばれる。
上映時間120分以内、セックスシーン最低3回、さらに製作日数、製作費などが決められていたがその他は自由。
いわゆる、プログラムピクチャーといわれる製作スタイルであった。
監督は藤田敏八、西村昭五郎、曽根中生、柛代辰巳、田中登、長谷部安春・・・。
当時無名だった助監督集団に森田芳光、相米慎二、池田敏春、中原俊、那須博之、そして根岸吉太郎らがいた。
彼らは皆、映画の作法を師匠から学ぶ仕組みの内で育った人たちである。
勿論、そうした意味では藤田敏八、曽根中生、柛代辰巳らの師匠には、今村昌平、西河克己、浦山桐郎、鈴木清順、熊井啓などがいた。
いま、この連鎖の仕組みはない。

近年、映画作りで、映画監督の多くは、TVのコマーシャルフィルムや、ぴあの主催する映画コンペティション、TV制作会社からデビューしている。
それも、個々の才を闘わす活気があってなかなか良い試みだと思う。

しかし、映画という熟達した職人集団の中で映画の作法を学ぶことの意味は決して小さくなかったのではないか。
なによりも、日本映画という文化を引き継いでいくことにおいて。

「師匠であることの条件」とは「師匠を持っている」ことだと、聞いたことがある。
つまり、監督それぞれの個性は失わずに、しかしながら、自我としてのみ自己完結することのない作品作りこそが名作を生むのではないか。

2009年10月22日

第354号『谷中散歩』

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【夕焼けだんだん】

秋晴れの昼下がり、妻と古くからの町並みが残る下町、台東区の谷中に出かけた。
いままで、行きたいと思いながら行けずにいた街だ。
この日、友人のYさんとそのお友だちの計5名での散策である。

午後二時、地下鉄三田線白山駅の傍にある小さな公園からスタートした。
古くからの民家が軒を連ね、そしてお寺も多い。
その中に、小さなギャラリーやお店がぽつぽつと点在している。
立ち止まっては、ギャラリーで作品を鑑賞し、次にお店を覗く。
こうして、ぽかぽかとした日差しの中、キョロキョロしながら、のんびりと歩く。

当り前のことだけど、急がずに歩くのは気持ちがよい。
こんな気分になるのは、久しぶりだ。
ともすると、自分の気持ちや行動が、人よりも先へ先へと進み、知らないうちに相手を置き去りにしてしまうことがしばしばある。

なぜ、そんなに急ぐのか。
自省を込めて言えば、相手に対しての思いやりに欠け、自分のペースになってしまうから。
言い訳であるが、慣れがそうさせる。
さらに、都市生活者の習いということもある。
都市化するとは、何かを移動する時間の短縮と凝縮の結果ということである。
より速く効率的に出来ることにこそ価値がある、と。
普段の緩やかな時間を限りなく約め、便利さを求める。
こうして、スピードが加速し、非日常という時間によって支配される。

気が付けば、空は夕焼けに染まり、商店街は夕餉の支度に買い物をする人々の活気であふれている。
谷中は、東京という巨大な都市の中にポッコリと空いた窪みのような場所に思えた。
そして、この界隈には日常という緩やかな時間がたしかに流れていた。

2009年10月29日

第355号『旅へ』

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【Bon Voyage】

ここ2週間ほど、ツアーサービスを展開するJ社のファンサイト制作ため取材を続けている。
対象は50歳以上の十数名。
ツアーを体験した方々にインタビューした。

口々に「楽しかった」「美しかった」「美味しかった」「感動した」といった、言葉にすれば凡庸で通俗的な体験談で埋め尽くされた。
しかし、不思議なことに、この方々の体験談を聞いていて、徐々に自分もそのツアーに参加したくなった。
彼らの感性と心情が発露した言葉として響いてきたからだ。

さらにもう一つ、納得させられたことがある。
“行動を決断した”という事実に対する確固とした自信。
それは、体験者の方々に共通していることでもあった。
では、自信を生んだ決断とはどんなものだったのか。

それは、つまりヤルかヤラナイか、YesかNoか、と言えば、ヤル、であり、Yes、である。
ヤラナイ、Noと答えれば、ただ元の地点に戻るだけのことである。
一方、ヤル、Yesと答えれば、次のヤルかヤラナイか、YesかNoか、へと移行する。
当然ながら再び、行動への決断が問われる。
こうして、幾つものYesを積み重ねた結果としての「楽しかった」「美しかった」「美味しかった」「感動した」という言葉なのだ。

論理が感性を追い払っている時代である。
小林秀雄は、『無情といふ事』のなかで言及している。
「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ」と。

一知半解の徒を自省しつつ、動じない美しさに出会う旅がしたくなった。

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