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2009年04月 アーカイブ

2009年04月02日

第326号『十五の君から』

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【つぼみの頃】

アンジェラ・アキの『手紙〜拝啓 十五の君へ〜』を聴いて、ふと思い出したことがある。

将来、どうしてもデザインの仕事がしたい。
高校2年の夏、桑澤デザイン研究所の夏期講習会に参加するため上京した。
この間、出版社に勤めていた従兄弟のアドバイスもあり、講習会の合間を縫ってトヨタ・資生堂・キリンなどの広報室を訪ね、ポスターを集めた。
今では考えられないが、田舎の高校生が一流企業の広報を訪ね歩ける時代だった。
東京に滞在した3週間で、100枚ほどのポスターを集めた。
そのポスターをみんなに見せたいと思った。

弘前に戻り、『ポスター展』をやりたいとデパートの祭事担当者に掛け合った。
そして、あっさりとOKがでた。
そればかりか、ラッキーにもお金まで頂いた。
仲間を集め、徹夜で展示した。
この『ポスター展』が取材され、地元新聞の小さなコラムに写真付きで載った。

40代のある時期、勤め先を何回か転職した。
けっして、仕事が嫌いなわけじゃないし、手を抜いているわけでもなかった。
でも、なんだか上手くいかず悩んでいた。
デザインの仕事が合っていないのではないか、とも思いはじめていた。

そんな時、たまたま友人の結婚式で帰省した。
翌日、帰り支度をしていると父が後ろに立っていた。
黙って、丁寧に折り畳まれた古い新聞紙を手渡してくれた。
広げると、マジックで小さなコラムが囲まれている。
そこには、『ポスター展』を準備している高校生の僕と、僕のメッセージがあった。

二十数年も前の、しかも自分自身も忘れていたような記事。
高校生の僕が何を目指していたかを、もう一度みつめ直すことができた。
読みながら、自分自身を信じてあげられなかった悔しさと、父への感謝の気持ちで肩が震えた。

「負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
 誰の言葉を信じて歩けばいいの?
 ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
 自分の声を信じて歩けばいいの」
               アンジェラ・アキ『手紙〜拝啓 十五の君へ〜』より

いま、僕は仲間と自分を信じ、歩いている。
4月、ファンサイトは8回目の創立記念日を迎える。

お知らせ
来週4月10日(金)「恒例!ファンサイト創立記念観桜会」を開催します。
場所:浜町公園(都営新宿線 浜町駅徒歩30秒)
時間:夕方より(川村は4時ころから場所を確保するため、桜の木の下で飲んでます。)

2009年04月09日

第327号『一所懸命』

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【さくらさく】

先日、母の三回忌で郷里に帰省した。
青森空港に降り立つと、空気が刺すように冷たい。
見れば、あちらこちらに残雪があり、3月下旬とはいえ、まだまだ春遠しである。
17歳で上京、すでに東京で生活している時間の方が遥かに長く、身体も寒さの記憶を無くしたようだ。

用事が済み、戻る日は辛い。
東京で働くということは、親と時間の隔たりを持つ。
何かあってもすぐには戻れないのだから。
いま、義妹に高齢な父の介護を委ねている。
後ろめたい気持ちと、元気でいて欲しいとの願いが、ない交ぜになる。

でも、その気持ちとは裏腹に、東京に戻ることの安堵も感じる。
これで、仕事場に戻れると言いながら、こころのどこかに、介護という面倒なことから退かれているだけのことではなのか、と自分に問う。
答えの出ない思いがグルグルと頭のなかを駆け巡る。

考えてみれば、いつのころからか津軽には「帰る」といい、郷里から東京へは「戻る」と言っている自分に気がついた。
同じ意味ではあるが、なんとなく「戻る」という言い方が、より生活の基盤を感じる。

青森—羽田空港間、1時間20分。
たそがれ時の羽田空港帰着が好きだ。
宵闇の羽田上空、着陸態勢がアナウンスされると、まもなく地上の誘導灯の明かりが見え始める。
東京。
ここが、いま僕の生きる街だとの思いが、ひしひしと湧いてくる。
そして「ここで踏ん張ることが、親孝行でもあるのだ」とつぶやいてみた。

お知らせです。
予定通り、本日お花見やりまーす。
皆様、ご参加ください。
本日、4月10日(金)「恒例!ファンサイト創立記念観桜会」を開催します。
場所:浜町公園(都営新宿線 浜町駅徒歩30秒)
時間:夕方より(川村は4時ころから場所を確保するため、桜の木の下で飲んでます。)

2009年04月16日

第328号『モチベーション』

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【クレーン】

就職活動の人事面接でひとりの学生が質問した。
「御社は、私の能力をどのように育ててくれるのでしょうか。」
大手流通企業に務める知人から聞いた、嘘のような本当の話しである。
その知人が、続けてこうも言った。
最近、若手社員の「モチベーション」をいかに上げるかが、当面の課題なんだ、と。
学生の話しにも驚いたが、若手社員のほうが問題の根は深い。

「モチベーション」(動機付け)を上げる。
この言葉に抵抗を感じた。
本来、「モチベーション」とは、上げるものなのか。

仕事を進めるということは、目的を共有していることが前提である。
例えば、1つのプロジェクト遂行のために、チームとして集まるということは、その動機付けも明確でなければならない。
もし、仮にモチベーションを上げなければならない社員がいたとすれば、そのプロジェクトを遂行するリーダーの情報伝達不足ということは考えられる。
しかし、それ以外は、その社員がプロジェクトに加わること自体に誤りがある。

なぜならば、そのプロジェクトに加わることの意義を見つけ出し、自分の能力を十分に発揮することこそが仕事のおもしろさでもあるからだ。

そのためには、どうするか?
言い旧されたことではあるが、自らの頭で考え行動する力が必要なのだ。

2009年04月23日

第329号『走るということ』

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【号砲を待つランナーたち】

来月5月31日、恒例の山中湖ロードレースに出場する。
かれこれ二十数年になるが、年に数回レースに参加している。
だが、いま、走れない日が続いている。

先月、右足の人差し指をちょっとしたアクシデントで打撲した。
しばらく、靴も履けないほどに腫れ上がった。
一ヶ月も経ち、さすがに腫れはひいてきたが、強く踏み出すと、いまだに少し痛みを感じる。
それでも、徐々に散歩の距離をのばしている。
来週からは軽くジョギングをいれたトレーニングをしたいと思っている。
なぜ、かくも走ることに拘っているのか。

村上春樹著『走ることについて語るときに僕の語ること』は、ランナーの内省を露にした名著である。
マラソンを完走するということは、本を一冊書けるほどに自己言及的であり、日常を超えた瞬間が迎えられる体験でもある。
しかし、それが英雄的な行動であるかといえば、特段そうでもない。

とりわけ、市民マラソンは極めてありふれた平凡な物語である。
それが証拠に、雨や風など、かなり過酷な天候であれ、ランナーのほとんどがゴールに辿り着き、その日のレースをハッピーエンドで終える。

しかし、普段、平凡な日常を送る人が、完走することで確実に非日常的な瞬間を迎えることができるのも事実だ。
つまり、それは「自分を褒めてやりたい」という単純な言葉ではあるが、個人的な自己承認の体験であり、自らの歩んできた人生の追認の場でもあるからだ。

ともあれ、小さな自己満足に浸りながら、走り終えた後、ビールを飲む至福の時は近い。(笑)
まずはあせらず、ゆっくりと走りはじめてみることにする。

2009年04月30日

第330号『グラン・トリノ』

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【支えてきたもの】

クリント・イーストウッド監督主演『グラン・トリノ』を観た。

タイトルにもなったグラン・トリノは、アメ車全盛時代の72年にラインナップされたフォードのマッスルカーだ。
熟練した技術を持つ男たちの“ものづくり”のパワーが漂い、アメリカの礎となった時代の象徴として〈アメリカの魂〉と称される名車だ。

主人公、ウォルト・コワルスキーは元フォード社の組立工として、この名車の組立てに関わり、自らもこのビンテージカーを1台所有している70代の頑固な老人である。
ベランダの椅子に腰掛けタバコを燻らせ、ビールを飲みながらピカピカに磨きあげたグラン・トリノを眺めるのが至福の時だ。

これまで、それなりに頑張ってきた。
朝鮮戦争ではアメリカ国の名誉を守るために従軍し、アメリカ産業の象徴でもあった車づくりを職業とし、家族と家と地域を守ってきた。
しかし、いま、目の前に広がる風景や出来事はあまりに無惨なものでしかない。
妻の葬儀でヘソだしの衣装で参列している孫娘も、トヨタ車のセールスで好調に稼いでいる息子も、近所に多く住むアジア系移民も、その、なにもかもが気に食わない。

しかし、ある小さな出来事から隣に引っ越してきたモン族(東南アジアに分布する民族でベトナム戦争時、アメリカに亡命した移民)の若者タオ、その姉スーと次第に親しくなる。
あからさまに人種偏見を口にする頑迷なままの老人が、しだいに変化していく様がなんとも心地良い。
そして、タオとスーが同じモン族の不良によって窮地に追いやられたとき、老人の用意した答えは・・・。

周囲数キロ内で起きた小さな出来事、その積み重ねの中に、アメリカがいま抱える問題の全てがある。
クリント・イーストウッド監督は、この『グラン・トリノ』で、きわめて小さな物語から大きな感動を紡ぎ出すことに成功している。
間違いなく、今年度、屈指の一本だ。

映画を観終わって、ふと黒澤監督の『生きる』が脳裏に浮かんだ。

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