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2008年11月 アーカイブ

2008年11月06日

第308号『出し惜しみ無しの法則』

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【垂れ込めた雲】

青森県つがる市は津軽平野のほぼ真ん中に位置する本州北端の市である。
木造町、柏村、森田村、車力村、稲垣村と1町4村の合併、いわゆる平成の大合併によって誕生した。
今回、つがる市商工会主催の「経営革新塾」という勉強会の講師としてお声掛けいただいた。

講義は午後6時から。
水曜日、午前9時、アトリエのある浜町から東京駅へ。
東京駅から9時56分発、東北新幹線「はやて13号」で八戸駅まで。
ここから弘前行き「特急つがる13号」に乗り換える。
弘前駅に到着するころには、どんよりとした雨雲が空を覆っていた。
弘前駅で、目的地、五能線木造駅行きへの乗り継ぎを待つ。
待つこと1時間、3両連結のディーゼル車、「しらがみ6号」に乗車する。
車窓からは、リンゴの木々と垂れ込めた雲の先に泰然と山裾をひろげる岩木山が見える。

16時54分、8時間をかけてようやく木造駅に到着した。
駅から車で、シャッターの降りた商店街を行き過ぎ、会場へ移動。
「この街も人口が減り、老人ばかりが目に付くようになりました」と、商工会のご担当の方から話しを伺う。

5時半を過ぎたころから、受講される方々が次々と会場に集まってきた。
夕方、仕事を終えてからの参加であるが、ほぼ会場は満席。

この日のテーマは「中小企業のウェブの戦略と活用法」。

感心の度合いの高いことが、参加者ひとり一人から伝わる。
なんとか、自分たちが生まれ育ったこの地で生きていくためのヒントになるものがないか、と。

受講生の方々に何をどんなカタチでお伝えするかと考えた。
まずは、したくないことを考えてみた。
知ったかぶりで要領の良い講義にならないようにと、心がけた。

僕にできることは、ただ1つ。
「出し惜しみ無しの法則」に従うことだ。

「出せば,出すほど次々とアイディアが出てくる、そして、やりたいことがどんどん湧いてくる」これが「出し惜しみ無しの法則」だ。
だから、出し惜しみをせず、いままで経験したことをわかり易くドンドン発露することである。
そして、これが、垂れ込めた雲のような気分を吹き飛ばす方法でもあるのだ。

2008年11月13日

第309号『共感(empathy)』

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【記憶の中の光】

例えば、食べたことのないものや、訪れた場所の印象を人に伝える時、どう言えば良いのだろうか。
「上手く言えないのだが」「筆舌につくしがたい」「言葉にできないが」こうした言い回しもある。
しかし、これでは何も伝わらない。
いや、むしろ他者との間に溝を作り、情報を共有することを拒んでいるともとれる。

では、どうするか。
僕はしばしば記憶の中にある、「共感」を利用する。

「共感(empathy)」とは、他者の感覚、考え、体験などを、気が付いたり、感じとったり、擬似的に追体験することで生まれる。
その時、記憶は何かを思い出すためだけではなく、目の前に現れた様々な事柄を、理解するための道具として使われる。
なぜなら、人は自らが保有している記憶で肉付けしながら、与えれた情報を解釈しているからだ。
ゆえに、こちらから何か情報を伝える時には、その情報をより分かりやすく、豊かなものにするためにも、受け手の頭の中にすでにある記憶を呼び覚まさなければならない。

世界は言葉に出来ないことで溢れている。
それでも、できるだけそれに近づき、そして、その中にある事柄をすくいあげてみたい。
たとえ、それが稚拙な言葉であったとしても懸命に探す。
少なくとも、その努力を惜しまないようにと肝に銘じている。

僕はモネの絵が好きだ。
MOMAで、ブリヂストン美術館で何度となく観た。
でも、その美しさが何に由来するのかわからなかった。

ある時ふと思った。
晩年、自宅の池に浮かぶ「睡蓮」を描き続けたというモネについて。
絵の中にあるのは、移ろい行くものの、その一瞬を記憶に留めてみたいという意志と、永遠という時間を手に入れたいと願う画家の想いではなかったか、と。

僕は、老いることの意味と、モネについてほんの少しだけ語れるような気がした。


2008年11月20日

第310回『嫉妬』

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【車内にて】

久しぶりに週末、友人と食事をした。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、終電ぎりぎりの電車に乗った。
車両はほぼ満員。
しばらくして、なんだか居心地が悪い。
理由は満員ということだけでなく、なんとなく周囲から苛立ちのようなものを感じた。
理由もなく、殺傷事件に巻き込まれることが特別なことではなくなって久しい。
少し不安を感じたが何事もなく帰宅できた。

ふと思った、あの不安と苛立ちはなんだったのだろう。

米国の投資アドバイザーでもある、ウィリアム・バースタイン著「『豊かさ』の誕生」(日本経済新聞社)によれば、所得格差が限界を超えると、平均的な市民の幸福感が損なわれ、人々は社会の一員であるという気持ちを失ってしまうと、言及している。
例えば、20世紀初め、最も豊かな国の1つだったアルゼンチンの没落も、貧富の差の拡大がその原因といわれている。

幸福感の欠落と反社会的な萌芽。
格差は嫉妬を生み、不安と苛立ちを醸成する。

人が嫉妬を感じるとはどういうことか。
自分を脅かしているのは、相手に刺激された自分の感情である。
したがって、焦りや不安を払いのけるために、その原因を作った人や事柄を否定し、拒否しようとする。
その結果が、数々の理不尽な事件の要因になっているのではないか。

事件になるようなことはないまでも、嫉妬心から隣人との関係がぎくしゃくすることは稀ではない。
僕にも、誰にでも、普通に起こりうることだと思う。
ではそんな時はどうするか。

立ち止まって深呼吸をしてみる。
そして、自分に聞いてみる。
なぜ焦るの?
何が不安なの?と。

人に嫉妬する時、それは自分に足りないものや、必要なものに気がつくチャンスでもある。
嫉妬は自分を成長させるバネにすることもできるのだ。

2008年11月27日

第311号『作法と躾け』

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【セッティングされたテーブル】

夕方、食事をしようと日本料理店に入った。
あいにく席が一杯だったので相席となる。
相席の客は30代前後の女性二人組。

注文をし、料理を待つ。
見るともなく、向かいに座る女性たちの動作が目に入る。
その一人が、野菜の煮物を箸で切り分けようとしているが、固いのか、なかなか切れない。
やおら、煮物を持ち上げ口でちぎった。

「もぎ箸」。
これは箸で料理をもぎ取るという、タブーの1つである。
女性は致し方なく、潔く豪快に作法を犯したのであろう。

この店の料理人の力量が気になった。
本来、日本料理は箸で一口サイズにしてから口に運ぶのが作法の基本。
そのため隠し包丁という、見た目は切れていないが箸で簡単に切れるよう、予め料理の裏に切り込みを入れておく。
こうした客に対する配慮が、料理人の技であり力である。

たった2本の棒で、つまむ、切る、運ぶ、押さえるなど多様な役目を担う箸という道具。
とんとん箸、にぎり箸、寄せ箸、移り箸、迷い箸、押込み箸、重ね箸、刺し箸、なみだ箸、さぐり箸、なめ箸、振り上げ箸、もぎ箸。
これほど、箸のタブーはある。
自分でも気付かないうちにマナー違反をしていることが多々ある。
例えば、箸で器を引き寄せる「寄せ箸」は食器もテーブルも傷つけることになる。

作法とは何だろう。
それは、さりげない他人に対する思いやりの心や、食材、食器への気遣いから生まれたしぐさである。
そして、作法を守ることは美しい所作を生む。

つまり、美しい身を得るために躾けがあるのだ。

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