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2008年05月 アーカイブ

2008年05月08日

第283号『行動×思考=結果』

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【揺らめく光】

スポーツとビジネスは似ている。
なぜなら、そのどちらもが、結果を求めてプロセスを遂行するからだ。

中学、高校と部活はバレーボールだった。
中学2年のとき、補欠だったがアタッカーになった。
当時としては少し身長があったことと、人より少しジャンプ力が勝っていたからだ。
僕らの中学は、その地域ではそこそこには強いチームだったが、大概良くて準決勝止まりだった。

中学3年のとき、監督が変わった。
それまでの練習量が多いだけの内容から、フォーメーションを考えて動く練習に変わった。
それと同時に、成績も、学年である一定の水準に達しなければレギュラーになれなくなった。
そして、僕はアタッカーからセッターにポジションを変えさせられた。

このままいけば、花形のポジションであるアタッカーになれると思っていたのに、なんでこんな地味な裏方役のセッターにならなければいけないのかと、監督を恨んだ。
さらに、ミスに関しては徹底的に叱咤され、その理由を言葉で説明させられた。
よく怒られ、そして殴られた。(勿論、恩師の愛をもってである。)

ともあれ、こうして練習を重ねたことで地区予選を勝ち抜き、県大会では敗れたものの決勝戦まで勝ち残れるチームに成長した。
余談だが、その数年後、僕らの中学の後輩たちの数名が進んだ地元の高校が、春の高校バレーボール全国大会を制覇した。
それは山田先生の指導の賜物だったと確信している。

恩師の山田先生に言われた言葉を思い出す。
「カワムラ、結果は行動と思考のかけ算だ。」
行動が5で、思考が1なら結果は5。
その逆に思考が5で、行動が1でも結果は5。
行動と思考が、5×5になったとき結果は大きな成果を生むのだ、と。

2008年05月16日

第284号『デザインという物語』

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【伸びる若葉】

僕にとって5月は、出会いの月だ。
なぜか、5月に出会った方々とは長いお付き合いになる。

師、柏木博先生との出会いも5月だった。
浪人生として上京し、東京には慣れたが予備校にも行かずブラブラと一日を過ごしていた。
ある日、高校時代の同級生が遊びに来て泊った。
翌朝、物見遊山に友人が通う美術学校に同行し、もぐりの学生として授業に出席した。
そこで、柏木先生と初めてお会いした。
その授業をいまでも鮮明に覚えている。

先生は黒板にするすると50年代のアメ車、クライスラーかフォード車のようなフォルムを描いた。
後尾が飛行機の尾翼に似た、いわゆる流線型の絵だ。
そして、柔らかな語り口で講義が始まった。

「この尾翼が付いてもこの車は300キロのスピードも出ないし、飛びもしない。でも、この車は尾翼に似たデザインとしての「記号」が付いたことによってスピードという「意味」を獲得することができたのだ。」

つまり、デザインとは「記号」によって「意味」という物語を創ることだ。と。

僕は、ゾクゾクした。
なんだかよくわからないけれどなにかが心に響いた。
兎も角「そうか、たしかにそうだ」と腑に落ちた。
だけど、その時はどこがどう腑に落ちたかをはっきりと言うことができなかった。

あれから30数年、僕は「そうか、たしかにそうだ」と腑には落ちたけれど、はっきりと言うことができなかったデザインという「意味」を追ってここまできた。

そして来春。
柏木先生の薦めもあり、お茶の水にある専門学校で講師をすることになった。
先生とご一緒に僕の僅かな経験を通して、デザインという「記号」によって「意味」を物語ることのできる語り部を育ててみたい。

2008年05月22日

第285号『もちがつお』

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【ブランドの館】

先週の日曜日、和歌山に初めて出掛けた。

和歌山県南紀白浜エリア、商工会連合会主催の経営セミナーに、講師として参加させていただいた。
前日の夕方、羽田からの便で、このセミナーのコーディネートとカリキュラムプランをまとめている、ジャイロ総合コンサルティング社代表取締役、大木ヒロシ代表とご一緒した。

陸路では大阪からも名古屋からも時間がかかるが、空路でなら、わずか1時間。
海上に浮かぶ空母のような南紀白浜空港に到着した。
ホテルに荷物を預け、紹介してもらった地元の料理屋で夕食を摂る。
6時を少し回った時間であったが、店内はお客様で一杯だ。

早速、新鮮な魚介類を注文する。
どれをとっても申し分のない品々であるが、とりわけトコブシのバター焼きが美味い。
そして、地元田辺湾で夕方に獲れたかつおだけに命名される「もちがつお」という大分県豊後水道の関さば、関あじのようなブランド魚をいただいた。
聞けば、獲れる場所、時間など厳しい基準を課し、その基準をクリアしたものだけがこの「もちがつお」というブランドを名乗れるとのこと。

ブランドとは何か?
例えば、ルイ・ヴィトンのバッグは、古い年代のものであっても修理できる体制と部品を整備している。
そして、どんなことがあっても安売りはしない、という約束を守り続けたからこそ、ブランドに成り得たのだ。
つまり、ブランドとは、お客様と自らが決めた約束をいかなることがあっても守ることによってしか築かれない。

熊野三山という地酒とともに、「もちがつお」をわさび醤油でいただく。
名前の通り、モチモチとした食感でありながら、適度に身がしまっている。
なるほど、旨い。
でもただ旨いだけではない。
それは、グルメでもない僕にもブランドを目指すだけの特徴のある品だということはわかる。

さて、この「もちがつお」がブランドとして成長するためには、なにが必要なのか。
そんなことを考えながら、最後の一切れに手がのびた。

2008年05月29日

第286号『余分』

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【整数】

すべてに当てはまるわけではないが、調子が悪いときは余分が多くなる。
余分が多いとどうなるか。
例えば、ファンサイト通信を書いていて、なんだか言い回しがくどいしカッコつけた文章になる。
しかも意味がわかりづらい。

不調な時は、何を書くかで悩んでいるのではなく書くことに苦心している。
だからか、書くことそのものが目的なる。
結果、一行ですむことを延々と書いている。

他にも似たようなことがある。
みそ汁の味付けも、そのひとつだ。
ひと匙、味噌を足すかどうか迷っていて足すと、ほぼ確実に塩辛くなる。
レイアウトもそうだ。
写真をもう1枚、あるいは線を一本、余分に画面の中に加えるかどうかと迷い加えてみると、それまであった空気感が瞬く間に消えてしまう。
極めつけは、仕事場の机の回りである。
捨てていいものが山のように積まれている。
いざ捨てようとすると、もしかしてこの企画書は参考になると思い、あの資料もいずれ役に立つかもしれないと不安がよぎり、捨てることを躊躇してしまう。

余分は迷いの現れである。

「迷っている時は捨てるべし」
これは、ある種の真理かもしれない。
真理にしたがえば、規則になる。
しかし、真理はただそこにあるだけなのに、規則は行動を強制する。
そして、強制に歯向かう僕を僕はなかなか捨てられない。
捨てるべきか捨てざるべきか、と。
だから、僕は真理の前で戸惑うことになる。

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